第21話


 神崎がバイトをしているカフェを思い出していただきたい。


 お姉さんばかりが働いているという天国のような職場……もとい、若い女性のセンスによって運営される巷で人気のカフェの事である。


 デラックスツインパフェというカップル限定のスイーツを食さんとかつて訪れたあの場所に僕達は再び舞い戻った。


「ねえ、ねえ……これって……」


「来栖が喜んでくれるだろうと思った。それだけだ……」


「――――ッ ふん、こ、こんなのじゃぜんぜん許さないんだからね!」


 僕が思いついた作戦というのが、神崎のバイト先に連れていくことだった。ここへ来るのはデートの練習以来だ。あのときはカップル限定のパフェも楽しめなかったがいまこそリベンジする時では無いのか?


 来栖は誘惑を断ち切るようにぶんぶんと首を振っている。


「そっか。………まあ、とにかく食べようぜ。来栖が怒るときって不安な時なことが多いからさ。腹を満たせば気持ちも落ち着くだろ?」


 僕がスプーンを渡すと来栖は黙って受け取った。


「食べよう?」


「……………うん」


     ☆☆☆


 僕達はパフェを食べ進めた。会話は無く、ただ黙々と食べ続けるだけである。大変気まずい。今すぐ逃げ出したい。


 来栖はときおり刺すような視線を送ってくる。僕はなぜか悪い事をしている気分だった。


「ねぇ……なんで氷月さんと付き合わないの?」


「なんでって、友達……だから?」


「疑問形」


「だってよく分からないんだ。仲は良くなってきているし、話していて楽しい事も事実だ。けど、それって恋なのか? 僕には友情にしか思えないんだ」


 成り行きで付き合ったとはいえ恋人にひどい事を言うと思った。照れ隠しでも、来栖の前だから誤魔化しているのでもない。本当に、心からそう思っているから言っている。


 氷月さんは友達なのだろうか。恋人なのだろうか。


 僕はその事をよく考えていた。


「話していて楽しいなら、恋なんじゃないの」


 と来栖は拗ねたように言うが、それも違うと思う。


「だったら、いま、僕は来栖に恋をしている事になるな」


「うえぇ!? は!? 嘘でしょ!? けんジィがそんなこと言うの!?」


「……驚きすぎだろ」


「だ、だってそんなの………ほとんど告白みたいなもんじゃない……」


 後半はもごもごと聞き取りづらかったが、うん、たしかに誰にでも言って良い言葉では無いだろう。


 来栖の見たことない表情を見るのが楽しい。僕が感じている楽しさはそれであった。来栖の口調が普段通りに戻っていくのが嬉しい。来栖と話せるのが嬉しい。その過程を経験している事が自分の糧になるように思われて楽しい。そういう類の楽しさであって、恋をしている楽しさではないように思う。


 楽しいという感情一つにもいろんな種類がある。


 僕はそれを知った。


「……はぁ、けんジィのそういう無自覚なところ治した方がいいよ? どうせ、あんたの楽しさも別の理由があるんでしょ。さしずめ私と和解していく過程を経験するのが楽しいってとこ?」


「なぜそこまで正確にくみ取れるんだ。こわいな」


「これでも幼馴染ですから」


 来栖はふいと席を立った。


「どこへ行く?」


「お花摘み」


「トイレか」


 言い直すな! と一声吠えてから、スタスタとトイレの方に歩いて行った。


 僕はその背中を何とはなしに見送った。


「幼馴染ねぇ……それは、どういう感情で接すればいいんだ。友情か? 恋情か? それとも、それ以上の感情か? 分からないな。……唯一無二の仲であるという事を考えれば愛に近いのだろうけど、それは異性だからそう思うだけなんだろうか?」


 来栖と仲直りしたいと思ったのはいつもの日々に戻りたいと思ったから。ただそれだけなのだけど、じゃあ、恋とはなんだ? 何物にも代えがたい気持ちが恋なら、来栖への思いの形は……。


