よりみ、よりつけ、よりとらん

鈴ノ木 鈴ノ子

ヨリミ、ヨリツケ、ヨリトラン


「子供の頃、不思議な経験をしたよ」

そう言って、仕事あがりの喫煙室で同僚の彼が突拍子もなくそんなことを言った。

 先ほどまで話し合っていた雑誌の怪談物企画の延長線上で話を続けていたのだった。

「聞きたい?」

「ええ、というか、さっきの企画会議で話をしてくれたらよかったのに」

「いや、これはオフレコで頼むよ」

彼はタバコの灰を灰皿に落としながら、至極、真面目な顔をする。

「僕がヘビースモーカーと言うことは知ってるね」

「ええ」

今や肩身の狭い喫煙者、それでも彼は1日にタバコを2箱は吸っていた。死語となったかもしれないが、ヘビースモーカー、いや、チェーンスモーカーと言うべきか、吸っては戻りを繰り返す。

 普通なら「サボり」などと揶揄されるかもしれないが、私も所属する編集部、いや、この出版社で彼のそれを注意するものはおらず、『吸いに行ったらどうかね?』などと、あの厳しいことで有名な鬼瓦編集長が仏の様な顔をして勧めるほどだ。

当たり前だが仕事もできる、企画では長期のヒットを飛ばし、中にはその記事だけで売上部数を何ヶ月も伸ばしたりと、ちょっと真似のできないことをしているのも事実で、神がかっているとさえ噂されていた。

 

「これを実際に吸い始めたのが、大学2年生からなんだけど、理由があってね。ある時から悪夢に悩まされていたんだ」

 

「悪夢ですか?」

 

「ああ、悪夢だ。どんなものかと言えば、自分がひたすらに追いかけられる悪夢だよ」

 

「追いかけられるですか?」

 

「いや、かけられるというより、追い回されると言った方がいいかもしれない」

 

吸った煙を大きく吐きため息をついた彼の周りを煙が漂った。

 

「でも、追いかけられるなら追いかけてくるものは分かるんですよね?」

 

「ああ、わかる、女の子だ。小学校高学年くらいの女の子がニコニコと笑いながら来るんだよ」

 

「怖くないじゃないですか、手にナイフでも持ってるんですか?」

 

少し茶化して聞いてみた。子供が追いかけてるなんてそんなに怖い話じゃないと私は思えた。

 

「いや、右手に僕の頭を持ってるんだ」

 

「は?」

 

「だからさ、女の子はニコニコしながら僕の頭、つまり、頭部を持って追いかけてくるんだよ」

 

「頭部…ですか?」

 

「ああ、これだけだとわからないだろうから、小さい頃の話をしよう」

 

そう言って彼は灰皿にタバコを押し付けて火を消すと、次のタバコを取り出して火をつけた。

 

「あれは小学校2年生の夏休みだった。長野県下伊那地方にある川と山に挟まれた小さな集落に祖父母が住んでいてね。毎年毎年、そこへお盆休みに帰省したんだ。ちなみに親戚一同が帰省すると総勢で30人以上になったよ」

 

「それは凄い、今じゃあまり見かけませんよね」

 

  話を続けてもらうために相槌を打った。

 ポケットにこっそりとレコーダーが回っていて、あとで自分の書き物のタネにさせて頂こうくらいに浅はかな考えで録音していたが、それがいけなかったのだと思う。

 

「そこでは、黄金様こがねさまという、藁で拵えた人形、ああ、スマホぐらいの小さな人形をみんなで作ってね、それを居間に飾る風習があったんだ。そして、それを精霊送りの日ではなく、自分たちが帰る日に近くの川へ流していたんだよ」

 

「帰る日?精霊流しではなくて?」

 

「ああ、帰る日だ。朝にその人形を持って近くに川に行き、そしてそれを川に投げ入れる。ただそれだけ」

 

「変な風習ですね」

 

「ああ、僕もそう思ってね、親父やお袋に聞いてみたんだけど、ただ一言、必ずやりなさい、と言われるだけだった」

 

「なるほど、あるあるですね」

 

こう言った風習が残る場合の両親の定番の答えだ。きっと事情は知っているが迷信か何かで話すこともなく、やっておけ、と言った感じだろう。

 

「まぁね、話を戻すけど、小学校2年生の夏に祖父母の家で事件が起きた」

 

「事件?」

 

「いや、そんな派手な事件じゃないよ。仏壇の古い位牌が一つ消えたんだ」

 

「位牌・・・ですか?」

 

「うん、古すぎて誰のかわからない位牌だったんだけどね」

 

「そんなに古い・・・」

 

「うん、まぁ、他の荷物の金品も同じように盗まれてしまって、みんな疑心暗鬼になってね、祖父母の家がギスギスしたよ」

 

「そりゃそうでしょね、そんな中なら・・・」

 

