大淫婦(1)
ぽた、ぽた、なんて。
もしも地上なら血が床を汚していたのかもしれない。
だけど、ここは宇宙エレベータ〈ネオアームストロング〉の最上階。宇宙空間の中にある管制室。
破裂した心臓は無重力の中を浮かんで漂う。
オレの胸には手刀によって穿たれた
『
〈
そして、一時間以上延命できたしても逃げられるとは思えない。目の前の魔女がそれを許さないだろう。
〈ネオアームストロング〉には対スペースデブリ用など、たくさんの兵器が搭載されている。だが、それは外へ攻撃する為の兵器で、中に入られること──それも管制室の中──は想定していない。
でも、そんなことはどうでも良い。
オレの余命なんて関係ない。
何よりも知るべきことが目の前にあった。
「かみ、さま……?」
「ええ、そうよ。言ったでしょう? カミサマは存在するって」
〈大淫婦〉ベイバロン。
それが目の前の魔女の名前だった。
「…………うそだ。ウソに決まってる」
「嘘じゃないわ。貴方もバキュームとの戦いで知ったでしょう? 『第三の魔術』は神そのものをシステムに組み込んでいる」
「それが……ベイバロンだって?」
「そうよ。1999年に
嫌そうな顔で、ベイバロンは皮肉げに嗤う。
「
「…………?」
「分からないかしら?
だからこそ、ベイバロンは神だとも言いたげな表情。
だけど、それはベイバロン=神を成り立たせる式であって、ヴィルゴ=ベイバロンを証明している訳じゃない。
「テメェが、……カミサマってんなら…………ハーレムに、他人の魔力に頼る必要なんかねぇだろうが。テメェがカミサマならッ、自分の力で何でも出来るんじゃねぇのか⁉︎」
「
「……正攻法、だって? これが……?」
「ええ、勿論。
『射精魔術』を経由して神の力を引き出しているってことか。
なら、カミサマがこんな風にスケールダウンしていても仕方がない、のか……?
いや、でも………………
「…………なら、見せてみろよ」
「何を?」
「証拠だよ。テメェが神だって自称するのなら、それを信じられるだけの証拠を見せてくれよ」
「わざわざ貴方に付き合う気はないわよ。
想定外の何かがあったのか、ベイバロンは首を傾げる。
そして少しした後、何かに思い至ったように眉を顰めた。
「あのクソジジイ……ホワイトホールに何か細工してわね」
「クソジジイ……?」
「〈最強〉とか名乗ってる
フォッサマグナか……‼︎
オレは全身全霊を賭けて戦っていたが、フォッサマグナはオレの背後にいるコイツに嫌がらせを仕込みながら戦っていたのか。
わざわざオレ達を奇襲することなく正面から戦いを挑んだのも、戦闘前に天災を引き起こしたのも、フォッサマグナが倒れた時のための細工だったのかもしれない。
ベイバロンは溜め息を吐いて、呟いた。
「これだと10分くらいはかかるかしら……仕方ないわねぇ、証拠を見せてあげるわ。
最上階の壁や天井はガラス張りみたいに透き通った素材で出来ている。
つまり、
そんな
「──は?」
────回転していた。
正確には星々が、地球を中心として回転している。
まるで大鍋の中で掻き混ぜられるように、無数の
そんなの、あり得るはずない。
夜空に浮かぶ星々は数光億年先にあるものだって多く、たとえ本当に星を動かせたのだとしてもその光が動く筈もないのに。
それなのに、
「なんだ、これ……⁉︎」
「これ? フォッサマグナが阻止しようと足掻いていたモノ──人類を絶滅させる魔術、その一端よ」
「なん、で? どうやって⁉︎」
余りの巨大さ、そして神威に畏敬を覚える。
知らず知らずのうちに唇が震え、問いかけは途切れ途切れに吐き出された。
「なんで、なんて。決まっているでしょう?
「…………それならッ、人類を絶滅させる必要なんてないじゃねぇか‼︎ 魔術師だけを止めれば──」
「もちろん、そのつもりよ」
「………………え?」
淡々と。なんてことないように。
魔術を極めた先に存在する神は告げる。
「
「だっ、だったら…………」
「だけど、結果として人類が絶滅しても仕方ないとは思ってるわ」
「…………テメェは、何をするつもりだ?」
魔術師を殺すモノ。
『第三の魔術』が使えなくなるモノ。
尚且つ、人類が絶滅しても可笑しくないモノ。
「『射精魔術』は男しか扱えない、女が
オレはこの数日間、それを何度も目にした。
『第三の魔術』に必要不可欠な術式。
『射精魔術』と深く結びつくモノ。
「〈
◇◇◇◇◇◇
〈ルール参照〉
◆規則の七。敗者は約一日間
◇◇◇◇◇◇
決闘に勝ち続ければ理論上は可能かもしれない。
だけど、それは実質不可能だろう。
『射精魔術』を使う魔術師は世界に5万人存在するのだから、それを可能にするには5万連勝する必要がある。
加えて、そこまでやってもハーレム50000。
ハーレム3000000の足元にも届かない。
余りにも桁外れすぎるのだ。
フォッサマグナですらハーレム15000だった。
ハーレム3000000なんて夢のまた夢。
しかし、神はこう告げる。
「あら、たった数日で随分と魔術に染まったわね。だけど、もっと身近にあるでしょう? 人間を女体化させる現象が。貴方も身をもって体験しているモノが」
咄嗟にオレは自分の体を見下ろした。
失ったチンコ、膨らんだ
さて、オレが女体化したのはなんでだっけ?