「……ん?」


 ふと視界にウェイトレスのお姉さんが映った。軽くかがんでテーブルを拭いているようだ。ここの制服は白のブラウスに黒のパンツのシンプルなスタイルだった。紅色のエプロンは腰で結ばれている。かがんだ時の腰元になぜか目が吸い寄せられる。


 わけもないのにドキッとした。


「……色気、か」


 そう結論を出した。


「色気だろうな」


「うん。やはり年上のお姉さんが良い。色気も包容力も兼ね備えた女神というべき存在だ。いつか、あんな人と付き合ってみたいものだ」


「まったく同感だ」


「…………ん?」


「やはり八重山とは話があう。俺の同級生は年上の良さが分からんやつばかりでなぁ。やれロリがいいだの、やれ同い年がいいだの。まったく、呆れて言葉もでない」


 いったいいつの間に隣にいたのだろうか。神崎が僕の肩に手を置いて頷いていた。彼もまた年上好きである。ここでバイトをしている理由もお姉さんがたくさんいるからだと断言しているとおり、彼の頬はつやつやしていた。


 これからバイトなのだろう。試験期間だというのに大した根性だ。


「全人類はみなお姉さんが好きなのだ」と、神崎は臆面もなく言った。


「見たまえよ、あの明石さんの豊かな腰つきを。あのワイングラスのような尻の丸みに誰が抗えようか? いな、抗えるやつは男じゃない!」


「それは同感だが……」


硝子ガラスのような張りを思わせながらも柔らかいのだぞ。手のひらからこぼれ落ちるほど大きなわらび餅を想像してみろ。極上の柔らかさだろう!」


 店内の誰もがこちらに注目している。神崎はその事に気づいていないようだが、明石さんという女性もこちらを盗み見ていた。僕はそれとなく神崎に注意を促した。


「お、おい、あんまり言うと………」


「明石さんの生尻はまさしくーーーーーー!」


「ああ……、ダメかも……」


 僕は両手を合わせて冥福を祈った。


 バゴンと物凄い音が鈍く響く。「ぐはぁ」と神崎が頭を押さえてしゃがみこむ。


 彼はやりすぎた。


 女性の身体について大っぴらに語ることも悪いことだけれど、本人の前で言うのが一番良くない。しかもデリケートな話題なのだからなおさらだ。


「神崎くん。減給です」


 明石さんが顔を真っ赤にして怒るのは当然だ。神崎の頭の形にへこんだトレーはむしろ僕の心をスッとさせた。


 人を叱れる女性はかっこいい。


「遅刻、セクハラ、お客様に迷惑をかけた分。何度言ったら分かるんですか? そういうことは控えなさいと何度も言っていますよね?」


「……ご、ごめんなさい」


「……まったく、ほら、早く着替えてきなさい。みんな待ってるわ」


 そそくさとバックヤードに引っ込む神崎をため息交じりに見つめながら「あれでも普段は良い子なんだけどね……」と明石さんは呟いた。


「僕の友人がすみません……迷惑をかけていないでしょうか」


「あはは、毎日あの調子よ。君は?」


「八重山兼人といいます」と答えて頭を下げた。


「よろしく。私は明石美香みか。この店のオーナーを任されてるわ」


「神崎は中学時代の友人なんですが、年上ばかり口説いて困ったもんです。少しは節操を身につけて欲しいと常々思ってるんですがね……」


「じゃあもう手遅れね。この店の女の子み~んな口説かれてるわ。もちろん全敗よ」


 明石さんはうふふと笑った。僕はなぜか恥ずかしくなって「……はぁ」と言った。


「君はしっかりしてるねぇ。うん、お姉さんは兼人くんみたいな子が好きよ」


「えぇ!?」


「うふふ、そんなに驚かないの。可愛い彼女さんがいるでしょ? なんだか喧嘩をしていたみたいだけど」


「そうですね……僕がハッキリと決めないのがいけないんです」


「ハッキリと……ねえ。私にはもう決まっているように見えるなぁ」


「え?」


 それはどういう意味かと聞こうとしたとき、タイミング悪く来栖が帰ってきた。


「ほら、彼女さんとしっかり向き合ってあげなさい。それが君のためになるわ」

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