第6話


「急に手を繋ごうなんて……どうしちゃったの?」


「今日は来栖を女性として扱うと決めたから」


「そ、そう………」


 僕達は街へと向かうバスに乗っていた。来栖と校外で遊ぶなんてずいぶん久しぶりだが、目的はもちろんデートの練習である。場所やシチュエーションが人の印象を変えることはよく知られている事だけれど、こうして2人で街に繰り出してみると本当に来栖が恋人のように思えてきて、見慣れたはずの笑顔にさえもドキッとするのであった。


「な、なんか新鮮だね! こうやって……その、2人で出かけるなんて……」


「う、うん、そうだね………」


「………………………」


「………………………」


 あたかも付き合いたての奥手カップルがギクシャクした空気を醸し出すがごとく、僕達は顔を真っ赤にしてシートに縮こまっていた。


 会話が続かない。いったいどうしてしまったことか。


 僕はこんなデートがしたいのではない。むしろこんなデートになるのを阻止すべく来栖を頼ったのである。それだというのに、これがデートだと意識すればするほど言葉に詰まってしまうのだ。


 土曜日のデートにあたってやましい目的はあんまりない。主たる目的はゆめさんの悩みを解決する事。すなわち、男の人に慣れる事である。そのためにはまず僕が堂々としている必要があるのだが、来栖相手に緊張しているようではゆめさんにも笑われてしまうだろう。「まだ子供だもんね」なんて言われた日には舌を噛み切って死んでしまうかもしれない。


 それだけは避けねばならない。僕は思い切って話しかけた。


「な、なあ! 来栖……」


「はい! あ、うん、なに……?」


「えっと……えーっと……」


 しかし、やはり言葉が出てこない。会話の基本は言葉のキャッチボールだと言われているが、彼女にどんな言葉を投げかけてもすべて宙ぶらりんになってしまうような気がした。


 来栖自身もまた顔を赤くしていた。お互い手だけはしっかりと握っているが、頭はうつむきがちに、口はパクパクと何かを言おうとしてはすぐに閉じる。


 互いに互いを意識しすぎた結果であろうことは僕にも分かったが、それを理解するのと解決するのはわけが違う。


 しかし、これを解決するために来栖に手伝ってもらっているのである。もしゆめさんが来栖と同じ状況に陥った時に僕までドギマギしていてはミイラ取りがミイラになるようなもの。


「きょ、今日は行きたいところがあるって言ってたよな。それって、どんな場所なんだ」


 なんでもいい。来栖の言葉を引き出せる話題を探した。


「え、えーっと、カフェに、行きたいんだ」


「カフェ?」


「そう……なんでも、その……限定のパフェがあるらしくて……食べて、みたいなって」


「限定のパフェか……。うん、僕も甘いものは好きだ」


「ほんとう!?」


「あ、う、うん……本当……」


 甘いものが好きだと言ったとたんに来栖が顔を輝かせた。僕がどもったのはただ驚いたからである。


「じゃあ絶対にけんジィも好きだよ! あ、写真見る? たしかここに……あ、あったあったデラックスツインパフェ!」


 しかし、どうやら言葉を引き出す事には成功したらしい。バスが到着するまでの間、来栖はいつもの朗らかさを取り戻したように喋り続けた。


「これが甘くて美味しいんだってー」


「え、でかくない?」


「大丈夫! いけるよ!」


「一人でいく気か!?」


「うん! ………だめ?」



     ☆☆☆


 ところが、カフェに到着してメニューを見た時、僕はここへ来たのが失敗であったと悟った。


 来栖のお目当てであるデラックスうんたらかんたらパフェというのが、どうやらカップル限定のメニューであるらしい。普通のパフェの3倍はあるであろうクリームの山にハート型に加工されたストローが突き刺さっている。頂点には大粒のイチゴが飾り付けられていた。写真で見たときは普通のストローが刺さっていたはずだが、あれはデラックスパフェといって別のメニューであるらしい。


 なにやら限定という文字の前に不自然な間があったと思ったが、デートの練習で来ている手前、カップルと公言する事をはばかったのであろう。


 来栖はお伺いを立てるような上目遣いでテーブルの向かいから僕を見つめていた。


「えーっと、騙したわけじゃ……ないんですよ?」


「…………………」


「け、けんとさーーん………」


「いや、それはいいんだ。食べたかったんだろう? いいよ、食べよう」


「ほっ……」


 そう。別にカップル限定パフェを食べるのはいい。デートの練習に付き合ってもらっているのだから来栖にもメリットがあって当然。量はかなりあるけれど来栖が食べるというのならそれで良いだろう。それよりも問題なのがカフェのバイトの態度であった。


「お、八重山に来栖じゃん。2人ともどったの?」


「なぜ、君がここにいる。神崎正輝まさき


 僕が不機嫌になるのは仕方のない事であった。神崎正輝は僕の中学校からの知り合いであったが、彼はとても嫌なヤツだ。人をからかう事が大好きでよく僕を辱めて楽しんでいた。栗色の天然パーマに子犬のような瞳が人懐っこさを感じさせ、特に年上の女性に対して効力を発揮するのである。年上。主に20~30代の女性に気に入られやすい、とてもとても嫌なヤツだ。


