第11話


 来栖木実の問題発言に言及する前に、氷月さんの学校での様子を語っておこうと思う。


 氷月凜は155センチの平均的な身長と細い腰回り。スラッと伸びた細い手足は硝子ガラス細工のように美しい。少し大きめのバスト(本人曰くDカップらしい)が男子の目を引き、制服のブラウスにピンと張る2つのテントを富士山のごとくありがたがるのである。


 登校してから授業が始まるまで彼女は一言も口を開かない。いや、下手したら1日口を開かない事すらある。彼女が口を開く時というのは授業で当てられた時に限るのである。


 その理由を氷月さんはこう語る。


「独りで過ごすのは好きな方だし、いっつも八重山と話してばかりいたらお互い疲れちゃうでしょ? 八重山にも友達がいて自分の時間が必要だろうから我慢してる。八重山とはいつでも話せるからね。それに女子は……あー、けっこうきつい下ネタ話すしね……みんな良い子なんだけどそれだけは勘弁っていうか……」


 人と関わる事は比較的得意らしいのだが、人から性的に見られたり性的な話を聞くのが耐えられないのだという。男子は分かるが女子もきついのか尋ねると、「男子は2次元。女子は3次元」と返ってきた。つまりリアルという事らしい。


 とはいえ学校のすべてが性的であるわけもなく、普通の会話なら大歓迎という事であった。しかし氷月さん相手に日常会話ができる人間などいないので、結果として常に独りなのである。


 能力と容姿ゆえに常に孤独。いや、孤独こそが至高のステータスなのだと言わんばかりであった。そのうえ頭も良いのである。


「氷月さんすご……ペア課題なのに1人で終わらせちゃった」


 現代社会の授業であった。日本と諸外国の政府の仕組みを調べ、その相違点について歴史的背景を踏まえて発表しろというものである。が、どうやら氷月さんは1人で調べ上げて原稿まで完成させてしまったらしい。ペアを組まされた女の子も戸惑っているようだが、氷月さんの他を寄せ付けない雰囲気に圧倒されて縮こまっていた。そして氷月さんはそれを無視して教科書を流し読みしていた。


 そういうところだぞ独りになる理由は、と僕は思ったが、そこは氷月さんが1人で解決するべき問題であろう。もし泣きつかれたら手を差し伸べても良いと思っていたが、こういうことは他人に言われても血肉にならないのである。


「よそ見するな、来栖。僕達はまだ調べはじめたところだろう」


「そうなんだけどさぁ、早すぎない?」


「他人に興味がないんじゃないのか? 孤独を苦にしてるなら自分でどうにかする人だと思うぞ」


「そうかもだけど~」


 来栖はどうしても気になるようだったが、僕は余計な悶着を起こしたくないあまりに少し厳しい言い方をした。そもそも人の心配をしている余裕がないのだ。


 僕は図書室から借りてきた古い本を来栖に押し付けながら言った。


「ほら、この時間で終わらなかったら宿題になるんだ。部活に影響出るぞ」


「うへぇ〜〜助けてけんジィ〜〜〜」


「僕も同じ境遇なんだ!」


 ピシャリと言うと来栖はようやくまじめにやる気になったらしい。目が滑る! と言いながらしばらくは手を動かしていた。


「…………ねえ、この間の女の人とはどうなったの?」


 しかし、来栖の集中は長く続かなかった。


「…………………」


「デートの報告、聞いてないよ」


 僕はノートから顔を上げて言った。「それは、今じゃなきゃ、だめか?」


「だって、気になって集中できないから」


「……………………」


 来栖はこうなると本当になにも手がつかなくなる困ったやつだ。僕はそれとなく氷月さんを見た。すると彼女もこちらの話に聞き耳をたてていたのか目があった。


「……SNSで知り合ったんだけど、騙された」


 僕はなんと答えるか迷ったが、考えた末にありそうな話を捏造ねつぞうした。


「あっはははははは!」


「笑うな!」


「だって〜〜〜、けんジィでもそんなことあるんだって思うと面白くって」


「だから言いたくなかったんだ」


 しかし来栖なりに心配してくれたのだろうか。デートはどうだったと尋ねたときは不安げに眉を寄せていたけど、僕が騙されたと言った途端に晴れやかな顔になった。


 まあ、ネットで知り合った人と会って酷いことをされる事案が絶えない世の中だ。来栖は知り合いが被害に遭って良い顔ができる人ではない。


「でも、よかったぁ。けんジィが変な人にたぶらかされたらどうしようって思ってたよ。年上好きだし、経験のない高校生なんてコロッと騙されるでしょ? さすがの私もやだよ~~」