「その日の夕食はみんな静かに取って、それから寝たんだけどさ。真夜中に異変が起きた」

 

「異変?」

 

「ああ、異変、家の前で、大きな子供の声でね「よりみ、よりつけ、よりとらん」と叫ぶ奴いたのさ。もちろん、みんな寝静まってるし、そんな声の子供もいない。全員驚いて飛び起きたよ。なんだなんだと皆で大座敷に集まるとさ、祖父母が大慌てで静かにするように言ったんだ」

 

 唇に人差し指を当てて彼がそのときの仕草を真似たようだった。

 

「そこからどうなったんです?」

 

 私も2本目の煙草に火をつけて急かすように聞いた。

 

「ああ、祖父母はそのまま仏間に言ってお経を唱え始めてね、そうなってしまえば右へ習へで大人も子供もついて行って、右から左に経を読み始めたよ。真夜中の電灯の下で30人ほどが経を読み上げる様は異常な光景だった。でも、「よりみ、よりつけ、よりとらん」と言う声は、祖父母の家の周りを回り続いてね、夏場の田舎だから窓も開け放してあって日差し避けの葦簀も下がっているのだけど、電灯の光が反射する葦簀の外を小学生くらいの人影が通り過ぎていくのが見てしまったよ。楽しそうに通り歌でも歌うように歩いてたようだった」

 

「それがもしかして…」

 

「うん、多分その影がね、夢に出てくる子供だと思う。一睡もしないで朝を迎えて陽が差し込んで来た時、声は収まるだろうと皆が安心した矢先、僕はみんなから離れて葦簀から差し込んでくる陽の光を見にいくと、目の前に背の高い子供の影があってね、声が聞こえたんだ」

 

「さっきの歌みたいなやつですか?」

 

「いや、違う違う」

 

 先輩が手をパタパタと降って、吸い終わった煙草を灰皿に捨てると、すぐに新しい煙草に火をつけて吸い始めた。

 

「女の子の声でただ一言、見つけたってさ。太陽の光が差し込んで来ているのに、部屋の中にいる僕の影が葦簀に写る訳がないから、それはすぐに自分じゃないって分かったよ」

 

「じゃ、じゃぁ」

 

「そ、多分、そこで取り憑かれた。そのまま気を失って倒れて、次に目覚めたら飯田市内の総合病院のベッドの上った。結局、そのまま僕は家族と帰って祖父母宅に行くことも無くなったのだけど、そこから不可思議なことが起こり始めてね、最初は家の中で女の子の影を見かけたりするだけだったんだけど、翌年には誰も飲んでいないのにコップが出ていたり、その翌々年には部屋の電気が勝手についたりして、僕が歳を重ねる事に怪奇現象が増えてきた」

 

「取り憑いたものが成長してるってことですか?」

 

「その通り、霊能者の方に見てもらったこともあるのだけれど、どうやら、僕に着いたのは神様の系譜に連なるものらしくてね、祓うことはできないらしい。悪夢をたまに見るって言ったでしょ、男だから夢の中で立ち向かって行ったこともあったけど、翌日から40℃の高熱を出して数日間寝込む羽目になったりした」

 

「じゃぁ、逃げ回るしかないですよね…」

 

「うん、6年生くらいまでは必死に逃げていたかな、中学になってね、ふと、公共放送で妖怪や幽霊などの特集をしていた時に、修験者の人が煙草を吸いながら、煙に祓う力があるので煙草を吸うのです。みたいなことを言っていて夢の中で見よう見まねで想像して吸ってみると、女の子は笑顔からすごく嫌悪する顔になって追っかけて来なくなった」

 

「じゃぁ、悪夢の時の対策はできるように…」

 

「そう思ったんだけどね、やっぱり僕が成長すれば相手も強くなるんだろう。夢では煙を嫌がるから、此方側へとしっかりとした姿を表すようになったんだ」

 

 背筋がぞくりとした。此方側へ姿を見せると言うことは顕現し始めているということに他ならない。

 

「えっと、それって…」

 

「うん、大学2年生の夏休み、バイトの帰りに夜道で夢に見る女の子に追いかけられた。もう、見た瞬間に分かったよ。ああ、あの子だって、顔も姿も変わらない、そのままの女の子が小刀を持って追っかけてきた。死に物狂いで走って、走って、走って、お寺に逃げ込んでね、そのお寺の和尚さんが相談に乗ってくれたんだけど、門前にいる女の子を一眼見て、あれは誰にも無理じゃ、相手などできん。と言われちゃってさ。仕方ないと思って和尚さんの持っていた煙草を貰ってさ、火をつけて試しに吸ってみたら、途端に女の子が姿を消してね、それ以来、煙草を手放せなくなったんだ」

 

 脳裏に薄暗い夜道の電柱したに立ち、小刀を持った不気味に笑う女の子がなんとなく想像でき、その子が追っかけてくる姿を想像してゾッとする。普通の女の子ならいいけれど、それは間違いなく彼方側の者なのだ。捕まったら殺される以上に何をされるか分かったものではない。