 神崎は慣れた様子で水の入ったコップをテーブルに置くと、ずうずうしくも僕の隣に座りこんできたではないか。


「なぜってさぁ、見て分からんかね?」


「見て分からんから聞いているんだ」


「そうか、これを俺の口から話してしまうと八重山は嫉妬の炎に駆られてしまうかもしれないから死んでも言えないが……」


「いいから言え。この悪魔的お姉さんキラーめ」


 なんだよその悪口……、と嘆息して、神崎は店内をぐるっと見渡して言った。


「八重山。ここの店員を見て何か気づくことはないか?」


「………?」言われて僕も見渡す。見たところ店員のほとんどが女性のようだが……


「ここな、明石あかしさんという若い女性が経営しているカフェなんだが、その従業員が全員彼女の知り合いなんだそうだ」


「お前、まさか……」


「そう、まさしく俺たちにとってはお姉さんパラダイスなわけだ!」


「やっぱりかコイツ!」


 神崎もまた僕と同じく年上好きなのであった。出会ったばかりの頃はそれで意気投合して年上の良さを語りつくしたものだけど、彼が僕の家に遊びに来る目的が僕の姉と姉の友達であると気づいた時から彼とは疎遠になっていた。


 まさかこんなところで再開するとは夢にも思わなかったが、しかし、彼はあくまでもバイトの身分。いつまでもここで道草を食っていることは無いであろうし、彼とて怒られるようなことはすまい。


「ついに君もこのエデンに気づいたかと思ったが、なるほど、来栖と来たという事は、目的はコイツだな」


 神崎は得意げにメニュー表を手に取るとデラックスなんとかパフェを指さした。


「あ、そうそうツインパフェ! プチバズりしてて気になってたんだよね~」


「だろだろ? 考案者は俺なんだぜ」


「え~! すご~い!」


 来栖が喜んでいる。僕は本旨ほんしを忘れてはいけない。今日はデートの練習のためにここへ来たのだ。片方の勝手な都合で女性を悲しませるなど分別ある彼氏のやる事ではない。


「そのパフェとやらをくれ」僕は投げやりに言った。


「いいぜ。2人で食べるんだよな」


「そうだ」


「ふぅ~ん」


 神崎はバイトなのだから注文を受けたら調理場に伝えに行くのが仕事である。だからさっさと消えて欲しかった。このままここで話していてはデートの練習にならないばかりか面倒な事態になりかねない。


「なあ、来栖。一つ良い事を教えてやるよ」


「え、なになに?」


 ごにょごにょと神崎は何かを耳打ちして戻っていった。


 来栖の顔が火がついたように紅くなった。


「そうか……鎖骨が……」


「…………?」


 何か余計な入れ知恵をしたことだけは僕にも分かった。


 そして、神崎が何を入れ知恵したのかもすぐに分かった。


 来栖はツインパフェが届くとごくりと生唾を呑み込んで制服のボタンに手をかけた。


「あ、暑いな~~暑い……な~~~」


「………は?」


「暑いよね……ちょっとだけ、ボタン開けちゃおっかな~~~」


 わざとらしく手で扇ぎながらチラチラと僕を見る。隠されていた胸元がチラリと顔を出し、来栖の綺麗な鎖骨があらわになる。


「……夏、だしな」僕は何と答えてよいか分からず当たり障りのない言葉を返した。


「夏だもんね……えっと、へへっ」


「……………………」


 バスの中の雰囲気がぶり返したようだった。来栖は何かを意識していると見えて右に左に視線を動かし一つ所に安定しない。ときおりわざとらしく制服の襟を下げて鎖骨を披露したりもした。


「……冷たいうちに食おうぜ」


 僕がそう言うと来栖は慌てたように頷いた。


「えっ!? あ、あ、そうだね! 食べよっ」


「……何をさっきから挙動不審になっている?」


 僕はスプーンを持った。すると来栖も同様にスプーンを持ち、頭からかぶりつくようにパフェに覆いかぶさった。


 しかし、食べる事が目的では無いらしい。またしても僕の顔を盗み見て、目が合うと勢いよく顔を伏せる。ただ白い鎖骨だけが艶めかしく光っていた。


 僕が驚いていると来栖もどうしていいか分からずに黙り込むのだった。


「………………大丈夫か、頭」


「………大丈夫」


「そうか…………」


 彼女はこんなに面白い人間だっただろうか?


 僕の知る限りでは、こんな壊れた玩具のような挙動を繰り返す人間では無かったと思うが………


「あのさ」と、僕は思い当たった可能性を告げる。


「もしかして、神崎から鎖骨フェチとか言われなかったか?」


「―――――――――っ」


 ピタッと動きが止まる。そして、ダラダラと汗をかき始めた。目論見がバレたと焦りだしたのだろうが、僕に言わせれば彼女は神崎の操り人形であった。


「それ……アイツの嘘だぞ?」


「………………うそ?」


 来栖の手からスプーンがこぼれ落ちる。


「嘘」僕が念を押すと、来栖は魂が抜けたようにストンと座り込む。


「……………………」


 どこかで悪魔的な笑い声が聞こえてきた。


 それからは来栖が荒れに荒れて、デートの練習どころでは無かった。


 とりあえず、女性のフォローは伝え方が大切なのだと分かった。

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