「…………………」


 心底安堵したと言わんばかりの笑みを見せられてはさすがの僕も心が痛くなってくる。が、来栖は今の話を信用してくれたらしい。


 よぅし、そうとわかればチャチャッと終わらせますか! と、腕まくりをして資料と向かい合う。問題は、僕の隣で怖い顔をしている人だった。


「独り言は小さい声で言ってくれるかしら?」


「ひ、氷月さん!?」


「あなたたち、みんなの迷惑になってるってわからないの? 授業中よ」


「あ、ご、ごめんなさい」


 氷月凛が腕を組んで僕たちを見下ろしていた。悲しんでいるようにも怒っているようにも見える。さっきのデートの話を聞いて我慢できなくなったのだろうか。


 騙されたと言ったのはさすがにまずかった。


 しかし文句なら後でいくらでも受け付けるから今だけはやめて欲しいと思った。僕たちでやりとりすれば変なボロがでかねない。昨日までの氷月さんの様子を見たら僕の心配も納得していただけるだろう。気を抜いた氷月さんは幼子のように無邪気なのである。


 僕はわざとらしく氷月さんを突き放すように言った。


「さすが1人でぜんぶ終わらせる天才は言うことが違うねぇ。氷月様」


「なんですって?」


「見ろよ、元木さんのあの顔を。君が全部終わらせるから困ってるだろう」


「ねえいま氷月様って」これは氷月さん。どこか嬉しそうなのはなんでだろうか。


「言ってない! で、ペアの相手を困らせるような女王様が僕たちになんの用だ? こっちは授業の意図を汲んで協力している最中なんだがね」


「授業の意図……?」今度は来栖が聞いた。僕は適当に言っているのだから深く聞かないでほしい。


 私も聞きたい、と氷月さんは心なしか弾んだ声であった。


 早くもボロが出始めていた。


 このまま放っておいたら氷月さんの態度がふにゃふにゃになって僕たちの関係が疑われてしまうだろう。それはひいては出会い系アプリの使用が発覚することに繋がり僕たちは2人とも社会的に殺されてしまう。


 氷月さんはいつでも無邪気だった。良いことと悪いことの区別がつかない子供のように、風の吹くまま気の向くままの言動を何よりも尊重している。学校で独りぼっちなのも、独りが好きだからに他ならないのだと、この数日で新たに発見した。


 しかしそれでは困るのである。彼女は僕との約束すらも気分で破りかねないのだ。


 僕は頭を回転させてあること無いことまくしたてた。


「そう。わざわざペアで調べさせて発表させる理由さ。こんなの1人でも時間があればできるだろうに、なんで2人でやらせるんだと思う? それはね、発表の完成度以上に生徒同士の協調性と観察眼を見ているからだ。社会に出てからは、政府の仕組みの違いよりも人との協調性の方が重要になる。先生はそこまで考えてペア学習の時間を設けたんだ。そうですよね!」


 もうやぶれかぶれである。僕は思いつく限りのおべんちゃらをまくし立てた。これが本当かどうかなんて僕は知らないし、先生もカリキュラムだからやっているにすぎないのかもしれない。それに最後は何も思いつかなくて先生に話を振ってしまった。


 この場を収めることができたらなんでもいいと思って言った言葉であった。


 先生も大人なのだから上手い具合に収めてくれる。そう思っていたが、


「ええっ!?」と、先生も困っていた。


「えー、そこまで考えて取り組んでたの? 彼氏ながらカッコいい……」


「彼氏?」


 もはや崩れかけであった。頼むから耐えてくれ、氷月さん。


 僕は過ちを正したいだけなのだ。ただ平穏に日々を過ごしたいだけなのだ。


 平和な日々が過ごせるならなんでもいい。出会い系を使ったことがバレなければなんでもいいんだ。


 氷月さんは頬が緩むのを堪えられない様子である。僕たちの関係が露呈するのも時間の問題かと思われたが………


「素晴らしい!」


「へっ?」


「素晴らしいです八重山くん! その通り! 先生はみなさんに協調性を身につけてほしいと願っています」


 と、話し出したのは先生であった。若い女性の先生である。やはり年上は頼りになる。


 先生は我が意を得たりと言うように声高に演説を始めた。これは長くなるぞと教室のあちこちからうんざりしたようなため息が聞こえるが、この場がうやむやになったことで僕はホッとした。


「彼氏……氷月さんのけんジィを見る目………まさかね」


 しかし、勘の働く彼女こそがジョーカーなのであった。


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