第19話
『はあ~~~~落ち着く~~~~~。今日もめちゃくちゃ緊張したよ~~』
褒めて~~~~とベッドに寝そべっているような口調であった。
来栖と対決する事になって以来、氷月さんはずっと疲労困憊の様子だ。
『ここんとこずっとそんな感じだね。緊張していたんだ?』
僕が会話のきっかけを与えると彼女はするすると話し出した。
『そう~、だって、八重山と話してたらずっと視線感じるんだもん。あれぜったい元木さんたちが監視してるんだよ。アドバイス通りにやってるかどうか見てたんだ。そうに違いない!』
『それは僕も感じていたよ。厄介な事になったね』
『本当にね~~。ねえ、八重山になにか迷惑をかけてない?』
『別になにも無かったよ』
『よかったぁ……。元木さんがね、私はもっとしっかりしたところを見せた方が良いって言うんだ。八重山が年上好きならしっかりした女性が好きだろうって。間宮さんは間宮さんでからかってみるのが良いんじゃないかって言うし。でも、それって八重山が好きな女性じゃなくて、みんなの思う年上女性だよね。なにか変だってずっと思ってたんだけど、でも、せっかくみんながアドバイスをくれたんだからちゃんと聞いていないと悲しませちゃうし……』
と言いきって、氷月さんはまた口を開くのをやめた。ときおり「んふ〜~」と気の抜けた声が聞こえるがほとんど無言である。会話が続かないというよりはむしろこの時間を味わっているように思われた。
『氷月さん』
僕が名前を呼ぶと、猫が喉を鳴らすように『ん~~~~』と答える。
『氷月さん?』
僕がもう一度呼ぶと、『うん』と今度は比較的しっかりした発音で返した。
そうして少し間を開けた後、氷月さんの方から話し出した。
『八重山。今日の私をどう思った? なんか変じゃなかった?』
『変だったね』
『だ~~~~よ~~~~~ね~~~~~。はぁ………』
『どうしたの。何か気になる事でも?』
ゴソゴソとベッドに寝転がるような音が聞こえた。
『私、今のままじゃダメかもしれない』
ダメなのは付き合い始めた時からずっとだろうという言葉を呑み込んで、僕は「そんな事はないよ」とフォローしておく。しかし、あまり効果はなかった。
『ダメだよ。今日だってぜんぜんいつも通りじゃなかった。八重山が好きだっていうありのままじゃなかった。このままじゃダメ。来栖さんに負けちゃう』
『来栖に?』
『この間からずっと八重山の様子が変だった。よく来栖さんの方を見てた。私と話してるときは目を見てくれるけどさ。それ以外、授業中とか他の子と話してる時はほとんど来栖さんを気にしてたよ。それを意識しすぎてさあ、ぜんぜんいつも通りになれないの』
なるほど、よく見ている。
僕はたしかに来栖の事を気にしていた。どうしたらまた話しかけてくれるのか。もう僕の事を嫌いになったのか。そんなことばかり考えていた。
なによりこんな対決を仕掛けておいて何もしてこないというのが気がかりだった。そのせいで氷月さんに嫌な思いをさせていたら申し訳ないと思う。
『幼馴染かぁ……来栖さんって真っすぐでいいよねぇ。他の人だったらムッとくるような言葉でも来栖さんなら許せちゃうって言うか、灯台みたいにどっしりしてて暗い海でも安心って感じがする』
そういうところが人を惹き付けるのかなぁ……と氷月さんはため息をついた。
『そうかもな。しかしそれは来栖の良い所。氷月さんには氷月さんの良い所があるだろう? 君のあどけない表情も飾り気の無い言葉遣いもすべて君だけの美点だ。それを忘れて卑下するんじゃない』
『……嬉しい。ねえ、八重山を好きにさせないといけないのに、私ばっかり好きになってて困るんですけど。これ以上好きにさせないでくれる?』
無茶苦茶な事を言う、と思った。
『僕は思った事を言ってるだけなんだけど』
