第39話
試着室の前の店員が過ぎ去るのを待つ間、僕たちは抱き合ったままでいる他なかった。
試着室はとても狭く半畳ほどしかない。そのスペースに2人で入ろうと思えば、腕を動かせば壁に当たる。一歩下がれば鏡にぶつかるといった具合で、抱きしめ合う他ないのだ。
「やえやま、あついよぉ……」
「わかるけど我慢してくれ」
「や、囁かないでよ……顔が近いんだから」
「ごめん。でも大きな声がだせないから」
「ううぅ……」
氷月さんは小さく首を振った。手首を撫でる長い髪がこそばゆい。「良い匂いがする……」と僕が呟くと、恥ずかしさのあまりか頭突きをしてきた。
「ねーえー、なんで八重山ばっかりアプローチしてくるの? 私の方がやらなきゃなのにぃ!」
「これはハプニングだよ。それに、恥ずかしがっている氷月さんはなかなか可愛いよ」
「むぐぅ……」
ときおり外を確認して店員がいないかを確かめる。氷月さんの言い分に
と、氷月さんが恥ずかしそうに「八重山も、男の子なんだね……」と呟いた。
「はい?」
「だって、その、お……」
「お?」
「お、おっきく…………」
「…………?」
「~~~~~~~~っ、馬鹿!」
「痛い! 頭突きをしないで!」
なにがなんだか分からないけれど氷月さんは気分を害したようだった「これで私を選ばなかったら許さないんだから……」と脅しめいたことをぶつぶつ口の中で呟いている。
「まったく、それで、外の様子は……?」
僕はため息をついて外に目を向けた。すると、怪訝そうにこちらを睨む店員とバッチリ目が合った。
「あ……」
僕は罪悪感からシャツとジーパンの二点を購入した。
☆☆☆
「余計な出費をした……」
「あっはは、怒られたねーー」
「くそぅ、だから神崎は嫌いなんだ」
曲がりなりにもデートをしたのだからこれ以上あいつに付き合う必要が無い。おそらくあの女性は神崎が寄越したとみて間違いないだろうからショッピングモールにいたくないという思いもあって、12時になろうかという微妙な時間、僕達はバスの中にいた。
「でも、どうしようかなぁ。いま帰ったらお母さんに心配されそう」
「夕方まで友達の家で遊ぶ予定なんだっけか」
氷月さんは昨日学校に行く前に、今日の夕方まで友達(元木さん)と遊んでいるから駅に迎えに来てくれと頼んだのだそうだ。親にはバレたくないという氷月さんの乙女心がそうさせたのだろう。僕としてもこれから家に戻ろうなんて言われずにすんで助かった。僕も母さんにバレたくないから。「駅前で時間を潰そうかと思うの」と氷月さんは残念そうに言った。
「カバンが本当に重くてもう歩きたくないからゆっくりできる場所に行こうよ」
「ゆっくりできる場所? 駅前で?」
「だって私だけカバン背負って制服なんだよ? めっっっちゃくちゃ恥ずかしかったんだからね!」
「そうは見えなかったけどなー」
駅前にはかなりの施設が集まっている。地方にある都会とでも言おうか。駅前には商業施設やビルが立ち並ぶが、そこから放射状に街並みが衰えていき、ついには野となり山となる。カラオケもゲームセンターもデパートも駅前に集中しており、それらを享受するためにはバスや車を使う必要がある。便利なんだか不便なんだかよく分からない。
バスを降りた僕達はどこで時間を潰すか歩きながら考える事にした。
「カラオケ……カフェ……ゲームセンター……どれもパッとしないなぁ」
「パッとしないし、制服姿で見つかったら補導されそうだよね」
「そうだよねぇ……」
外はとても暑かった。さっきまで涼しい場所にいたから余計に暑く感じるのかもしれない。肌に浮き出る汗が泡のようである。できればクーラーの効いた所に入りたいなぁ。なんて頬を拭いながら考えていると、「きゃっ」と小さな悲鳴をあげて氷月さんが僕の方に倒れ掛かってきた。
肩をグッと掴まれて思わずよろけたけれど、氷月さんが倒れずに済んだようでなによりだ。
「大丈夫?」
「あんまり寝れてなかったから……」
僕は振り返って氷月さんを支えながら訊ねた。少し蒼い顔をしていた。
「めまいがする? それとも頭が痛むとかある?」
「わかんない。でも、ちょっと疲れた……」
「そっか。昨日は寝る時間も遅かったし、急に暑い所に出てきたから体がビックリしたのかも。ちょっとここで待ってて」
「え、どこ行くの……」
「水を買ってくるよ。すぐに戻るから」
と言って、近くのコンビニを探しに走った。
☆☆☆
「ふぅ、栄養ドリンクも買って来たけど、氷月さんってこういうのを飲むんだろうか? というかあんまり待たせるとまずいな。早く戻ろう……うん?」
「なあ、姉ちゃん一人かい?」
「暇なら俺たちと遊ぼうぜ」
「や、やめてください……」
