第38話


 思い返せば最後に氷月さんとデートをしたのは付き合った翌日のことであった。あれから1ヶ月近く経つのだと思うと時の流れとは速いものである。


「まったくもう。八重山の友達のせいで予定が狂ったわ」


 と、氷月さんは大変ご立腹であったがしっかり手は繋いでいた。デートの予定はなかったらしく外行きの服を持ってきていなかった氷月さんに合わせて制服でのデートになる。夏まっただなかの暑い時期に好きこのんで暑い制服を着るバカがどこにいるのだろう?


「それで来るのがショッピングモールというのがなんともむなしいものだ」


「まあ、定番だからねー。涼しいし歩いているだけで楽しいし」


「外は暑いし」


「暑いしね」


 ショッピングモールの中は冷房が効いていて涼しかった。デートが神崎の嘘であるということは氷月さんも見抜いており、どちらがが言うでもなく自然と連絡バスに乗っていた。しかしショッピングモールでやりたいこともないのでブラブラと歩き回っているだけだ。


「こうなったらもう八重山の服を見るしかないわね。この間のあなたの服、正直言って似合ってなかったもの」


「なんでそうなる。正しい意見が人を傷つけることもあるんだぞ」


「雨が降ったら雨を楽しめと偉い人は言ったわ。ダラダラできないならもうデートを楽しむしかないでしょ。なら八重山の服を選んであげたいわ。男の人の服なんて選んだことないし、次のデートの口実になるし!」


「もう選ぶ気でいるのか……まあ、離れるよりは一緒にいた方がいいか」


 神崎が邪魔をしないという確証がどこにもないのだ。彼はああ見えて頼まれたことはしっかりやり通す男だから、もし僕たちの関係をどうにかするよう頼まれているのであれば必ず邪魔をしてくるはずだ。僕は氷月さんの手をしっかりと握って、


「氷月さん。絶対に手を離さないでね」と言った。


 どんな手段をもって邪魔してくるかは分からないけれど、僕にとっても氷月さんにとっても利益にならないことは確実であろう。「なんかドラマチックだね。あの友達のことをまだ警戒しているの? バスに乗ってなかったし、ここまでは来てないでしょ」と言って氷月さんは笑っていた。


「……………………」


 ところで、さっきから見知らぬ女の人とよく目が合うのだが、なぜだろう?


     ☆☆☆


 メンズの服を主に扱っている店のなんと少ないことか。モール内を歩き回ってようやく数軒の店を見つけたけれど、レディースに比べて圧倒的に数が少ない。「これじゃあオシャレに興味ない男子が多いのもしかたないよねぇ」


「そんなに微妙かな」


「微妙だし似たり寄ったりだし……やれやれ、この中から選ぶしかないのかぁ」


 氷月さんが選んだのは若者向けのメンズブティックだった。赤や青や緑の色シャツからほとんど違いのわからない黒いチノパンやジーパンがずらりと並んでいる。僕はもう帰りたかった。


 致し方なしといった感じの氷月さんのテンションは地に落ちていると言って良かったが、しかし、店内を回るうちに楽しくなってきたのかついには両手いっぱいに服を持って顔を輝かせていた。


「へぇ、和紙のシャツなんてあるんだー。かるっ!? 軽すぎない!? ほら、八重山っ」


「いや、和紙って……紙でしょ。洗濯できないじゃん……」


「ていうかオシャレ着なんてあんまり洗濯しないでしょ。ジーパンを洗わずに数年履き続ける人だっているんだよ?」


「それはそういうマニアだ! ていうか、ねえ、さっきから誰か見てるよ」


「店員さんでしょ? 話しかけてこないだけマシよ」


「ちょ、ちょっと、なんでそんなに楽しそうなの」


「い〜から、ほら、試着! 着てみないことには似合うかどうかも分からないんだから」


 両手に持った服をすべて押し付けて氷月さんは試着室の方を指さした。


「う………」


 僕が顔をしかめていると「もう、煮え切らないわね」と氷月さんが手を引く。


「オシャレに興味が無くても一着や二着はオシャレ着を持っとくべきよ。制服デートなんて高校を卒業したらできなくなるんだからね?」


「そもそもデートをする予定がないんだ!」


 僕はオシャレに興味がない。にもかかわらず中学生時代を母からはオシャレをしろと言われ来栖からはダサいと言われて過ごしたから拒否反応すら起こしている。両手に持った服は軽いのに僕の心は重たかった。


