大淫婦(1)




 ぽた、ぽた、なんて。

 もしも地上なら血が床を汚していたのかもしれない。

 だけど、ここは宇宙エレベータ〈ネオアームストロング〉の最上階。宇宙空間の中にある管制室。


 


 オレの胸には手刀によって穿たれたアナがあった。

 超微細機械ナノマシンが心臓を修復しようと足掻くが、蘇生は叶わない。数十分の延命は叶うかもしれない。だけど、それだけだ。


警告アラームシステム管理者アドミニストレーターの致命傷を観測しました。案内インフォメーション、通報しましたので救急隊が一時間ほどで到着すると見られます』


 〈MAI:SoNマイサン〉が救急隊を呼んだようだが、きっと間に合わない。地上から駆けつけたとしても、100km以上の距離があるのだから。

 そして、一時間以上延命できたしても逃げられるとは思えない。目の前の魔女がそれを許さないだろう。

 〈ネオアームストロング〉には対スペースデブリ用など、たくさんの兵器が搭載されている。だが、それは外へ攻撃する為の兵器で、中に入られること──それも管制室の中──は想定していない。

 神託機械ハイパーコンピュータの〈MAI:SoNマイサン〉も、こうなってしまえば無力だ。



 でも、そんなことはどうでも良い。

 オレの余命なんて関係ない。

 何よりも知るべきことが目の前にあった。



「かみ、さま……?」

「ええ、そうよ。言ったでしょう? カミサマは存在するって」



 〈大淫婦〉ベイバロン。

 それが目の前の魔女の名前だった。


「…………うそだ。ウソに決まってる」

「嘘じゃないわ。貴方もバキュームとの戦いで知ったでしょう? 『第三の魔術』は神そのものをシステムに組み込んでいる」

「それが……ベイバロンだって?」

「そうよ。1999年にわたくしは三賢者の手によって囚われた。『射精魔術』はクロウリーの性魔術が基礎となっているのだから、相性の良いセレマ宇宙論における快楽の女神が選ばれたのでしょうね」


 嫌そうな顔で、ベイバロンは皮肉げに嗤う。


わたくしには愚かな人間サルの精神的な熟達を導くという権能があるわ。クロウリー風に言うならば、深淵アビスを渡らせる権能かしら。魔術師はその工程を経ることで、生命の樹セフィロトを駆け上って神の領域に至るの。賢者共はそれを利用したのよ」

「…………?」

「分からないかしら? わたくしには人を神に近づける力があった。だから、魔術師に神の力を与えるだけの機械にされたのよ」


 だからこそ、ベイバロンは神だとも言いたげな表情。

 だけど、それはベイバロン=神を成り立たせる式であって、ヴィルゴ=ベイバロンを証明している訳じゃない。


「テメェが、……カミサマってんなら…………ハーレムに、他人の魔力に頼る必要なんかねぇだろうが。テメェがカミサマならッ、自分の力で何でも出来るんじゃねぇのか⁉︎」

わたくしが万全なら、ね。けれど、わたくしのカミサマとしての力は全て『射精魔術』に取り込まれているわ。だからこそ、取り戻すには正攻法しかないのよ」

「……正攻法、だって? これが……?」

「ええ、勿論。わたくしの権能が差し押さえられているから、人類サルと同じようにハーレムを掻き集めて自分の力を『射精魔術』で引き出しているのよ」


 『射精魔術』を経由して神の力を引き出しているってことか。

 なら、カミサマがこんな風にスケールダウンしていても仕方がない、のか……?

 いや、でも………………


「…………なら、見せてみろよ」

「何を?」

「証拠だよ。テメェが神だって自称するのなら、それを信じられるだけの証拠を見せてくれよ」

「わざわざ貴方に付き合う気はないわよ。わたくしの儀式は直ぐに終わ──あらら?」


 想定外の何かがあったのか、ベイバロンは首を傾げる。

 そして少しした後、何かに思い至ったように眉を顰めた。


「あのクソジジイ……

「クソジジイ……?」

「〈最強〉とか名乗ってるが高い人間サルよ。わざわざ正面から挑んできて何のつもりかと思ったら、わたくしへの妨害を仕掛けてたってわけね。お陰で肉体アバターも地脈もグッチャグチャだわ」


