氷月凛の場合 4

第44話


 さて、あっというまに10日になった。その間氷月さんとはやり取りをしていたけれど友達付き合いとか家族の用事とかで会う事は出来なかった。今日は元木さんたちと遊びに行くのだそうだ。


 集合場所は駅前という事になった。連絡バスに乗ればショッピングモールに行けるし施設が集まっているからただ歩いたって面白い。駅の入り口のすぐ左にはガラス張りのオシャレなカフェ『ペリドット』がある。来栖はそのガラスの前で髪型を整えていた。


 僕の姿が反射で見えたのだろう。来栖は弾かれたように振り向いて居住まいを正した。


「兼人!」


「なんだもう来てたのか。待たせて悪かったね」


「ぜ、ぜんぜん待ってないよ」


 来栖は例のごとくパンツスタイルであった。黒のカーゴパンツに白のノースリーブニット。オールバックの髪型と胸元のネックレスまですべてが20代であった。高校生らしくないと言えばそのとおりなのだけど背が高い事もあってか違和感がない。そのうえ赤い口紅と軽い化粧をしているのだ。


「え、っと……どうかな」


 顔を赤らめて俯く仕草はいつもの来栖だったのに年上のギャップを感じた。それは僕の目に新鮮な衝撃だった。


「……………………」


「……………………」


「えっと……可愛い……よ」


「……へへ」


 いったい、この数日の間に何があったのだろうか。来栖は詮方なしにデートを選んだような様子だったのにこの気合の入りようである。時間が欲しいというのはコーディネートを整える時間が欲しいという事だったのだろうか。いや、来栖のことだからそれは無いだろう。きっと何か無理難題を言い出すことは想像にかたくない。しかし、今の僕はどんな事でも叶えてあげたい気分だった。


 この間からデート続きで、いったい何回行けば気が済むのだと思っていたところにズドンとトドメを刺されたような感じだった。見飽きた駅前の景色が、急に色鮮やかになったようだ。


「それで、どこか行きたいところはあるのか?」


 来栖は髪をかき上げながらぽつりと「……映画」と答えた。


「映画?」


「そう。恋愛映画なんだけどね、SNSでも評判良いから見てみたいと思ってたんだ。でも、ほら、1人で入る勇気が無くてさ……」


「それは……2人でも恥ずかしいと思うぞ……」


「うへぇ……やっぱり? 兼人とならいけると思ったんだけどなぁ」


 しかし、映画のチケットはもう用意してあるということだったので意を決して映画館へ向かう事になった。


     ☆☆☆


 映画館というとショッピングモールの中にあるものと一個の建屋として独立しているものがある。来栖が向かったのは独立している方の映画館だった。


「こっちのほうが人が少なくて落ち着けるんだよね。いま友達に見つかると、ちょっと、恥ずかしいから……」


「……まあ、そうだろうな」


 受付にチケットを渡して映画館の中へと入る。ちょうど前の上映が終わったころと見えて数組の人だかりでにぎわっていた。氷月さんに勝負をしている意識が無かったように来栖にも勝負している意識が無いように見えた。友達に見つかりたくないと言って顔を赤らめる様子は恋心を隠したい乙女そのものだったし、氷月さんの明け透けな気持ちとは正反対な反応がいじらしい。


 こうなると案外手を繋ぐことも恥ずかしいもので、いつもなら手を取って先導しているところを、今日はなぜか躊躇ってしまった。


 と、そこへ元木さんのグループの一人が現れた。たしか来栖と同じバレー部の国近さんだったろうか。来栖を見つけると親し気に手を挙げて近づいてきた。「あれ、このみんじゃん! 八重山くんと映画?」


「あ、うん、そうなの……えへへ」


「へー、ばっちりオシャレしてんねー。先輩たちに大人っぽい服装とか聞いて回ってたもんねー。うんうん、似合ってるよー」


「ちょ、ちょっと!? そればらすの禁止!」


「おっとごめんごめん」


 国近さんは口に手を当てて謝った。


「でも、そっかぁ。凛ちー優勢かと思ってたけどこのみんもやるねぇ」


「もう恥ずかしいからどっか行ってよ!」


「はいはい、頑張ってねー」と、国近さんは友達に声をかけて去って行った。


 ところで、さっき述べたことをもう一度繰り返すようだけれどこれが勝負だと認識しているのは僕およびその他の人間なのであって、来栖と氷月さんにその意識はないのである。しかし、周囲の人間が勝負だと認識しているのだから、彼らは当然アドバイスをしたり応援したりもする。


「これは凛ちーに発破はっぱかけとかなきゃなぁ」


 国近さんは去り際にそう言ったように聞こえた。


 僕はギョッとして振り向いたけれど、入場の時間に合わせて映画館に訪れた人波に紛れて国近さんの姿は見えなくなっていた。


「兼人、入ろー?」


「……あ、うん」


 嫌な予感を抱きつつも、来栖に促されて中に入った。


 僕の予感が的中したと知るのはその夜の事であった。


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