「ないなら私が立ててあげるから。ていうか選んだ私の顔を立ててよね」


「それは……そうかもしれないけれど」


「男子の流行ってよく分からないけどさ、1年や2年で変わるものじゃないと思うんだよね。今買っとけば後が楽よ? 大学に行っても着回せるんだから」


 そう言われたら買った方が良いように思えてくる。「そうか、たしかに今我慢すればいいんだもんね」


「我慢って言い方ーー」


 氷月さんはほらほらと僕の背中を押して試着室の方へと歩いて行く。と、また例の女性と目が合った。氷月さんは店員だろうと言ったが、スタッフ証を首から下げていないところを見るにやはり違うように思う。


「じゃあ、着替え終わったら教えてね」


 氷月さんはそう言ってカーテンを閉めた。あの女性のことは気になるけれどそればかり考えていても仕方がない。僕は手に持った服を一度ハンガーにかけて、ため息をついた。


「やれやれ、とにかく着ないと終わりそうにないな。オシャレ着ならあれでいいだろうに、なにが気に入らないのだ」


「似合ってなかったもん!」


 ……どうやら近くで待機しているらしい。下手なこといって乱入されたら面倒だしさっさと着替えてしまおう。


 もぞもぞと制服のボタンを外して深緑色のシャツを手に取る。手触りはフワフワとしているが他のシャツと比べて軽いようだ。これが和紙のシャツなのだろうか。パンツはジーパンしかもらっていないからこれと合わせろということらしい。


 しかし外に女子がいるのにズボンを脱ぐ勇気がなくて、どこかへ行ってもらうよう声をかけようとした。その時だった。


「え、だれ!? や、やめてよ! きゃあ!」という氷月さんの声が聞こえた。


 ひどく切羽詰まった声だ。人と揉み合うような音も聞こえる。まさか誰かに乱暴されたのかと驚いて急いでカーテンを開けたが、そこへ氷月さんが突き飛ばされてきて、僕は思わず抱き留めた。


「あ、ありがとう…………」


「なにがあったの?」


「わかんない。あの女の人がいきなり肩を掴んできて」


 そう言って氷月さんが開けたカーテンの方を見る。そこには例の女性の姿があった。が、すぐにカーテンを閉め切られた。狭い室内ですぐに動けるわけもなく、僕は取り逃がしてしまった。


「やっぱり、ずっと僕たちをつけてた人だった」


「あの人が?」


「うん」


「でも何のために?」と言って氷月さんは俯く。が、僕の腕の中にいることに気づいたらしい。「八重山、もう、大丈夫だから……」


「あ、そ、そうだね。ごめんよ」


 しかし、本当の災難はここからであった。氷月さんは外へ出ようとしたが、そこへ店員がやってきて「お客様! 大きな声を出されていたようですが大丈夫ですか!?」と声をかけたのだ。


 試着室で抱き合っているところを見られたらなんて言われるか分からない。


「だ、大丈夫です! 少しバランスを崩して転びかけただけです!」


「そうですか。私どもは近くにおりますから何かあったらすぐにお声がけください」


 そう言って店員は試着室の前から離れたようだったが、カーテンの隙間からのぞくと、すぐ近くにいてこちらをチラチラとうかがっている。おそらく氷月さんの声を心配してきたのに中から僕が答えたから訝しんでいるのだろう。


 僕たちはやむをえず今しばらく抱き合ったまま、店員が過ぎ去るのを待つことにした。

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