 フォッサマグナか……‼︎

 オレは全身全霊を賭けて戦っていたが、フォッサマグナはオレの背後にいるコイツに嫌がらせを仕込みながら戦っていたのか。

 わざわざオレ達を奇襲することなく正面から戦いを挑んだのも、戦闘前に天災を引き起こしたのも、フォッサマグナが倒れた時のための細工だったのかもしれない。


 ベイバロンは溜め息を吐いて、呟いた。


「これだと10分くらいはかかるかしら……仕方ないわねぇ、証拠を見せてあげるわ。宇宙そらを見てくれるかしら」


 最上階の壁や天井はガラス張りみたいに透き通った素材で出来ている。

 つまり、宇宙そらに囲まれている。

 そんな宇宙そらが今────



「──は?」



 ────

 正確には星々が、地球を中心として回転している。

 まるで大鍋の中で掻き混ぜられるように、無数の恒星ほし宇宙そらを泳ぐ。


 そんなの、あり得るはずない。

 夜空に浮かぶ星々は数光億年先にあるものだって多く、たとえ本当に星を動かせたのだとしてもその光が動く筈もないのに。

 それなのに、恒星ほしの軌道が宇宙規模の魔法円を描いていく。


 宇宙それは魔女の大鍋であり。

 世界それは女神の子宮であった。


「なんだ、これ……⁉︎」

「これ? フォッサマグナが阻止しようと足掻いていたモノ──

「なん、で? どうやって⁉︎」


 余りの巨大さ、そして神威に畏敬を覚える。

 知らず知らずのうちに唇が震え、問いかけは途切れ途切れに吐き出された。


「なんで、なんて。決まっているでしょう? 人間サル共に見下されるのが気に食わないから、わたくしから力を取り上げて射精し続ける魔術師オトコ達が生理的に受け付けないからよ」

「…………それならッ、人類を絶滅させる必要なんてないじゃねぇか‼︎ 魔術師だけを止めれば──」

「………………え?」


 淡々と。なんてことないように。

 魔術を極めた先に存在する神は告げる。


わたくしだって、人間サル全員に恨みがあるわけじゃあないものね。一人一人プチプチ殺していくのも面倒だろうし」

「だっ、だったら…………」

「…………テメェは、何をするつもりだ?」


 魔術師を殺すモノ。

 『第三の魔術』が使えなくなるモノ。

 尚且つ、人類が絶滅しても可笑しくないモノ。


 嗚呼ああ、もっと早く気づくべきだった。


「『射精魔術』は男しか扱えない、女が代替魔術ディルドを使っても大した効果は望めない。?」


 

 『第三の魔術』に必要不可欠な術式。

 『射精魔術』と深く結びつくモノ。



「〈魔術決闘ペニスフェンシング〉──⁉︎」




 ◇◇◇◇◇◇



〈ルール参照〉



◆規則の七。敗者は約一日間魔力枯渇テクノブレイクに陥ると共に、雌奴隷に変えられ、勝者に命を委ねる。




 ◇◇◇◇◇◇




 決闘に勝ち続ければ理論上は可能かもしれない。

 だけど、それは実質不可能だろう。

 『射精魔術』を使う魔術師は世界に5万人存在するのだから、それを可能にするには5万連勝する必要がある。


 加えて、そこまでやってもハーレム50000。

 ハーレム3000000の足元にも届かない。

 余りにも桁外れすぎるのだ。


 フォッサマグナですらハーレム15000だった。

 ハーレム3000000なんて夢のまた夢。


 しかし、神はこう告げる。



「あら、たった数日で随分と魔術に染まったわね。だけど、もっと身近にあるでしょう? 人間を女体化させる現象が。



 咄嗟にオレは自分の体を見下ろした。

 失ったチンコ、膨らんだおっぱい

 さて、オレが女体化したのはなんでだっけ?



「────TS……⁉︎」



 TS病。

 正式名称は、突発性性転換症候群。

 原因不明とされていたそれの正体は、ベイバロンが産み出した魔術式細菌兵器だった。

 フォッサマグナが人類の絶滅を危惧したのも無理はない。TS病によって世界から男性が消滅すれば、人口は増えることなく右肩下がりで減る一方なのだから。


 最新の『科学』で治療法が見つかる筈もなく、今や男性の0.05%が罹患している。

 0.05%と聞くと少なく思えるが、今の世界総人口が100億人で、男性がその半分の50億人いると考えれば、世界中に250万人は患者がいる。

 自己申告していない人も含めればもっとだ。想定される患者数は300と言われている。



 ──



TS⁉︎」

「あら、気づくのが早いわね。そして、初めに貴方が言っていた〈魔術決闘ペニスフェンシング〉もあながち間違いじゃあないわ」

「……………………ホルモンバランスを崩して性転換させるウイルス、ッ⁉︎」


 盲点だった。

 考えたこともなかった。

 だけど、ヴィルゴは確かに言っていた。


 代替魔杖ディルドの条件とは。

 一つ、魔術師の魔力が篭っていること。

 二つ、棒状であること。


 それは魔杖ペニスも同じ。

 




 ◇◇◇◇◇◇



〈ルール参照〉


◆規則の六。魔杖ペニスの破壊が敗北の証となり、元から魔杖ペニスを持っていない場合は代替魔杖ディルドやそれに類する物が魔杖ペニス扱いとなり、それも無ければ自動で敗北する。




