第37話


 神崎正輝が訊ねてくるのは何年ぶりだろうか。彼はオシャレをしていた。黒のジャケットの中に白シャツを着て下はジーパンを履いている。まあ、ありきたりなオシャレという感じではあったが、旧友を訪ねる恰好と考えたらいささか気味が悪い。


「何の用だ? 神崎」


「あれ、寝起きじゃねーのな。なら話は早い」


「あー? だから何の用だよ」


「八重山は氷月さんとやらの連絡先は知っているか? 知っているならいますぐ会いたいと伝えろ」


「はぁ? いきなり何を言いだすんだ」


 僕は思わず眉をひそめた。


 連絡先も何も家の中に氷月さんがいるのだが、いま知られるとなんだか面倒なことになりそうな気がする。


「いいから伝えろ。俺だって好きで来てやったわけじゃないんだ」


「なんだそれ……」


 なんで神崎の口から氷月さんの名が出てくるのだろう? 彼女の事は伝えていないからこいつが知っているはずがないのだが、まさか明石さんから聞いた?


 いや、あの人が他人の秘密をペラペラしゃべるとは思えない。なら、いったい誰から……


 僕がいぶかしんでいると、間の悪いことにドアの陰から氷月さんが顔をのぞかせる。「八重山ー。どうしたの?」となかなか戻ってこない僕を心配してのことだろう。辺りをキョロキョロ見回して神崎を見つけると「誰?」と怪訝けげんそうに顔をしかめた。


 すると神崎は目ざとく「君が氷月さんかい?」


「そうだけど………えっと、八重山、誰?」


「神崎正輝。僕の中学時代の友達だよ」


「どもー」


 神崎は氷月さんに手を振ってから僕に目を向けた。ニヤニヤした目で「君も隅に置けないな」と言って肘でつついてくる。


「別にそういう関係じゃない」


 そう憮然ぶぜんと答えて、氷月さんに釘を刺しておかなかった事を後悔した。神崎のテンションが妙に高いのだ。いつもの昭和の文豪のような話口調が無くなって内なる陽キャが溢れ出ている。こういうときの神崎は面倒くさい。


「隠すな隠すな。高校生なんだからお泊りデートくらいするだろう。なに顔を赤くしてんだよ」


「…………………」


 氷月さんが何だコイツと言いたげに眉をひそめる。神崎は年上キラーを演じていないとただの下世話な陽キャなのであり、裏を返せば彼が氷月さんを狙っていない事が分かる。が、まあ、面倒くさい事に変わりはない。苦手そうでなによりだ。


「で、どこまでいったの? もうヤッた?」


「はぁ!? なによコイツ! デリカシーってものがないの!?」


「ちょっと待ってよ。だって男女でお泊りだろう? お互い性に興味を持ちだす年齢だ。ただの友達だったはずなのに見ているだけでドキドキしてしまう。特に胸部から目が離せない。ああ、この気持ちを確かめたい。普通、そういう目的があるから泊まるんだぜ。じゃなきゃ昼にデートすればいいじゃないか」


「それは僕も思った」むろん同意したのは昼のデートのみであるが。


「な? それを君はなんだい。迷惑そうな眼をしてさ。それは本当に恋なのかね? よしんば恋だとしても体の関係を持たない愛が長続きするとでも?」


「八重山……私こいつ嫌い」


「おおっと、どうやら君の彼女はプラトンの饗宴きょうえんばかり読んでいたらしいな。ピュアというよりはもはやプラトニックだ」


「…………………頭が痛くなってきた」


 氷月さんはそう言って退散しようとした。可哀そうだが引き留めるよりは退散してもらった方が都合がいいと思って僕は見送ろうとしたけれど、神崎が彼女の背中に向かって「八重山が君とデートをしたいそうだ」と声をかける。


「君への気持ちを確かめるためにデートに誘いたいがどう誘えばいいのか分からないというので俺が来てやったんだ」


「…………」ぴくっと氷月さんの耳が動いた。「………デート?」


「そうだ。八重山はいつも自分が正しいみたいな態度をとるけれどこういう時はひどく奥手でなぁ」


「奥手っていうか、ちゃんと考えているだけよ。あなたは性欲で決めるんでしょうけど」


「はははっ、言うねぇ。君みたいな人ほどダメ男に引っかかるんだぜ。気を付けな」


「……………………」


「で、八重山のデートを受けるか?」


「……………………」


 少し迷っているようだった。彼女の予定では今日は何もせずに過ごすはずだった。デートなんてせずに2人の時間を堪能して、その中で気持ちをはっきりさせるつもりだったのだ。僕は神崎の肩を掴んで引き寄せて「お前なんのつもりだ」と耳打ちした。


「俺だって頼まれなきゃやってないさ」


「頼まれた? 誰に」


「勘の働く君の良き友だ」


「だから誰のことなんだよ……」


 神崎は「それは言えない」と言って手を振り払うと氷月さんに訊ねる。


「さて、どうする?」


「………行く。八重山と2人っきりならね」


「もちろん。俺は相談されただけだからね」


「氷月さん!?」


 ギョッとして氷月さんの方を見る。断るものだとばかり思っていたから思わず叫んでしまった。氷月さんはなんだか複雑な表情をしていた。気持ちだけで決めたのではなく理由があっての決断のように見える。が、こういう時の神崎がただ見守っているわけがない。


「いや、コイツはゼったい邪魔をするぞ」僕は氷月さんの説得にかかった。「だからやめておいたほうがいい。母さんはなんとか誤魔化すから家にいてもいい。夏休みは長いんだからまた改めて日取りを決めて計画を立ててからにしよう。第一君とのデートはほとんど行き当たりばったりだったじゃないか」


「八重山」


「はい」


「行きたいよね、デート」


「……………はい」


 諦めてと言っているような目をしていた。


 たぶん氷月さんもなんとなく理解しているのだろう。神崎がしつこい男だという事を。それに、ここで断れば僕に追い返されるから先んじて阻止しようとしているのだろう。


「もう尻に敷かれてらぁ」


 神崎はやれやれとため息をついた。

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