第27話
部活へ行った来栖を見送って僕は学校を出た。日差しが強い。真夏の昼はなぜこうも暑いのか。屋内と屋外で10度くらい違うのではないかと思われる。
僕の通う学校は小高い丘の上にあって日差しを遮るものが一切ない。そこそこ傾斜のある坂道を日に焼かれながら下りるのである。
大変な苦行だ。
カバンが軽いのだけが幸いだった。もう1年半は通っているはずである。入学当初はオドオドと上ったこの坂道ももう数百回は通っているはずで、それはつまり、僕はこの坂道を通いなれていなければいけないのだろうけれど、しかし僕はふと、見慣れた景色の中に新鮮さを見出すのである。もっとも、その新鮮さも陽炎のごとしではあったが。
「ようやく着いた……なぜバス停が坂の下にあるのだ? この坂道のために何人の生徒が泣いたと思っているのだ……」
「おーい八重山ー。一緒に帰ろー!」
「……なぜ、元気なんだ……………」
バス停のベンチにぐったり座り込む。氷月さんは坂道を
「なにへばってんのー?」
「体力がないからだ!」
「ほらほら、もうすぐバスが来るよ」
「ぐぅ……」
彼女は暑さを感じないのだろうか。滝のような汗をかいている僕とは対照的にほとんど汗をかいていなかった。彼女も運動をしない人のはずなのになぜ。美人は汗もかかないのだろうか。
「というか、氷月さんがバスを使うなんて珍しいね。こっち方面なんだ?」
「あー、いつもはお母さんが送ってくれるからね。でも、今日は友達の家に泊りに行くから」
「ふぅん……?」
ほどなくしてバスが来た。ベンチから立ち上がってバスに乗り込むと当然のように氷月さんも付いてくる。しかし、僕の家の方面に氷月さんの知り合いがいただろうか。氷月さんが泊まりに行くような友達が? 元木さんのグループはみんな反対側だし、少なくとも僕のクラスにはいないように思う。もう別のクラスに友達ができたのだろうか? まぁ氷月さんならありえるかと僕は勝手に納得した。
「でさ、バスって適当に座ってもいいの?」
僕がいつもの席に向かっていると氷月さんがそんなことを言い出した。
「うん?」
「いや、ほら、なんかチケットみたいのなかった? むかーし乗った時に小っちゃい紙を取った記憶があるんだけど」そう言って指で小さな四角を作る。おそらくはバスに乗った時にとる整理券のことを言っているのだろう。
氷月さんは学校用の連絡バスを使った事が無いらしい。学生のほとんどは定期券を持っているから整理券をとる必要が無いのだけど、定期券が無い学生は運賃を払う必要がある。「小銭はある?」と訊ねると氷月さんは首をかしげた。
「……まあ、どこに座ってもいいよ。というか、なにそのお嬢様キャラ」
「だってバスなんてめったに使わないもん」
僕は致し方なく200円ほど渡した。どこへ行くのか知らないけどこれだけあれば足りるだろう。
「街に遊びにいったりは?」
「しない。用事がないから」
「しない? 別に友達と行くことだけを言ってるわけじゃないぜ。一人で本を買いに行ったり映画を見に行ったりもしないの?」
「しないよ。外に出るの面倒くさいもん」
なんと。こんな生物が実在したのか? 僕の住む町はお世辞にも発展しているとは言えず、民家の隙間から山が覗いているような片田舎である。遊びに行くにもちょっと出かけるにもバスは必須だと思っていたのだが。まさか遊びにいかないという返事が返ってくるとは思っていなかった。
しかし、外に出るのが面倒くさいという意見は僕も同意である。非常に好感が持てる女性だ。
バスはぐんぐん進んでいく。計22個の乗り場のうち既に通り過ぎた乗り場が15個。僕の降りるS町役場前までは残り4個である。が、氷月さんは一向に降りる様子が無い。
『次は病院前。病院前。お降りの方はボタンを押してください』
残り3個だ。しかし氷月さんはピクリともしなかった。降りようとしないだけならまだしも、僕の疑問をよそに「でさ、八重山はどこで降りるの?」などと訊ねてくるではないか。
役場前を過ぎれば商業施設が集まっているエリアに行ってしまうけれど、いったいどこまで乗るつもりなのだろう?
