第34話


「……八重山、もう寝た?」


「起きてるよ」


「ごめんね、眠たいよね。寝ていいよ。無理して起きなくても……」


 氷月さんが僕の服から手を離して距離を開ける素振りを見せたので、僕はむしろ背中に回した手を引き寄せてそれを妨げる。震えは収まったようだけど、さすがに心配だ。


「氷月さんが寝てから僕も寝るよ。まだ怖いでしょ」


「…………うん」氷月さんはコクリと頷いた。「でも、いまはドキドキしてる。真っ暗なのにぜんぜん怖いって思わないのは八重山がいてくれるからかな」


「………………………」


「目を開けても真っ暗なのに温かくて、安心する匂いがする。もうね、目を閉じたら眠っちゃいそう。八重山の腕の中だって思ったら赤ちゃんみたいに安心しちゃうよ」


「なんだそれ」


「えへへ、自分でも不思議なんだ。可愛いとこを見せて八重山に好きになってもらわなきゃなのにね~~」


 氷月さんの声が舌ったらずになってきた。安心してウトウトし始めたのだろう。


「でもねぇ、もう無理だよ。あの日、八重山にズバッといわれてから、無理。もう我慢なんてできないんだぁ」


「そう……かぁ。氷月さんがもう少し甘えるのを我慢してくれたら学校でも話しやすいのにな」


「甘えるのは我慢してるよぉ。そうじゃなくて、やりたいって思った事とか、話したいって思った事を我慢できないってこと。ほら、世間体とかまわりのイメージが邪魔で思い通りにできない事っていっぱいあるじゃない? そういうのって鎧みたいなものだと思うんだ。こんなこと言ったら引かれないかな、とか、普段と違う事して目立ったら嫌だなとか、自分で自分を窮屈にするだけの鎧を着ちゃってるからそう思うんだよ」


「鎧ねぇ……」


「昔はさ、人付き合いが苦手だったんだ。できるだけ人と関わらないようにしよう。仲良くしたいけど、でも、どんな話をすればいいのか分からなくて、変な事言って嫌われるのが怖くて、だったら独りでいようって思って過ごしてたんだ。それがいつの間にか凝り固まって鎧みたいになってたんだね。辛かったなぁ、あの頃は」


 氷月さんは夢を見るような口調で話し出した。僕は黙って聞いていた。


「話したくても話せない。仲良くなりたくても仲良くなれない。ああ、これがボッチってやつなのかなって、そんな日がずっと続いてさ。高校でも同じなのかぁ……って思ってたらだよ。八重山と出会ったんだ。八重山と出会ってから私は変わったんだよ」


「……そうなの?」


 少し意外だった。氷月さんはもともと甘えたがりな性質を持っていると思っていたが、そうでは無かったのか。


「うん。私みたいにボッチなくせして人と物おじせずに話すし、いつも堂々としているし、何だこいつって思った。なんでそんなに堂々とボッチでいられるのかずっとイライラしながら見てたよ。……あ、今は違うよ! ちゃんと好きだし、好きになったきっかけもちゃんとある!」


「……そう」


「だってさ、八重山だけなんだよ。私の事を子供だって言ってくれたの」


「あー、あのときのか」


 それはおそらく、僕と氷月さんが出会い系アプリでマッチングしたばかりの頃を言っているのだろう。『ゆめさん』を名乗る氷月さんがとても大人っぽいあまりに本物の氷月さんを子供っぽいと言ってしまった、あの喧嘩だ。


「私ね、あのとき八重山に子供だって言われてすっごく衝撃を受けたんだ。一人でいいなんて本気で思っていた私は子供だったなぁって気づかされたというか、なんだろう、丸裸にされた感じだったね。もうこの人しかいない! ってビビッときたよ。それが八重山を好きになったきっかけ」


「……僕の記憶が正しければ、悪い意味で興味を持ったとか言われた気がするんだけど」


「あはは……あれはまあ、ほら、動揺してたからさ。気持ちの裏返しってやつだよ」


 氷月さんはもぞもぞと両手を伸ばして僕の頬を挟んだ。「だからね、八重山も自由になっていいんだよ?」


「……はい? なに? こっから怖い話になるの?」


「違うよぉ。宗教とかじゃなくてさ、八重山も子供だって話」


「……………………」


「八重山がたくさん考えてるのは知ってるよ。いっぱいいっぱい考えて、間違った事をしないように、正しくあろうとしてる。とっても良い事だと思うし、八重山の良い所だと思うよ。でも、いまは苦しんでいると思うの。私と来栖さんのどっちを選ぶのが正しいのか。どっちを選ぶのが私たちが苦しくないのか。そればっかり考えてるでしょ」


「……………………」僕は答えに迷った。


 理屈と建前の鎧で本音を隠している。氷月さんはそう言いたいのだろう。


「だから鎧とかの話をしたの?」


「そう。八重山も気づいてるんでしょ。来栖さんの事が好きなのは理屈なんだって」


「そんなことは………」


「だからね、その鎧を私が壊してあげる。そのために今日は………」


 と、ここで氷月さんの言葉が切れた。すぅすぅと穏やかな寝息を立てている。眠気に耐え切れなくなったのだろう。


「鎧か……たしかにその通りかもしれないな。僕は本音を認めるのが……」


 僕も、睡魔に誘われるままに、眠りに落ちた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る