第23話
来栖がもっとも懸念していた事というのが、バレー部の大会の事だった。
8月の頭に開催される大きな大会があって、いま、全国優勝を目指して頑張っているのだという。聞けば来栖はレギュラーメンバーなのだそうだ。
「けんジィのことを諦める良い機会なのかなって思ってたけど、諦めなくて本当に良かったよ。部活と好きな人を天秤にかけるなんてしたくなかったもん」
「来栖はバレー好きだもんな」
「うん。体を動かすのが好きだからね。……それに」
カフェを出て街を歩く。試験期間ということもあってか学生服姿の生徒がちらほらと見える。男子のグループや数人の女子とすれ違う。僕たちはその中に溶け込むようにして歩いていた。
ふいに来栖が俯いて「兼人が好きって言ったから……」と言った。
「そんなこと言ったっけか」
「言ったよーーー! 中学校のとき! 体育の授業で!」
「……………んー? あー」
僕は覚えていなかったけれど来栖が言うなら言ったのであろう。
「授業でやったバレーで、最後の1点をサービスエースで決めた時に好きだって言った! ちゃんと覚えてるんだからね!」
「バレーの授業……あー、そういう風に言ったんだっけか?」
それならなんとなく覚えている。学年対抗の特別授業だった。男女それぞれの代表が選出されてバレーの腕を競い合ったのだが、そのときの来栖のサーブがあまりにも綺麗で僕はつい見とれてしまった。あのときはかっこよかったと伝えたはずだが……
「まあ、記憶なんて美化されるものだしな」
そういう事にしておいた。
「だから私は全国に行きたい。兼人が好きだって言ってくれた私のバレーで勝ちたい。……でもそのためには時間を犠牲にしなくちゃいけない。それが一番不安だったんだ」
来栖はそう言って、むしろはにかんだような表情を見せた。「でも、これでバレーに打ちこめるよ。……安心したから」
「そっか。ならよかったよ」
「うん! えへへ、私がんばるねっ」
安心したという言葉が来栖の決意の固さを表しているようだった。
彼女にとってバレーは人生の一部だった。切っても切り離せないもう一人の彼女をバレーに託したかのごとくに熱心だった。バレーを蔑ろにしたくない。けれど、恋は叶えたい。その想いにがんじがらめになっていたのであろう。
安心したという言葉にはそれほどの意味が込められているように思った。
僕の人生に光明が差したような気がした。来栖と付き合って筆舌に耐えがたいような甘い日々を送るのも悪くなかろうと思った。
が、しかし、人生はそう上手くできていないのである。
ふいに来栖の動きがピタッと止まった。
「八重山………と、来栖さん……なんで」
氷月さんとばったり出会ってしまったのだ。
「…………………」
まるでこうなることが決まっていたかのような出会い方には驚きを隠せない。
来栖は僕の背を掴むように隠れた。僕は、それで良いと思った。
これから起こる問答は来栖にはなんら関係の無い事である。あくまで僕の無責任さが招いた問題であり、氷月さんと僕で解決すべき問題である。その問答に来栖を巻き込むことは筋が違うように思った。
「氷月さん。僕は……」
「…………………」
なんと声をかけていいかわからない。どんな言葉をかけても氷月さんを傷つけてしまいそうで、それを避けようと思えばどんな言葉もかけられなかった。
なにより、いま別れようと伝えることは来栖に僕たちの関係をばらすことを意味する。
「いや、そうだよね……来栖さんとは勝負をしてるんだもんね。……うん、八重山と一緒にいるのは当然だよね」
「氷月さん………聞いてほしいんだけど、これは――――――」
「いや………うん、このままじゃダメだって分かってたんだ。分かってたのに……」
僕が迷っていると、氷月さんが突然きびすを返した。
「あ…………」
行ってしまった。
追いかけるべきか一人にするべきか考えているうちにも氷月さんの姿は遠くなる。このままではいけないと思いながらもしかし、足が動かなかった。目の前に分厚い壁が立ちはだかるかのように僕の心を抑え付けた。
すると来栖がふいに僕から離れる。
「兼人………」
―――行ってもいいよ。でも、戻ってきてね。そんな不安気な目で見上げて、後ろ手に手を組んだ。
来栖は……ああ、こういうヤツなのだ。どんなときも明るくて前向きで、でも恋愛には臆病で不器用。そのギャップが言葉よりも雄弁に気持ちを語る。
それがむしろ僕の心を解放したのだけど、僕は追いかけなかった。
その日から、氷月さんから電話がかかってこなくなった。
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