第28話
家に2人きりであると知られてはならない。僕は即座に心に決めて家の中に様々な人の痕跡を作ろうと画策したのだが、しかし無駄であった。
テーブルの上に母の置手紙があった。『冷蔵庫の中に晩御飯あります。温めて食べてね』という母の暖かい心遣いにより、僕の逃げ場は失われてしまった。
氷月さんは震える手で置手紙を持ち上げて言った。
「これ……これはもしや……2人っきりって、ことですか………!」
「違う。断じて違う」
「わ、わ、わ………それはちょっと予想してなかった……!」
「違うったら違う!」
氷月さんは頬に手を当てて首をぶんぶんと振っている。男子の家に2人きりとなれば独壇場になるだろうと思われたが、あにはからんや、落ち着かない様子で髪をいじって落ち着きのない様子はこの状況に戸惑っているようにも見える。
「まあいいか……とりあえず僕の部屋に荷物を置いてきて。こっちだから」
「あ、はい! 行きます!」
姉は大学進学を機に一人暮らしを始め、父は単身赴任で他県にいる。空き部屋だらけの家に母と二人で過ごしていると薄暗い気持ちが募るようで、僕はそれを寂しく思っていた。明かりがついていない部屋がいくつもある。その闇は廊下に染み出して家中を満たしていくような寂しさだった。
「ここが僕の部屋だよ」
「おおお、ここが……」
しかし氷月さんはそんな暗さなど意にも介さずに付いてきた。昔買ってもらったヒーローもののフィギュア、乱雑に積まれた漫画、もう使っていない天体望遠鏡。そんな諸々で埋め尽くされた僕の部屋の入口で立ち止まると感嘆の声をあげて一礼する。この人は何をやっているのだろうと思った。
いや、触れないでおこう。
「泊まるって言ってたけど、泊まる用意はしてあるの?」
「うん、それはもうバッチリ」
氷月さんは「ほらっ」と言ってリュックの口を開けて僕に見せる。その中には学校で使った教科書類と、パジャマと思しきピンクと白の水玉の服、シャンプーリンススキンケア用品などがパズルのように整然と詰め込まれていた。一見して危ないものは無いように見えるが、なぜだろう、女子のリュックの中というだけでいけない事をしているような居心地の悪さがある。
「み、見せなくてもいいけど、もう泊まるつもりで学校に行ってたのか」
「そうだよ。友達の家に行くってお母さんに言ってあるからアリバイも完璧です!」
「そ、そう……アリバイ?」
僕は深く追及しないことにして氷月さんにクッションを渡した。男子の家に遊びに行ったことが無いのだろうか。どこか緊張した面持ちで氷月さんはクッションを抱いてペタリと座った。敷くやつだと理解したのはお尻が床に着いてからの事である。
「……? あ、クッション!」と氷月さんは慌てて座りなおした。
こんな時は見なかった事にするのが紳士の務めであろう。氷月さんにしては珍しい事だと思いながらも、僕はドアノブに手をかけて部屋を出た。
「喉乾いたでしょ。飲み物持ってくるから待ってて」
「恥ずかしい……炭酸以外でお願いします!」
「余計なことをしないようにね」
そう言い残して僕は部屋を後にした。直後にゴソゴソとどこかをひっかきまわすような音と「こういう時はだいたいベッドの下に……」という声が聞こえてきたが、無視した。
☆☆☆
さて、お菓子とジュースを持って部屋に戻る。一見すると荒らされたような形跡はなかった。しかし、なぜか氷月さんの顔が真っ赤であった。
どうせベッドの下のエロ本でも探していたのだろうと思うが、残念ながら僕はネットを使うのだ。絶対に見つかるわけがない。なら、なぜ顔を赤くしているのだろうか。何も見つかるはずが無いのだから顔を赤くする理由も無いと思うのだが。
「お待たせ。一応聞くけど、大人しくしてたよね?」
「してたしてた。めちゃくちゃ良い子だったよ」
「……………萌え袖?」
氷月さんは両手を口元にあててブンブンと首を振った。その手が白シャツの袖にすっぽりと覆われていた。そもそもセーラー服を着ていたはずなのだが、着替えたのだろうか。着替えとして持ってきたにしてはサイズが合っていないように見える。……と、クローゼットの戸が半開きになっているのが見えたが、まさか?
「服、着替えた?」と訊ねるとまた首をブンブンと振った。
「……………セーラー服が脱ぎ捨ててあるけど?」
「うそ、どこどこどこ!?」
「嘘だけど。やっぱり着替えてはいるんだな」
「うっ……」
「その焦り方は僕のシャツを着てるな?」
「ううっ…………着てみたかったんです」
「男子の部屋に入って一番最初にすることが服を着るってなかなかパンチが効いてるけど、なんで着ようと思った?」
「八重山の匂いに包まれていたかったから……」
「……………………」
「……………………」
深く追求するのはやめよう、と思った。
「それで、何をしようか」
「あーーー! 露骨に話をそらそうとした! いまヤバいヤツ認定したでしょ!」
「そんな事はないよ」
「絶対したよーー! 違うんです! エッチな本で情報収集しようと思ったらクローゼットに目が留まったんです、不可抗力です!」
「なぜ一番正解の大人しく待つができないのかな」
「……印象、悪いかな」
氷月さんは口元に両手をあてがったまま僕を見上げた。
「いいや」と答えると、目を細めて笑った。
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