第22話
来栖と向き合え。明石さんはそう言ってバックヤードに戻って行った。
来栖は「今の人は?」と訊ねて、僕の向かい側に座った。
「明石さんといって、この店のオーナーらしい」
「ふぅん、綺麗な人だったね」
「うん。ちゃんと神崎を叱る人だったよ」
そう僕が言うと、「じゃあ良い人だ」と来栖が笑った。神崎の中学時代を知っている僕達にとって神崎にかどわかされるか否かが良いお姉さんの条件になっていた。
「それで……」
僕は話をきりだした。
「それで、少しは落ち着いたか?」
「…………うん、お騒がせしました」
「急に無視されるようになってビックリしたよ……理由は、例の対決か?」
「………………」来栖はコクリと頷いた。
「やっぱり……押してダメなら引いてみろって感じでもなかったしな。だからこそなんで怒られてるのかさっぱり分からないわけだけど」
「………うん」
「…………………」
「…………………」
来栖は
来栖が話し出すまで待っても良いのだけど、僕たちには差し迫った問題がある。特に来栖にとっては無視できない問題のはずだ。「なあ、来栖」と僕は再び口を開いたが、しかし、彼女の方が少し早かった。
「ごめんなさい」
「……………………」
「自分でもこうなるなんて思わなかったんだ。その……兼人と氷月さんが仲良くなるのを見るのがこんなに辛くて苦しいなんて。子供みたいだね……私」
「別にそんなことはないと思うけど」
もっと子供っぽい人を知っている。その言葉は呑み込むことにした。
「自分が抑えられない気がして怖かったんだ。氷月さんと楽しそうに話してる兼人を見るたびにイライラしてさ、その怒りをぜんぶ兼人にぶつけちゃいそうで一緒にいられなかった……」
「………………………」
「なんで私じゃないの。そりゃ氷月さんは可愛いよ。私なんかじゃ勝てっこないって、そんなことを思った。それに、部活の事もあってさ……これから兼人と話せる時間が無くなる事が怖くて、でも、どっちか選ぶ状況になれば、兼人は私を選んでくれるって思ってた。だから………」
来栖は消えてしまいそうなくらい縮こまった。「だから………」
僕は慎重に言葉を選んだ。この気持ちが恋かどうかは分からないけれど、来栖が大切なんだってことは確かな事実だ。
「僕はさぁ、結局、年上が好きなんだよ。……憧れっていうんだろうか。あれが欲しい、これが欲しいって気持ちの延長線上にある憧れ。手に入れたら飽きてしまう。だから、遠くから見ていたい。年上ってのはそういう存在なんだよ」
「……………………」
「でも、恋人ってそういうもんだと思うんだ。一目惚れとか憧れとか、最初は好きでも、それに飽きてしまったら? 付き合っていくうちに嫌な所が見え始めて気になりはじめたら? そうなったらもう恋なんてできない。だから、僕は、安心できる人がいい。嫌なとこも良いとこも肯定しあえる。そんな人が……」
「……………………」
来栖がわずかに顔をあげた。何が言いたいのか分からないけれど無性に期待してしまう。そんな表情だ。
「でも、私じゃダメだよね。だって、すぐに怒るよ。兼人の事だって嫌いになるし、気分屋だし、ワガママだし……それに比べて氷月さんは可愛くて綺麗だもん。私なんか月とスッポンだよ」
来栖は自分を否定し始める。コンプレックスを思いつく限りあげて説得するように僕の目を見る。けれど、彼女の目はむしろ私を選んでと言っているようだった。それは年上女性らしい甘え方のように見えた。
僕はその期待は裏切りたくないと思った。
「そんな来栖だから……だよ。恋とか愛とかはよく分からないけどさ、一番安心できるのは来栖しかいないよ」
「………………うぅ」
「来栖に恋をしているかは分からないよ。でも、恋をしたいと思うのは来栖かな。ほら、あのとき言っただろう? 誰も知らない自分が知りたいって。僕も、知りたいよ。変われるのは氷月さんだけじゃない。そうだろ……? 来栖。……来栖?」
来栖はサッとテーブルの下に隠れた。「見ないで。いまぜったいにやけてるから見ないで!」
そう言われると見たくなるのが男心だけど、いま見たら来栖に噛みつかれそうだ。
見るかわりに「可愛いやつだ」と言う事にした。
来栖は「もおーーーーー!」と、足をジタバタさせた。
☆☆☆
さて、これはもちろん僕の首を絞める行為である。まがりなりにも氷月さんとは恋仲にあるのだから僕は浮気をしている事になるのだろう。
氷月さんが僕に好意を抱いているのは光栄なことである。しかし、自身の気持ちを
君と付き合うことは出来ないと氷月さんに伝えようと思った。
優しさがナイフに変わるような恋は、誰も救われないのだ。
だから、別れる。
僕はそう決意した。しかしそれは、見方を変えれば自分勝手な都合の押し付けなのである。氷月さんの気持ちを無視し来栖の気持ちを利用したとも言える逃げなのである。
もしこのまま来栖と付き合うような事になり、筆舌に耐えがたいほど甘々な時間を共にするような未来があったとして、それを一々語って読者諸賢の貴重な時間をドブに捨てるような真似はしたくない。
そうはならなかったから、僕はこれを一つの記録として残そうと決意したのである。
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