『そういうところが好きなんだって……ズバズバ褒めちゃってさ、私よりよっぽど飾り気ないじゃん……八重山の良い所ならいっぱい知ってるのに、なんで素直に言えないんだろう……』
『僕の? 僕なんて捻くれてるだけだぞ』
『そんなことないよ。……その、八重山に氷月さんって呼ばれるとドキドキするし……』
それは僕の良い所ではなく氷月さんの好意ありきなのではないか、と思った。
しかし氷月さんは僕の良い所とやらを伝えなければ気が済まないらしく「それに、それに……」と必死な様子で喋り続けた。
それはあたかも火にかけたやかんが沸騰するかのごとくであった。良い所は浮かんでいるのだろう。「目が……その、視線がね」とか「いつも堂々としてて頼りがいがあって……」とか、言葉の切れ端は聞こえるけれどどれも尻すぼみに小さくなっていき、反対に気持ちは肥大化していっているようだった。そしていつの間にか自分と僕とを比べていたようである。
人の思考とは面白いもので、小さなきっかけ一つで本人も予想していない方向へ簡単にねじ曲がってしまう。ただボーッとしているだけでも逸れてしまうのだから、多感な時期の女の子は巨大迷宮のように複雑な思考をしているものと思われた。
そんな恋する少女的ひとり相撲のはてに、ついに氷月さんは臨界点を超えてしまったようである。
通話口の向こうであわあわしていた声が不意にやんで、『………嫌い』と呟いた。
『えっ?』
『自分が嫌い。大っ嫌い。無理。嫌いすぎて無理!』
『ど、どうしたの氷月さん!?』
氷月さんは嫌い嫌いと何度も叫んだ。それはヒステリックというか、パニックを起こしたように見える。
『だって八重山はちゃんと私の事見てくれてるのにこれじゃあ私が八重山のこと見てないみたいじゃん! 褒めるの上手なところも喧嘩しても何もなかったみたいに話してくれるところも子供っぽい私を受け入れてくれるところも、ぜんぶぜんぶ好きなのに一つも言えないじゃん! 八重山はあんなに真っすぐ伝えてくれるのに!』
『……うん?』
『背が高い所もあたたかい笑顔も少し冷めたところも好きなんだよ……なのに、なんで言えないの? 意気地なし………私のバカ!』
『いや、言ってるけど?』
『……へっ?』
氷月さんは今にも泣きそうな声であったが、しかし、心配する必要は無いように思う。
『ぜんぶ、言ってるよ?』
『………………………』
『………………………』
少し間が空いた後、大絶叫。氷月さんは逃げるように通話を切った。
『大丈夫?』とラインを送ってみたが返信はなかった。どうやら今日はこれでおひらきらしい。
気持ちが募って周りが見えなくなるなんて若い時分にはよくあることで、特に氷月さんは恋をした経験がないのだろう。自身の気持ちに振り回されているように見えた。それを抑えろなんて言うつもりはない。むしろ、自分に振り回されている自分を自覚したときに人として一つ成長できるのだと僕は思う。
氷月さんは心配せずとも良いだろう。しかし来栖はどうなのだろうか?
あの冷めた表情は………来栖もまた傷を呑み込んでいるように思えて、僕は不安だった。来栖と離れて初めて分かったことは、彼女が僕にとって無視できない存在であること。彼女が隣にいて初めて僕の日常が成り立つということだった。
足場を失ったような不安だった。
氷月さんはそのことに気がついているのだろう。
僕の中で大きくなる来栖の存在に気づいて、僕の中に自分がいないことを悟ったのだろう。彼女の最近の暴走にはそういう理由があるのだと思われる。
腐れ縁だから来栖を贔屓するつもりはないけれど、恋人だから氷月さんを贔屓するつもりもない。
女性の好意を受け止めるのだから、僕の誠心誠意、真心をもって受け止めるべきである。その結果氷月さんを選ばなかったとしても、それは、仕方のないことであろう。
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