第36話
このお泊まりの目的は僕の本音をあばくことなのであろう。昨夜の氷月さんは鎧を壊すという表現をしていたけれど、それは僕の精神的な鎧なのであって簡単には壊せそうもない。
「朝ごはんが八重山の手料理ってなに? 天国? 私死んだ? でも八重山のお料理食べられるなら死んでもいい……」
「寝ぼけたこと言ってないで皿とかだしてー」
「できてます!」
「あのね、作れるって言ってもトーストにスクランブルエッグだけしか作れないよ。自分が食べる分だけは作れるって感じ。だから味は期待しないでね」
「それでも充分じゃない? レパートリーなんて後から増やせばいいんだし。ね、早く食べたい!」
慣れた手つきで皿を並べていく。僕が料理をしている間に氷月さんが食事の支度を進めていた。
母は仕事の都合で家にいないことが多いので、そういうときの朝ごはんは自分で作るようにしている。自炊なんてたいそうなものではない。お決まりのメニューを惰性で作り続けているだけなのだけど、同じ物でも繰り返し作るうちに上手に作れるようゆせんになるのだから人間の学習能力は侮れない。
「氷月さんの口にあえばいいんだけど」
テーブルにトーストスクランブルエッグウィンナースープサラダなどなどを並べていく。ごく一般的な朝食だ。しかし氷月さんは顔を輝かせて椅子に座ると「いただきます」の言葉もそこそこにトーストにかじりついた。
「美味しい! トーストの焼き加減がちょうどいいしウィンナーもパリッとしてる!」
「ああ、
「そうなんだ。おかわり!」
「早いな! ていうか無いよ。トーストだけ食べきっちゃって……どうすんの」
「だって……」と氷月さんは3枚目のトースト(むろん僕の分である)を咥える。
「お腹空いてたし、美味しく作る八重山が悪いんでしょ?」
なんて責任転嫁の仕方だろう。そうそうにトーストを食べきった氷月さんはスクランブルエッグとウィンナーをトーストの上にのせて食べる合わせ技のターンに入ったけれど、普通はもっと早くに訪れるターンなのではないだろうか? せっかく作ったのだからもうちょっと味わってほしいのだけど、美味しいと言われて悪い気はしない。「まぁ、小食だからいいけどさ……」僕は仕方なく残ったトーストを食べることにした。
「で、今日の予定なんだけど。今日は昨日できなかった事をします」
「予定……?」
「そう。2人でくっついていっぱいお話するの。できるだけとりとめもない事をダラダラと」
好きな漫画とか小説とか、映画やゲームの話でもなんでもいいと氷月さんは言う。至極まじめな顔であった。
「それ、予定っていうのか?」僕はスープを飲みながら呆れて言った。
「いつもやっている事だろう? 別に泊まりに来てまですることじゃ……」
「大切な予定ですー。どうでもいい事を話すのが大事なの。何気ない普通の会話でも楽しかったら気が合う証拠。なんだったら喋らなくてもいい。一緒の時間を過ごして心が温かくなれば、それはもう恋をしている証拠です」
「はぁ……」
「言ったでしょ? 八重山の本心を気づかせるために泊りにきたの。そのためには特別なイベントなんてむしろ不要よ。吊り橋効果なんてすぐに覚めちゃうんだから。普通の事をして楽しい。それが一番理想だと思うの」
「一緒の時間を過ごすなんてそんなの……」
そんなの来栖の圧勝だろう。と言おうとしてやめた。
「ね、八重山だってそう思うでしょ? 夏祭りとか海とかで思い出を作るのはもちろん大切よ? でも、そんなイベントなんてたま~にしかないじゃない。人生の9割くらいはなんでもない日常なんだから、その9割を幸せに過ごせる人がつまり自分にとって赤い糸で繋がれた人ってことなんだよ」
「それは一理あるかもな。昨日はハプニングの連続だったから不覚にもときめいたが、何も起き無ければ氷月さんなんて可愛いだけの女の子に過ぎないだろう。君にしては大人な意見だと思うよ」
「そりゃどうも」
氷月さんは複雑な表情をして頷いた。
「まあつまり、今日もうちで過ごしたいというわけだ」
「そう。もちろんいいよね?」
懇願するような上目遣いで僕を見る。
気持ち的にはいいよと言ってあげたいところだけど、僕は「ダメ」と断って皿を片付けるために席を立った。
断られると思っていなかったらしい氷月さんは「なんで!?」と驚いた声をあげるけれど、そりゃあ断るだろう。氷月さんの泊まりを許可したのはあくまでも母が家を空けていたからである。女子と2人きりである事を誰にもつつかれないから泊まることを許したのであって、2日目も家にいるとなれば話は変わってくる。
「ねえ~話の流れ的にいいよっていうところじゃん! なんでダメなわけ?」
「母さんが帰ってくるから」
「あ~~~」と納得したような唸り声をあげて氷月さんも席を立った。洗い物をしている僕に皿を渡して、しかし諦めきれないらしい氷月さんは洗った皿を受け取って拭きながらこんな提案をする。
「それはもう、ほら、彼女ですって紹介すればいいじゃない。彼女なんだから2人でお泊りするのも当然。問題なし!」
「この前別れたけどね」
「あぅ」
そんな話をしながら朝食の片づけをしていると、玄関の方からチャイムの音が聞こえた。母が帰ってくるには早い時間である。普段なら8時を回ってから帰ってくるのだけど、今日は早く仕事が終わったのだろうか?
「ちょっと出てくるね」
僕はそう断ってから玄関のドアを開ける。「誰、母さん?」
しかし、そこにいたのは母では無かった。
「よお八重山。遊びに行こうぜ」
「………神崎?」
折しも時計が7時を告げる時であった。こんな朝早くからうちを訊ねてきたのは意外な人物。神崎正輝であった。
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