急いで氷月さんのもとへ戻るその足がぴたりと止まる。二人組の男が彼女を取り囲んでなにやら脅しているような雰囲気。ナンパだ。氷月さんは僕を待っている間にスマホを弄っていたのだろう。カバンを足元に置いて手にはスマホを持っていた。
「いーじゃんいーじゃん。君可愛いんだから」
「一人でいてもつまんないでしょ。どう、俺たちと楽しい事しない?」
二人の男はアロハシャツを着ていたり金髪だったりと絵に描いたようなチャラ男だった。茶髪のほうはきっと2Pカラーなのであろう。馴れ馴れしく髪を触ったり顔をのぞき込んだりしているところを見るに常習犯なのだろうと思われる。助けに行きたい気持ちがあるが、しかし、年上のようである。「警察……がナンパで動くか? あーもうどうする!?」
「はぁ……人を待ってるのでそういうのはちょっと」
「いいからいいから。なんならその友達も誘っちゃおうよ。女の子でしょ?」
「いえ………」
「違うの? なら、彼氏?」
「……………………」氷月さんは俯いてから、答えをためらったようだった。
「なんだー男の友達か。なら気にしなくていいじゃん。俺らが楽しいこと教えてあげるから」
「ほら、行こうよ。友達のことなんかどうでもよくなるから」
「い、痛い! 引っ張らないでください!」
ナンパは腕を掴んで強引に連れ去ろうとした。氷月さんは髪を振り乱して抵抗するが、女の子の力では勝てないらしい。「やだ、助けて!」
僕は意を決してナンパたちの前に立ちふさがった。
「ちょっと! なにしてるんですか!」
「ん~~? 君が友達くん? 悪いけどこの子は俺たちと遊びたいらしいよ」
茶髪の方が僕の真正面に立つ。でも、近くで見ると意外と弱そうだった。
「僕にはそうは見えません。僕の彼女にこれ以上手を出さないでください」
「おや? この子は彼氏じゃないと言っていたけどねぇ。君の勘違いなんじゃないの?」
「それは……」ああそうだった。氷月さんは肯定していなかった。こういうやつらは情事を目前にすると頭の回転が速くなるから嫌いだ。ならどう言いくるめるべきか?
僕はスマホに手を伸ばしながら考えた。最悪の場合はこれを使う事になるだろうけれど、できれば使わずに撃退したい。
と、氷月さんが「け、兼人、遅いじゃない! なにしてたのよ!」と叫んだ。
思わぬ言葉にナンパが一瞬どよめいたようで、その隙を突いて僕は氷月さんの手を取って、ついでに足元のカバンも拾って駆け出した。
「こっちに来て、向こうにコンビニがあるから!」
「う、うん!」
僕達は一生懸命走った。しばらくしてから振り返るとナンパは追いかけてきていないようだ。逃げ切ったようである。安堵のため息をついて、しかし氷月さんの体調が悪い事を思い出した。
「あ、ごめん! 走ったらまずかったよね! 大丈夫!?」
「え? う、うん……大丈夫」
「でも顔が赤いよ。やっぱり体調を崩したんじゃ……」
僕はとにかく水を渡そうと袋の中を漁った。その手を握って、氷月さんは「これは、うん、八重山のせいだよ。八重山が、私の事を彼女だって言ったから」
「あ……そ、そういえばそんな事を言ったね」
「えへへ、ナンパから守ってくれるためだったとしても嬉しいよ。うん、嬉しい」
「でも、その言葉は……」
「まだ、だよね。分かってる」
氷月さんは両手で僕の手を握ると「待ってるからね」とほほ笑んだ。
「待たれても困るんだけど………」僕は困り果てた。
「まあでも、これを使わなくて正解だったよ」
僕はスマホを取り出して写真アプリを開く。それを氷月さんが横から覗きこんで来た。
「これって?」
「さっきのナンパの現場。警察に行くとかいって脅せば助ける事もできたんだけどさ。もう必要ないからね」
「こんなの撮ってたんだ……だったらさっさと助けなさいよ!」
そこにはチャラ男が氷月さんの腕を掴むシーンがバッチリ記録されていた。もしものためにと慌てて録画したので手ブレはあるが、法に触れていることを証明できるシーンを残す事ができて、僕は自分で自分の機転とカメラの腕を褒めてやりたい気がした。しかし氷月さんは気に入らなかったようである。
「ほんっっっっとーーーーーーーに怖かったんだから!」氷月さんは掴んだ腕をギュッと握りこんだ。
「いたた、痛い! だって僕みたいなもやしっ子が勝てるわけないじゃないか!」
「もう! ……筋トレ頑張ってもらわなきゃ困るなぁ」
「なら、告白勝負には間に合わないかもね」
「……………じゃあ、そのままでいい」
僕は短い息を吐いてさっきの録画を消した。
それから近くのレストランによって食事を済ませたのち、駅前をぶらついて時間を潰したことはさておく。
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