「どこで降りるのは僕の質問なんだけど。……まぁ、もうすぐだよ。役場前ってとこ」
「あーなるほどねー。お金は………うん、足りるっ」
「んーーー?」
なぜ氷月さんはお金を数えたのだろうか。僕と同じ乗り場で降りる? とはいえ、あの乗り場を使う生徒なんて僕か来栖くらいのものなのだが。もしや泊る友達というのは来栖のことか。2人にはそもそも対決をしているという意識があまり見られないし、今回の事で仲良くなった可能性はあるのだろう。女子だけで話したい事もあるのだろうし、深くは追及しないでおくか。僕はそう結論づけた。
バスは順調に進みとうとう僕の降りる乗り場に着いた。「降りまーす!」と氷月さんは元気な声を出すが、降車ボタンを押さねばバスは止まらない。「これ、これ押して!」と窓側に座る氷月さんに指さしで教えると「そうなの!?」と驚きながらも慌ててボタンを押した。本当にバスを使った事がないらしい。危うく僕まで降り損ねる所であった。
「ふぅ……危なかった……」
バスを降りる。膝に手をついてため息をつく僕の隣で氷月さんは大きく伸びをしてやり切った顔をしていた。
「いやー大冒険だったね!」
「もう少しで降りられない所だったのに、楽しそうだね」
「いやー大冒険だよ。初めてのバス! 楽しいに決まってるじゃん?」
「………あ、うん、そうだね」
僕は諦めた。
「まあ、氷月さんがどこへ行くのかは知らないけど。僕の家はこっちだから」
ともあれここで氷月さんとはお別れである。彼女はこれから友達とお泊りらしいが、僕はこれからどうしようか。そんな事を考えながら歩き出すと氷月さんは僕の隣に来て「そうなんだ。じゃ、いこっか」と言って当然のように手を繋ぐ。
「いやいや、こっちは僕の家だから。友達の家に行くんでしょ?」
「うん、行くよ。八重山の家ってこっちなんだよね」
「うん……うん? 誰の家に行くって?」
「あんたの……え、まさかここまできて分かんないの?」
「うん」
氷月さんは顔をしかめた。なんだろう。僕は変な事を言っただろうか。言っていないと思うけれど。
「鈍感というか、さては興味が無いのか? いろんなことに。そりゃあ来栖さんも苦労するわぁ……」
「失敬な。僕は多感な高校生だぞ。君がどこへ行くつもりなのかと考えてもみた。しかしこっち方面に君の知り合いがいないから分からないんじゃないか」
「…………………………」
「………………え?」
いやいやまさか、まさかまさかだろう。まさか氷月さんともあろう人がアポなしで男子の家に泊るなんてことをするはずがない。いくら子供っぽいとはいえ比較的しっかりした知性と常識を備えた氷月さんが僕の家に突然泊りにくるだなんて、あるわけがないだろう。いやいや馬鹿な。氷月さんは頬を引くつかせる僕を見て「……ばーか」と言った。
「もう追い返す術が無いから言っちゃうけどね。八重山の家に泊りたいって真正面からお願いしてもダメだろうからここまで伏せてたの。こんな所に女の子を置き去りにするような奴じゃないし、どうせ途中で気づくだろうと思っていたけど、はあ、鈍感にもほどがある。ほら、さっさと案内しろっ」
「いや、ちょ、僕にも僕の用事というものが……」
「あるの?」
「……ないです」
こともあろうに氷月さんは僕の家に来てしまった。断られる可能性を考えて最後まで伏せていた辺りに狡猾さが伺えよう。しかし、これは見抜けなかった僕の落ち度である。
「母さんが帰ってきたらなんて説明しようか……」
「押しかけ女房ですって正直に言えば分かってくれるわよ」
「どこに真実が含まれているんだ……?」
こんな所を家族に見られたら絶対に面倒な事になる。と、いまから身体が重い僕であったが、家に帰るとさらに絶望的なラインがスマホに来ていた。
『お母さん今日は泊まりだから、冷蔵庫に晩御飯作ってあるから温めて食べてね』
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