第24話


 翌日。昨日と同じ時間にバス停へ行くとベンチに来栖が座っており、僕の足音に気づくとパッと立ち上がった。


「おはよっ 今日も早いね」と弾むような声音にドキッとする。


「1本早い便で通ってるのか。そりゃ普段会わないわけだ」


「うん。朝練があるからね。無いときも早いのは……習慣、かな?」


 バスの中には数人の生徒がいた。それぞれが己の領土を主張するように1人で座っており、昨日は周りを見ていなかったけれど、そのほとんどが運動部のように見える。いつも騒がしい人たちが真面目に本を読んでいる姿が不思議だった。


 昨日と同じ席に座る。運転席の反対側にある前から2つ目の席。「ここがお気に入りなんだー」と言って来栖は窓側に座った。


「あーあ、今日からまた部活が始まるなぁ。兼人と下校デートできなくなっちゃうなんて悲しいよ」


「昨日が初めてだったけどな」


「うん………楽しかったなぁ。またしたいよ」


「全国に行くんだろう? 応援してるからさ」


「うん。絶対勝つ」


 来栖の意識はもう大会に向いているものと見えて、口元を固く結んで静かに頷く。真剣な彼女の表情が僕の胸の中に爽やかなものを感じさせた。


 来栖のこんな表情は見たことが無かった。


 来栖の新たな一面が知りたいと昨日は言った。子供っぽかった氷月さんがだんだんと情感を増していったように来栖の表情にも奥行きが現れるのだろう。その変化を見てみたいと僕は思った。けど、真剣な表情を見たことはあるはずだ。


 来栖はいつもバレーの話になると真剣になる。僕は何度も見てきたし、そのたびに同じ人間かと驚くこともある。けど、初めてと感じたことは無い。


 僕の見方が変わったのだろうか? 僕の中で何かが変わって来栖の見え方まで変わった? よくよく見ると来栖の表情自体は見慣れたものだった。となるとやはり僕の見方が変わったのだろう。


 いままで見逃していたものが見えるようになったとでも言うべきか。それは来栖木実という少女と新たに出会ったような衝撃だった。


「……けんジィやけに真剣な顔してる。どうしたの? 今日の試験がそんなに不安?」


 そう言って眉根をひそめて僕を見上げる来栖。彼女の身長は僕と同じくらいあるのに座高が低い事に僕は初めて気づいた。モデル体型というのだろうか。スリムだけど出るとこは出ているプロポーションも相まってか、今日の来栖はやけに魅力的に見えた。


「べ、別に………」


「……? へんなの」


 僕はそっぽを向いた。


     ☆☆☆


 来栖とは元の仲に戻る事ができた。しかしそれは氷月さんとの仲を険悪にするスイッチに過ぎなかった。


「氷月さん、おはよう」


「……………………」


「…………おっと、そうきますか」


 挨拶しても無視される。廊下ですれ違っても振り返りもしない。肩が触れるような距離で行き違っても眉一つ動かさない。それはかつての氷月さんが戻ってきたかのようだった。


 氷の女王。あのすべてを拒絶するような氷月さんが。


 しかし誰にでも冷たいわけでは無かった。元木さんをはじめとする友人各位には変わらず笑顔を見せたし、ともすればいっそう表情豊かになったように見える。


 僕にだけ冷たいのだった。なんとなればいままで敬遠していた男子連中とも話すようになって冷たさに拍車がかかる。


 これが当てつけであると認めないわけにはいかなかった。


『氷月さん。なぜ無視をする?』


『……………………』


『氷月さん』


 夜。いつもの時間にラインを送る。しかし既読はつけども返信が無い。


 ここまで徹底して強情になられると氷月さんの意思の固さを改めて思い知らされたようだが、しかし、一皮むいたらふにゃふにゃになる氷月さんがいつまで耐えられるのか。


 僕は椅子にもたれかかって頭の後ろで両手をくんだ。


「……さて、別れるにしても話しができなければどうしようもないぞ。来栖はおくびにも出していないけれど僕と氷月さんの関係に気づいているはずだ。喉に刺さった魚の骨を抜かないかぎりは……」


 しかし、と僕は思う。


 嫌いになったわけでも無いのに別れを切り出すのは男としてどうなのだろうか。付き合い続けるうちに氷月さんの良い所が見つかるかもしれない。あのド直球な好意にも慣れてくるかもしれない。そう思うと、僕の軽薄な男心が今度は氷月さんにかしぐのが分かった。


 僕はそのときどきの心に突き動かされているだけなのではないか? 1つ良い所を知れば氷月さんに傾倒し2つ良い所を知れば来栖に傾ぐ。氷月さんが垣間見せる大人らしさに惚れたかと思えば来栖の見逃していた一面に気づいて好きになる。それでいいのか? 女性の好意というものがどれだけ大切でまたとない感情なのか、僕は浮木のような男心で受け止めてよいのか? そもそも僕なんかが女性を幸せにできるのか。それを考えるたびに僕は苦しくなった。


 もっとどっしりとした心が欲しくなった。


「いっそのこと逃げてしまいたい」


 そう口に出すと、是非ともそうしたいという気持ちが湧いてきて心が軽くなるようだった。しかし、そうはさせないとばかりにスマホが誰かからのライン通知を告げる。


『今から会えるよね』


 それは、事もあろうに氷月さんからのラインであった。


 まるで僕の気持ちを読んだかのようなラインに息が詰まるようだった。会いたくない。いまの僕では何も決められない。しかし氷月さんはそれすらも許さぬといわんばかりに矢継ぎ早に集合場所と時間を送ってくる。


「ああもう……自分で蒔いた種だ。逃げるわけにはいかないよな」


『いいよ』と返信してスマホの画面をきる。その黒面に反射した僕の顔は自分でも目をそむけたくなるほどに情けなかった。


     ☆☆☆


 氷月さんは公園のベンチに座っていた。


「氷月さん……何の用かな」


「八重山……」


 氷月さんは僕の姿を認めるとすっとお尻を動かしてベンチに1人分の空きを作る。僕は黙ってそこに座った。


 僕はなぜ来てしまったのだろう。僕は前述の通りのクズなのであって、いまの心情をいちいち書き連ねると長くなるうえに読者もそのような唾棄すべき駄文を読んで貴重な時間をドブに捨てたくはないだろうし、いまの心情をいちいち書き連ねる事はしないとくだくだしく蒸し返すところに僕の自信の無さが伺えると思う。


 しかし氷月さんはそんな僕の不安をすべて吹き飛ばしたのだった。


「八重山………私、私ね………」


「………………」


「ごめん! 押してダメなら引いてみろとかできない! 無理! ヤダ!」


 氷月さんはベンチの上で器用に正座をして僕の肩を掴んだ。


「……………はい?」

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