 

「夜明けまで匿って頂いて事情を聞いて貰い、和尚さんが哀れに思ってくれたのか、朝食を出してくれて、知り合いの別寺の和尚だとか宗派のお偉いさんとかに相談して聞いてくれたお陰で、ようやく、その女の子が何者なのかまでは分かったんだ」

 

「え、正体がわかったってことですか?」

 

「うん、黄金様こがねさまてのは、どうやら浮浪神だったらしくてね、流離の果てに先祖が住んでいた祖父母の家のあたりに住み着いたみたいなんだ」

 

「浮浪神ですか?」

 

 聞きなれない言葉だった。そんな名前の伝承も神様も知らない。

 

「ああ、身の置き場のない神様とでも言ったほうがいいのかな、祀られることもなく、ただこの世に存在している神様、そしてようやく祖父母の住処あたりに落ち着く場所を得たらしい。藁人形を流して帰るのは遊び相手に混じって神様も遊ばれることがあるらしくてね、そこで帰る時に遊び相手に困らないようにと、連れて行かれないように、依代で流していたようだ。帰る途中の車内で母から聞いたんだけどね、親戚にいた不良の高校生の叔母さんがさ、悪戯心で事件の前日に僕の人形と古い位牌を川に流しちゃったんだって、それで神様が気がついたんだろうね、直に確認しにやってきたんじゃないかってことらしい」

 

「じゃぁ、黄金様って人形の本当の意味は、

 

「そう、その通り、そして「よりみ、よりつけ、よりとらん」も、考えてみたら、きっと黄金は稲のことじゃないかなと思ってさ、だから、「より実、よりつけ、より取らん」て事じゃないかと思うんだ、煙を嫌うのは燃えるのを恐れているんじゃないかと思うのだけど…」

 

「な、なるほど…」

 

 背中を冷たい汗がスッと伝い落ちていく。

 私は彼が言った意味とは全く違うことを想像してしまっていた。


 寄り身、寄り憑け、寄り獲らん、ではないかと。


 煙草の煙はきっと修験者の言っていた祓いに近いものがあるのだろう。だからこそ、今まで彼は生きながらえて来れたのだ。彼が煙草を吸えなくなった途端、きっと依代を失ったその身は、女の子に憑れ、流れる人形のように獲られるのではないかと。

 その確証を得るためには一つだけ確認しなければならない。


「その、祖父母のお宅や親戚の方々はお元気なんですか?」


 彼は残念そうに首を振った。


「僕が帰ってすぐに山崩れが起こってね、巻き込まれて皆んな絶えてしまった。それ以外の親族も私が成人してすぐに父と母も皆んな死んでしまってるよ。私だけが生き残ってるかな」


 私の予想は当たったようだ。

 土地神様を失った土地が無事に過ごせるはずがない。それに依代の人形の事が分かってしまい、神様のお怒りで流されたのだろう。

その家計が途絶えることもあり得るだろうか。


「さて、そろそろ、帰ろうか」


 彼がそう言って立ち上がって背伸びをした。時計を見ればいつの間にか1時間近く話し込んでいたようだ。


「ああ、そうそう、この話をしてしまった人には、そのうち女の子が見えるようになるかもしれないから、そうしたら僕に煙草に行くように言ってくれる?最近、隠れるのが上手くなってきて見つけるのが難しいんだ」


 その立ち上がった彼の先に着物姿の日本人形のような女の子が見えた。

 おかっぱ頭で髪の毛で目元は窺い知れない、口元に歪んだ笑みを浮かべていて、静かにとでも言い表す様に唇に人差し指をそっと当てている。

 彼が先ほどした仕草を真似て楽しんでいるようにも見受けられた。


「あ、あの、もう一本目くらい吸いましょうよ」


「え、じゃぁ、お言葉に甘えて」


 私の咄嗟の一言に女の子は膨れっつらをして彼が椅子に座り直すと同時に姿はかき消えていた。


 すぐ隣にまで迫っていたのに気がついていない。

 タバコの煙も力を失い始めたのだろうか、いや、慣れてきてしまったのかもしれない。そうなればきっと彼は長くないだろう。私がそう思った途端、耳元で声が囁いた。


『よりみ、よりつけ、よりとらん』


 童謡を唄うかのような拍子で、警告を与えるかのような声色で囁かれ、私は崩れ落ちて意識を失ったのだった。次に目を覚ますと、病院のベッドの上だった。あれから数ヶ月が過ぎていて、彼は鬼籍の人となったと聞かされて驚いた。通り魔に襲われて首を切られて見つかったのだそうだ。


もちろん、冥福を祈ったのは言うまでもない。


すぐに気がついたことがある。


私もまた女の子の人影を見るようになった。

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