第15話
「氷月さん! こいつは私がいただくわ!」
来栖は教室に飛び込むなりそう宣言した。
氷月さんを囲んでいた集団は来栖のその宣言にどよめき、不機嫌そうに顔をしかめた氷月さんが集団の中心から姿を現す。
「えっと………来栖さん、だよね。いただくわって、どういうことかな?」
「そのまんまの意味よ。兼人の彼女になるのは私。あなたなんかには渡さないわ」
「………そう」
ジトッとした目で氷月さんが僕を睨む。「お前は何をしているのだ」と言わんばかりの眼光に総毛立つ思いがしたが、来栖はさらに強く抱きしめて「私に任せて」と囁いた。任せるもなにもすべて君のせいだと言いたかったが、今言っても無視されるだろうと思ってやめた。
「兼人の彼女の座をかけて勝負をしましょう」そう来栖は言った。
期限は夏休みの終わり。僕の彼女になった方が勝ちなのだそうだ。
「…………いいわよ。受けて立つ」
「そうこなくっちゃ」
僕からパッと離れると、来栖は氷月さんに向かって手を差し出して握手を求めた。女子同士のよしみで何か通じる所があったのだろうか。氷月さんもまた口元をキッと結んで固い握手を交わす。
ここに清き誓いが交わされた。これぞ青春。一人の男子を巡って甘酸っぱい闘いを繰り広げる事も大切な人生経験であろう。
「……なんて言えるか! おい! なに勝手に決めてるんだ!」
僕はたいへん憤慨した。ただ高校生活を平和に送りたいだけなのだ。いまやクラスの民意をほしいままにする氷月さんと元から男子人気の高い来栖が争うとなると、怒りと嫉妬に狂う男どもの手によって2人の決着がつく前に僕の命が無くなることは想像にかたくないだろう。
僕は断固反対したが、しかし、女子2人の圧には勝てなかった。
「兼人。これは私と氷月さんのプライドをかけた闘いなの。分かって欲しい」
「そう。私と来栖さんはいずれ相まみえる運命だったのよ」
「う………そ、壮大な言い回しをしても無駄だ! 僕は平穏無事な学校生活を守り抜くぞ!」
僕はじりじりと後ずさりをしながら言った。が、ふいに硬いものにぶつかる。掃除用具入れのロッカーだ。
「おい逃げるのか八重山!」「男らしくないぞ!」「美人2人に迫られてよく逃げられるな!」「ま、冷静に考えたら急に迫られると怖いわな」
2人の背後からヤジが飛んでくる。
どうやら旗色が悪いようだ。壁際まで追いつめられた僕に残された手段は、人混みをかき分けて逃げる事くらい。だけど、教室の入り口にはガタイの良い野球部連中が壁を作っており、あれを突破することは困難に思われた。
もはやこれまでとあきらめた時、来栖がとどめを刺しに来た。
「兼人。私ね、悔しいんだよ……?」
「え?」
「私だって、兼人に見て欲しかった」
さっきまでとは正反対の優しい声音に、ふわりとした身のこなしで、来栖は僕に抱き着いた。まるで真綿のような感触であった。
「兼人と仲良くなって氷月さんが可愛くなっていったみたいに、私が可愛くなっていくところも見て欲しかったんだよ。女の子は好きな人に可愛いって言われた分だけ可愛くなるの。私も、兼人に……」
「来栖……?」
「……………………」
来栖は何も答えず、僕の肩に額を乗せた。氷月さんもクラスメイトたちも息を呑んだようだが、誰も何も言わなかった。
来栖が全員の注目を集めていた。いまは彼女が主役であった。
「お願い。兼人の知らない私を知りたいの。私も知らない私を教えて欲しいの」
来栖は囁くように言った。
そんなことを言われてしまったら僕に断る事などできない。なにより、来栖の知らない来栖を見てみたいと思った。
素直になった彼女が何よりも可愛い事を、僕はよく知っていた。それは―――氷月さんには申し訳ないけれど―――勝負にならないくらいの庇護欲を起こした。
「分かった。ただし、腐れ縁だからって
僕は来栖の肩を掴んで引き離すと、そのまま、肩を掴んだまま来栖の目を見つめて言った。すると来栖も、目を見て答えた。「……………うん。嬉しい」
これでさらなる動乱の日々が約束されてしまったわけだが、人が成長するのに試練は付き物。その発端が女性からの好意であるなら、僕はそれを否定しない。人を何よりも輝かせるのが心である。そう考える僕に来栖の申し出を断る事などできなかった。
ところが、そんな決意をした僕とは裏腹に来栖はくるっときびすを返して、「
「はっ?」
「これでもう遠慮する必要はない! けんジィは一度言った事を掘り返されるのがなにより嫌いだから自分から
「え? おい……」
おへそが
「氷月さんのために教えておくけどね、けんジィってめっちゃくちゃ面倒見良いから、説得したい時は努力したい気持ちをしおらしく伝えると絶対に叶えてくれるよ。こんなふうにね」
「ふむ……幼馴染ならではの攻略法という事ね。でも私は私らしく八重山を認めさせるから」
「これで年上好きって言ってるのが信じらんないよねー。むしろ手のかかる子の方が好きなんじゃないかってレベルで面倒見良いんだよ」
「だから私の事も……?」
女子2人はもう僕の事など眼中に無いようだった。
承諾の返事さえもらえればそれで良かったのだろう。
騙された、と思わないでもないが、しかし、僕は
「そもそも、僕自身ハッキリさせたかったのだ。氷月さんの事をどう思っているか。これからどうするべきか僕自身迷っていたんだ。それらを解決する良い機会を得たと思おう……」
来栖は僕の事を知り尽くしている。
「なんでもいいけどさ、付き合った方が勝ちって具体的にどういう勝負になるんだよ。ちゃんとレギュレーションは決めてくれよ?」
こうなったらもう、僕が諦めるしかないのである。
☆☆☆
氷月さんから「別れよう」という申し出があったのは、その数日後のことであった。
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