第9話


「こっちこっちーーーー!」


 氷月さんの声が聞こえる。話し合いは対面で行われる事になり、親睦を深めたいと言う氷月さんの申し出(ワガママ)によってデート形式を採用することとなった。家族連れでにぎわう日曜日のショッピングモールだというのに声だけがやたらよく聞こえる。よくよく目を凝らしてみれば海に溺れるがごとき細腕が人混みから突き出しているのが見えた。


 僕が手を振り返すと、氷月さんは主人を見つけた犬のように人混みをかき分けて走り寄って来る。その恰好は昨日よりも瀟洒しょうしゃであった。しずく型のネックレスが際立つ純白のブラウス(胸元にフリルが付いている)に夏らしいジーパンの組み合わせは垢抜けている分、彼女の子供らしさが際立つ気がした。


 氷月さんの目の良さに呆れて僕は言った。


「よく見つけたね……」


「だって連絡バスで来るって言ってたから」


「なるほど」


 昨日の埋め合わせであった。昨日の事を氷月さんはひどく恥じているらしく、平身低頭謝り倒した挙句に今朝のラインの事も含めてお詫びがしたいと言うのである。


 親しき仲にも礼儀ありという言葉もある通り、いくらむつまじい仲になったとしても最低限の節度がなければ信頼関係は成り立たない。


「それで、今日はショッピングモールに何の用なんだい」と訊ねながら、僕は心の中で深い安堵を覚えていた。


 幼い一面ばかり見ていたがちゃんと分別があるのだ。自分を律する心があるなら、この先もなんとかやっていけるかもしれない。


「えっとねー仲直りのショッピングでしょー? 仲直りのジュースに、仲直りの映画! 仲直りの本屋さんも行きたいなー」


「……………」


 前言撤回。彼女は放蕩ほうとうの奴隷であった。


「……ま、いいけどさ」


 顔を輝かせて今日の予定を話す氷月さんは可愛らしかった。こんな彼女は学校ではまずお目にかかれない。それだけでも儲けものだと思う事にして、僕達はショッピングモールへと歩き出した。


     ☆☆☆


 ショッピングモールに住めるという人がいる。飲食店があり、服屋があり、寝具を取り扱う店があり、たぶんシャワーだってあるだろう。隅々まで行き届く空調もエンタメも揃っているここはあたかも小さな町であった。


 氷月さんは緩み切った頬で僕の隣を歩き、ときおり腕に抱き着いてくる。かようにふにゃふにゃした氷月さんを見たことがあるものは未だかつていないであろう。


「氷月さん……」


「なにー?」


「歩きづらいんですケド」


「ごめんーー」


 語尾がすべて伸びているように聞こえるし、心なしか舌ったらずなようにも聞こえる。今の氷月さんは気が抜けきっていた。普段の冷徹な様子はどこへやら。空気の抜けたバルーンアートのようにふにゃふにゃと僕についてくるだけのお人形である。


 むしろ普段の方が無理をしているのではないか? そう思わずにはいられないほど氷月さんはナチュラルであった。


 僕達はフードコートへと向かっていた。時刻は折しも昼食時で、同じようにフードコートへと向かう人波が確認できる。


「氷月さん、何か食べたいものはある?」


「食べたいもの……何でもいいよ。でも、服が汚れないヤツがいいな」


「じゃあ、オムライスとか?」


「うん、それで!」


 というわけで、僕は2人分のオムライスを頼んだ。氷月さんは場所取り係を買って出た。


「美味しい!」


「……うん、ここのは初めて食べたけど美味しいね」


「ねー。スクランブルエッグが上に乗ってるだけじゃんって思ってたけど、なかなかどうして味わい深いじゃないの」


「なんだよ、それ。オムライスを食べたことが無いのか?」


 氷月さんは実に美味しそうにご飯を食べるのである。一口ごとに美味しい美味しいと喜び満面の笑みを崩さない。そんな彼女と一緒だからか、今日のオムライスは特別美味しく感じられた。