 ◇◇◇◇◇◇




 、〈


「いっ、いや! だけどッ、〈媚薬香水チャームフェロモン〉はどうやって用意した⁉︎ 決闘空間の構築には宣誓おまじないだって必要だろう⁉︎」




 ◇◇◇◇◇◇



〈ルール参照〉


◆規則の一。決闘空間は挑戦者の宣誓と、媚薬香水チャームフェロモンの充満によって展開される。




 ◇◇◇◇◇◇




「知らないの? 病気が原因で体臭が変わることがあるわ。昔は臭いを嗅いで病気を特定する嗅診ってものがあったくらいよ」

「────あ」

TS


 そういえば、TS病の症状の一つに性的興奮を高める作用があった。

 あれはTS病を粘膜接触──性感染によって効率よく流行はやらせる為の効果などではなく、体臭が〈媚薬香水チャームフェロモン〉と同じになったが故の副作用だったのだろう。


「加えて、細菌が電気信号でコミュニケーションを取っているという話も知っているでしょう?」

……⁉︎」


 オレも、誰も彼も、宣誓を言わされていた。

 自分ですら気づけないほど微弱な電気信号が微かに声帯を震わせ、可聴音域外の宣誓が為されていた。


「もう一つは聞かなくていいのかしら? 対戦相手は視認しないと指定できない──そこも矛盾点だと思うけれど」




 ◇◇◇◇◇◇



〈ルール参照〉


◆規則の二。対戦相手の指定は、挑戦者が決闘空間内にいる相手を宣誓時に視認することで決定される。




 ◇◇◇◇◇◇




「……そっちは大体見当がついてる。?」



 使い魔ファミリアの発光バクテリアと視界を共有する魔術。

 TS病のウイルス一つ一つが魔女の使い魔ファミリアであるならば、ウイルスに罹患した感染者を視認することなど容易い。


「その通りよ。TS病ウイルスはわたくしの魔女の大鍋──子宮の中で育んだ自慢の子供達だわ」

「…………疑問点が一つ解決されたよ。ずっと思ってた、結局『横紙破りルールファック』は何だったのか。なんでオレとテメェが同一視されてるのかって」

「その答えは?」


 やっていた事はバキュームと同じ。

 彼女はクローンソーセージの体内にある微生物を摘出・培養し、それを弾丸にコーティングすることでクローンソーセージ本人だと同一人物判定を誤魔化していた。

 同じように、ベイバロンの胎内にある細菌がオレの体にもあったため、オレとベイバロンは同一人物判定されていたのだ。


 これで疑問点は無くなった。

 けれど、新たに一つ疑問が生まれる。


「なぁ、ベイバロン」

「どうしたのかしら、セージ」

「テメェの目的は人類から男を無くすこと。その為にTS病を流行はやらせた」

「それが?」


 これは今までの前提条件。

 だけど、元々の話は何だったか。



⁉︎」



 宇宙規模の魔法円が目に入る。

 TS病を流行はやらせるだけならオレに接触する必要はなかった。

 きっと、まだ何かがある筈なんだ。それを聞くまでは、オレはまだ死ねない。


「……わたくしの目的は『射精魔術』の根絶よ。男の消滅さえわたくしにとっては一つの手段に過ぎないわ。だけど、わたくしは確信しているわ。TS病のウイルスは『射精魔術』を滅ぼせないって」

「……何故?」

「言わなかったかしら? 使


 

 魔除けの術式と同じく、意識せずとも魔術師が常時展開している魔術の一つだ。

 TS病ウイルスのような人間に害のある細菌は即座に死滅させられる。


「だったら、新たに産み出すしかないでしょう? 

「どうやって……⁉︎」

「やり方は簡単よ。宇宙そのものを魔女の大鍋──わたくしの子宮と『類感』させ、そこで産まれたウイルスを対流に乗せて宇宙から地球へばら撒くだけ」

「……………………宇宙生物学アストロバイオロジーか‼︎」


 例えば、インフルエンザは世界各地で多発的に流行する。この謎を解決するのが、インフルエンザは宇宙が起源であるという説だ。

 病原体が宇宙から地球に侵入する際に、対流に乗って地球へ降り注ぐことで複数の場所で一斉に感染が起こるとされる。


宇宙そらヌイトの領域、地球ほしハディートの領域よ。それは前にも言ったわよね?」

「…………セレマ宇宙論だっけ?」

「ええ。であれば、こうとも考えられるのでは?」


 神託が下る。

 魔女は告げる。






 ◇◇◇◇◇◇



〈Tips〉


◆ベイバロンとは、セレマ宇宙論において女性の性欲衝動を司る女神。ババロン、緋色の女、太母グレートマザーとも。

◆誰も拒絶しない神聖娼婦と考えられるが、同時に処女でもあり、しかし全ての肉体の母でもある。

◆星幽界に存在する神であるが、物質界に肉を持った化身アバターとして顕れることもでき、その化身アバターは緋色の女と呼称される。ヴィルゴも緋色の女の一人。



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