第10話
会話をしないこと。目を合わせないこと。仲良くしないこと。それが僕たちの学校でのルールである。
僕には初日から破綻するのではないかと不安に思われたが、あにはからんや、氷月さんは完璧に普段通りを演じていた。
……うん、守っていたというより演じていたと言う方が正しいであろう。
氷の女王がごとき氷月さんの美しさはいつか記したと思うが、その人を寄せ付けない美しさが誰の目に見ても分かるレベルで軟化しているのである。
例えるなら極寒の吹雪がダイアモンドダストに変わるような、人を寄せ付けない美しさから人目を引く美しさへと変化したような、
来栖でさえ「なんか氷月さん可愛くなった?」と気づくくらいに大きな変化が現れているのである。
引き締まった無表情の頬には赤みが射し、人を見る目が柔らかくなった。しかし、相変わらず進んで人と関わるような事はせず、「氷月さん可愛いよなぁ、俺、告っちゃおうかなー」なんて軟派な気持ちで話しかけた男子を氷点下の眼差しで蹴散らすところは変わっていない。
その変化ゆえに氷月さんは普段通りを演じているようにしか見えなかった。
そして、普段通りを演じれば演じるほど、学校が終わってからのやり取りが子供のようになっていった。
『もうやだーーーー! 男子うざいーーーー!』
『どんまい』
だいたい8時から10時は通話に費やされる。時間が迫ると彼女の方から『いい?』というラインが来るのだ。そして、いいよと答える前に通話がかかってくる。この時間があるから頑張れる、と本人が明言しているとおり、氷月さんの声は跳ねるように明るく、甘えるようにシットリしていた。
『なんで急に話しかけてくるヤツ増えたのかなぁ……可愛くなっただの守りたいだのなに!? 私がそんなに弱く見えるの!? お前らもやしっ子に守ってもらう必要なんかなーーーい!』
『弱いというか……
『……ふぅん、年下扱いされてるってこと? じゃあダメじゃん』
氷月さんは拗ねたようだった。
『なんで? 年上だからこそ守りたいという気持ちもあるんだぞ。滅多に弱さを見せなくても、心のうちでは辛さを抱えているもの。そういう精神的なケアをしてあげたいと思うのが年上好きなのだ』
『……いままさに八重山にケアしてもらってる。なんでだろう、あなたには私の全部を見せても良いって思ってる』
『僕的には妹の愚痴を聞いてる感じだけどな……』
僕がそう言うと、氷月さんは「あーあ」と声をあげながら伸びをしたようだった。
『ありのままの年上感かぁ……やっぱりあのアプリ続けるべきだったなぁ……。結局大人っぽさを知るって目的は達成できなかったし』
『初耳だな。君も年上に憧れを持っていたのか』
『誰かさんが年上好きですからね!』
『誰だろうなー』
話は決まって学校でのことに始まり氷月さんの話に終わる。どちらかが意図してその方向に持って行くわけではないのだが、ふいに氷月さんが「私ってさぁ」と言い出したらもう止まらない。その日の会話の中で気になった事があれば、でも私ってとコンプレックスを語りだすのだ。そして僕はときおり相づちを打ちながら聞き続けるのである。
こういうところはむしろ大人っぽくて、僕は楽しんでいる。
『ゆめさん』と『ケンジ』として話しているときもそうだった。僕が年上と錯覚したのも彼女の自分語りが年上そのものだったためである。
精神的に幼い中学生や高校生は自身のコンプレックスを語りたがらないが、年月を経た大人は自身を肯定してもらいたいのだと僕は考える。あなたはそのままでいいと言って欲しいから弱さをさらけだすのであろう。氷月さんの自分語りはそういう甘えをふんだんに含んだものであり、僕の求める『ありのままの自分を魅せる』を充分に体現していると思う。
言うなればこれは大人の体験会場である。僕の脳内にはバーのカウンターに頬杖をついてカクテルを傾ける氷月さんの姿があった。(そしてそのまま桃色宿泊施設へと移動する……)これがもし実現すれば、僕は本当に惚れてしまうかもしれない。
昼間は赤の他人を装い夜は恋人のような長電話をする。しばらくの間はそれでうまく秘密が保たれていたのであるが、付き合ってから1週間経ったころだったろうか。
ペア学習をする授業で来栖と組むことになった。
「それで、例の人とはどうなったの?」
その一言が波乱を巻き起こすのであった。
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