「食べたことくらいあるよ。でも………」と、氷月さんはチラッと僕を見る。


「でも…………?」


「八重山と一緒だと、いつもより美味しいなって!」


 そう言って、白い歯を見せて笑った。


 それだけで胸がいっぱいになるようだった。


「そ、そう……それはなによりだ」


 おかしい。今日の氷月さんはいろいろとおかしい。明るすぎるしあんな恥ずかしい事を堂々と言う人じゃなかったはずだ。


「あ、あのさ! ショッピングモールを回る前に、明日からの事を話しておかないか?」


 このままだと彼女の雰囲気にのまれて僕までのほほんとしてしまいかねない。


「あ、そうだね。……と言っても、そんなに話すことも無さそうだけどなぁ」


「ないことは無いと思うけどな……」


「うーん……」


 ひとまず話題の方向を変える事には成功した。


「それに、ほら、いま話しておけば、残った時間は思う存分デートできるだろう?」


「あ、そっか、そうだね! じゃあつまんない事は今決めちゃおっか」


「大事なことなんだよなぁ………」


     ☆☆☆


『今日は楽しかったね!』


『そうだね。氷月さんがホラー映画好きとは知らなんだ』


『ホラーが好きというよりは血がドバッと出るのが好きなんだよね。真っ赤な血がブシャッてでるの、美味しそうじゃない?』


『………………』


『あれ、引いてる?』


 夜。僕はベッドに寝転がりながら氷月さんと通話をしていた。昼間も飽きるくらい話したというのに彼女はまだ話し足りない様子で、1を聞けば10を返すようにポンポンと話題を引っ張ってくる。


『あの約束を忘れてないだろうね』


 僕は不安になって念を押した。今日はそもそも明日以降のことを相談するために会っていたのである。氷月さんはクラス内でも特殊な存在である。誰とも交わらず、誰かと仲がいいわけではないのに、クラス全員に多大な影響力を持っている。そんな人と付き合うことになったのだ。小心者の僕が気をつけすぎるくらい気をつけるのは当然であろう。


 氷月さんはキョトンとしたのち、ああ! あれね! と言って笑った。


『やっぱり忘れてたんじゃないか! しっかりしてくれよ!』


『だ〜いじょうぶだって! 八重山との約束は守るよ。これからも仲良くしたいなんて可愛いこと言われたら守るしかないよ〜〜』


『そう、ならいいけど………』


 そんな可愛いことを言った覚えはない。僕はただこの関係がバレたらきっかけを追求されかねないと言っただけである。氷月さんはどうやら都合の良いように解釈するクセがあるようだった。


 それだけに今後のことが不安だった。


 デートの後に長時間の通話をするなど短期間で離縁する熱々カップルの代名詞的過ちではないか。しかも氷月さんはのぼせ上がっていて自分をコントロールできていないように見える。


 今日の姿を学校でも晒してしまった時は……僕の身にも危険が及びかねない。


『学校では会話しないこと。目も合わせないこと。仲良くしないこと。だったよね?』


『うん。僕らの関係が続くかどうかは氷月さんにもかかっているんだからね。頼んだよ』


『まっかせなさい!』


 降って湧いた幸運だなんて思わない。これは僕への試練なのだろう。


 なりゆきで付き合うことになってしまったとはいえ、1人の女性の好意を受け止めたということに変わりはない。氷月さんのことをおざなりにするつもりはない。別れる時まで良い彼氏でいるつもりだ。


 しかし、交際を続けるにあたっては氷月さんの協力が不可欠である。


『それでさ〜、八重山って年上好きって噂だけど、具体的にどういうところが好きなわけ?』


『うん?』


『や、その、これからのためにリサーチ………とか、しちゃったり? やっぱり、包容力があるところ? それとも色気? 八重山が積極的になってくれたんだもん。私も、八重山にとって良い人でいたいからさ……』


『…………………』


 僕は少し迷ってから2つ答えた。


『自制できるところと、ありのままの自分を晒すことを恥じないところ。人間性は当人の努力によってしか獲得できないものだから』


 1つ目は氷月さんに釘を刺す目的もあったが、2つ目は本当に魅力を感じるところである。特に高校生という年代はとかく背伸びをして、しかも当人はそれが板についていると思っている。僕に言わせればもっとも子供っぽい年代である。


 ありのままの自分を魅せる技術を会得した女性こそ美しいと思うのだ。


『ありのままの……わかった、このままでいいってことだね!』


『なぜそうなる。君はありのままが一番子供っぽいんだぞ』


『でも治さないからね。八重山が好きならなおさら!』


『別に……いいけど……』


 悔しいことにいまの氷月さんを可愛いと思っている自分がいた。しかし、僕の趣向からはもっとも縁遠い存在であることに変わりはない。

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