「────まさか、TS病か……⁉︎」
「大正解よ」
TS病。
正式名称は、突発性性転換症候群。
原因不明とされていたそれの正体は、ベイバロンが産み出した魔術式細菌兵器だった。
フォッサマグナが人類の絶滅を危惧したのも無理はない。TS病によって世界から男性が消滅すれば、人口は増えることなく右肩下がりで減る一方なのだから。
最新の『科学』で治療法が見つかる筈もなく、今や男性の0.05%が罹患している。
0.05%と聞くと少なく思えるが、今の世界総人口が100億人で、男性がその半分の50億人いると考えれば、世界中に250万人は患者がいる。
自己申告していない人も含めればもっとだ。想定される患者数は300万人と言われている。
──何処かで耳にした数字じゃないか?
「TS病患者全員がテメェの雌奴隷だとカウントされているのか⁉︎」
「あら、気づくのが早いわね。そして、初めに貴方が言っていた〈
「……………………ホルモンバランスを崩して性転換させるウイルス、じゃない。感染者に〈魔術決闘〉を強制するウイルスかッ⁉︎」
「満点ね、花丸をあげるわ」
盲点だった。
考えたこともなかった。
だけど、ヴィルゴは確かに言っていた。
一つ、魔術師の魔力が篭っていること。
二つ、棒状であること。
それは
つまり、チンコがあろうと魔力が篭っていなければそれは魔杖とは看做されない。
◇◇◇◇◇◇
〈ルール参照〉
◆規則の六。
◇◇◇◇◇◇
魔術師でもなければ、〈魔術決闘〉に参加した瞬間に雌奴隷に変えられるのだ。
「いっ、いや! だけどッ、〈
◇◇◇◇◇◇
〈ルール参照〉
◆規則の一。決闘空間は挑戦者の宣誓と、
◇◇◇◇◇◇
「知らないの? 病気が原因で体臭が変わることがあるわ。昔は臭いを嗅いで病気を特定する嗅診ってものがあったくらいよ」
「────あ」
「そして、TS病のウイルスは感染者の体臭を〈媚薬香水〉と同じ成分にするわ」
そういえば、TS病の症状の一つに性的興奮を高める作用があった。
あれはTS病を粘膜接触──性感染によって効率よく
「加えて、細菌が電気信号でコミュニケーションを取っているという話も知っているでしょう?」
「声帯に電気信号を流して、感染者本人に宣誓をさせていたっていうのか……⁉︎」
オレも、誰も彼も、宣誓を言わされていた。
自分ですら気づけないほど微弱な電気信号が微かに声帯を震わせ、可聴音域外の宣誓が為されていた。
「もう一つは聞かなくていいのかしら? 対戦相手は視認しないと指定できない──そこも矛盾点だと思うけれど」
◇◇◇◇◇◇
〈ルール参照〉
◆規則の二。対戦相手の指定は、挑戦者が決闘空間内にいる相手を宣誓時に視認することで決定される。
◇◇◇◇◇◇
「……そっちは大体見当がついてる。外送理論、だろ?」
TS病のウイルス一つ一つが魔女の
「その通りよ。TS病ウイルスは
「…………疑問点が一つ解決されたよ。ずっと思ってた、結局『
「その答えは?」
「テメェの胎内で培養された細菌がオレの肉体に張り巡らされていたからだ」
やっていた事はバキュームと同じ。
彼女はクローンソーセージの体内にある微生物を摘出・培養し、それを弾丸にコーティングすることでクローンソーセージ本人だと同一人物判定を誤魔化していた。
同じように、ベイバロンの胎内にある細菌がオレの体にもあったため、オレとベイバロンは同一人物判定されていたのだ。
これで疑問点は無くなった。
けれど、新たに一つ疑問が生まれる。
「なぁ、ベイバロン」
「どうしたのかしら、セージ」
「テメェの目的は人類から男を無くすこと。その為にTS病を
「それが?」
これは今までの前提条件。
だけど、元々の話は何だったか。
「だったら、テメェは今ここで何をしようとしてるんだ⁉︎」
宇宙規模の魔法円が目に入る。
TS病を
きっと、まだ何かがある筈なんだ。それを聞くまでは、オレはまだ死ねない。
「……
「……何故?」
「言わなかったかしら? 魔術師は病気に罹らない。無意識の内に虫除けの術式を使用しているのだから」
不随意魔術、虫除けの術式。
魔除けの術式と同じく、意識せずとも魔術師が常時展開している魔術の一つだ。
TS病ウイルスのような人間に害のある細菌は即座に死滅させられる。
「だったら、新たに産み出すしかないでしょう? 不随意魔術すら貫く細菌を」
「どうやって……⁉︎」
「やり方は簡単よ。宇宙そのものを魔女の大鍋──
「……………………
例えば、インフルエンザは世界各地で多発的に流行する。この謎を解決するのが、インフルエンザは宇宙が起源であるという説だ。
病原体が宇宙から地球に侵入する際に、対流に乗って地球へ降り注ぐことで複数の場所で一斉に感染が起こるとされる。
「
「…………セレマ宇宙論だっけ?」
「ええ。であれば、こうとも考えられるのでは?」
神託が下る。
魔女は告げる。
「宇宙から地球に侵入するウイルスは男の魔術師を侵食する魔女の呪いと『類感』している、と」
◇◇◇◇◇◇
〈Tips〉
◆ベイバロンとは、セレマ宇宙論において女性の性欲衝動を司る女神。ババロン、緋色の女、
◆誰も拒絶しない神聖娼婦と考えられるが、同時に処女でもあり、しかし全ての肉体の母でもある。
◆星幽界に存在する神であるが、物質界に肉を持った
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