第20話


 対決は多くの人の目には氷月さん優勢で進んでいるように見えた。しかし僕の中では違う。氷月さんと過ごせば過ごすほどそこにいない来栖のことが気になるようになり、他の男子に笑顔を向けているのを見ると無性に心が痛くなった。


 これが氷月さんであればどうなのだろうと考えてみる。氷月さんが他の男子に笑いかけ、氷月さんが隣にいない日々であれば、僕は心が痛くなるのだろうか?


 例えば男子に可愛いねと話しかけられありがとうと笑顔で返す氷月さんを想像してみる。けれど、それくらいの社交性は身につけてほしいと思うし、もし実現したら氷月さんが成長したと泣いてしまうかもしれない。


 仲の良い友達が増えるのは良いことだ。あるいはそれくらいピュアな好意を抱いているという事なのだろう。僕は氷月さんに好意を抱いているが、その想いを的確に表す言葉があるとしたら、それは友情という言葉をおいてほかに無い。


 氷月さんが別れようと言い出した理由を理解してもらうためには、僕と来栖がどのようにして仲直りしたのかを語らねばならないだろう。


     ☆☆☆


 その日は曇天だった。今にも雨が降り出しそうな空模様は全校生徒の気持ちを代弁しているかのよう。期末試験の1日目であった。僕は覚悟を決めて家を飛び出した。嫌な事はさっさと済ませるのが僕のやり方である。一人悶々としているよりは学校で静かに勉強しているほうがマシ。家に帰る時に浮足立っているか地を這いずっているかは神のみぞ知るところである。


 足早にバス乗り場を目指した。


 しかし目的地に着くころにはバスはもう待機しており発車する直前である。


「待ってくれーー! 僕も乗りまーーーす!」


 ドアが閉まるギリギリのところに滑り込む。その直後にプシューと音を立てて車体が動き始めた。スマホで時刻を確認するがやっぱりバスに乗り遅れるような時間ではない。いつもはもっと余裕があるのになぜなのだろうかと首をひねったが、しかし、間に合ったのだからそれでいい。


 車内をざっと見渡して空いている席に座る。が、僕はもっと周りを見るべきであった。少なくとも、いまもっとも選んではいけない席に座ってしまったらしい。僕が気づくよりさきに彼女の方が気づいてジトッとした目で睨んでいた。


「ふぅ……なんとか遅刻せずにすんだ。よし、学校に着くまでせめて英単語でも覚えておくか………ん?」


「………………………」


「…………やぁ、来栖。なぜ太ももをグーで殴っているのかはさておいて、挨拶くらいはしてほしいんだがね」


「……………どっかいけ」


「……なるほど。『ご挨拶』だな」


 僕が座ったのはこともあろうに来栖の隣だったのだ。氷月さんとの対決が始まってから来栖は僕を避けるようになった。初めのうちは目が合うと睨み返されるくらいだったからまだよかったが、最近では口もきいてくれなくなった。


 僕のそばを極端に避けるようになり、それとなく近くに行っても小動物的危機管理能力でふいと離れてしまう。


 来栖はふんと顔をそむけて言った。


「兼人さんと話す事なんかありませんから」


「なあ、何を怒ってるんだよ。僕が何をしたっていうんだ」


「別に怒ってなんかいません。兼人さんと話したくないだけです」


「それを怒ってるっていうんだろ……」


 冷ややかな声。聞く人の心胆を寒からしめるような絶対零度であった。


 来栖の困ったところはどこと言って、僕の事で怒っているときほど僕にどうにかしろと言うところであろう。可愛さ余って憎さ百倍というが、その人を信頼しているからこそ容赦なく怒り、お前のせいだどうにかしろと甘えてくるのである。


 そもそも来栖が怒りをあらわにすること自体が珍しいのだ。しかも彼女は妙に合理的な考え方をするからただ機嫌を取るだけでは治らない。そこに至った原因を解決しないでは彼女が怒りを治めることもないのである。


 ――――とはいえ、


 僕は深い息を吐いた。


「そろそろ殴るのをやめてくれるか? そんな趣味はないのに変な気分になってきた」


「―――――ッ! 変態!」


 にわかに興隆を見せる我がムスコ。来栖にはよく枯れているとからかわれるが、うん、まだまだ元気だ。「朝からSMプレイとは少々胃がもたれ……いってぇ!」


 バレー仕込みのスナップが効いた裏拳で腹部を殴り抜くと、来栖は腕を組んでそっぽを向いてしまった。


「こんなときばっかり興奮しやがって! もう知らない! 氷月さんに叩いてもらえばいいじゃない!」


「いててて……なんで氷月さんに……」


「――――ッ! ふん!」


 それから学校へ着いて、試験が終わって、下校時間になるまで、来栖は一言も口をきかなかった。


 ここまで嫌われているとなると、もはや原因が氷月さんとの対決にあることを認めねばならない。自分で言い出したことで何を苦しんでいるのだと思わないでもないが、しかし、女子とは気難しいものである。それは年上だろうと年下だろうと変わらず、しかも、年上の方が独占欲の裏返しが激しいのである。僕はむしろこの状況を楽しんでいた。


「来栖、おい、来栖ったら!」


「つーん」


「無視するな! これ以上無視されると困るんだよ!」


「ふ~~~ん、兼人さんは氷月さんがいるから平気ですよね? なんでそんな嘘をつくんですか?」


「嘘じゃない。本当に困るんだよ。こんな事は君にしか頼めないんだ」と、心の底から哀れを起こすような声を作ってみる。僕のかつての友人である神崎正輝はよくこうやってお姉さんを落としていた。


『君しかいない』とかいった弱みを見せる言葉は母性本能をくすぐるらしく、常に堂々とあることを信条に掲げる僕からしたら非情に屈辱であるが、しかし、それくらい切羽詰まった状況下に置かれているという事は理解して欲しい。(それに声を大にして言えない事だけど、拗ねて敬語になる来栖は可愛いかった)


「来栖しかいないんだよ」ともう一度言うと、なるほど、効果はあった。


「………………………」


 ジッと疑うような視線ではあるが、僕の方を見た。


 ここはもう一押しだと僕の心が告げる。今を逃したら二度と来栖は帰ってこないぞと告げる心の声に従い、不安げな手を取って走り出した。


「こっちへ来てくれ!」


「え、ちょ、ちょっと! どこへ!?」


 期末試験は午前で一区切り。自由に使える午後をフルに使って来栖と仲直りしようというのである。

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