アウレール・リーツ
「怖いのか?」
落ち着かなくて、村を歩き回りながら目に焼き付けて置こうと、歩いていたらアウレールが現われた。暗がりからだったので思いがけない近さに後方に転びそうになる。
「おい」
慌てて支えてくれた腕に金属の硬さが感じられない。そのことに焦りを覚える。確かに村長の家では鎧を着こんでいたはずなのに、食事するのに邪魔だと脱いだのだろうか。
人の柔らかい感触、それもサリアとは違う。筋肉質で力ず良さもあるのにしなやかさも備えられているその腕の中は心地が良かった。
「す、すみません」
誘惑に抗うようにその腕の中から逃げ出す。ここからも逃げ出したくなるが、そうもいかない。
「それで……怖いのか?」
怖いとは儀式のことだろうか。それならばもう決まったことだ。
「怖くありません。それが村のためですから」
それを聞いてアウレールは何かを思い出す様に上を見ている。つられてアリアも空を見上げる。村は気で囲まれていて、見通しは悪い。今も篝火が点在しているから歩けるものお月明りですら届く量は少ない。
そんな村の中からでも星は見える。この見えている星に、手が届くのだろうかと考えたことがある。小さい頃の話だ。でも大樹と一緒になればそれも叶うのかなと思ったりもする。そうすれば、少しは楽しみに思えることもあるのだ。
「怖くないか。それはすごいな」
「えっ」
アウレールの言葉に思わず失礼な返しをしてしまった。
「俺はいまでも怖いんだよ。あの時だって、今だってな」
アウレールはこちらへ近づいてくる。
「世界樹の種を植える役目を仰せつかった時、ほかの選択肢がないと知っていたから。俺は承諾した。あの時代の俺は英雄だったからな。断るわけにもいかない。それに、それで世界に平和が訪れるならそれも悪くない。なにせ、世界を救った英雄になれる。でも、ここまで旅している間にそれは恐怖へと変化していった。おそらく見張ってる連中がいなきゃ逃げ出していただろうよ」
そう自虐的に笑っているアウレールはこれまでの印象とは違って幼く見えた。それは村から出たことがないアリアには想像もできない話だ。世界とは何を指すのかも実感がない。知っているのはこの村の人間と、定期的にやってくる行商、騎士団。それだけだ。彼らが生活している場所も含めて世界と言う事は理解している。でも、それがどれくらいの広さなのか、分かりはしない。
「でもアウレール様はそれをやり遂げました。だから今もああやって大樹がそこにあるのです。それは我々には感謝すべきことです。それに、その力に私も慣れるのであれば。それは喜ばしいことなのです」
アウレールが悲しそうな顔をする。明かりに照らされて紫の瞳が曇っている様にも見える。何が悲しいのだろうか。
「では、今ここにいる俺は何なのだろうな。世界樹になったはずの人間が幾年の月日を重ねて現れた。その意味を俺は知らない」
命をささげたはずなのだ。もう二度と戻れない場所へ足を踏み込んだはず。それなのに、アウレールは確かにここに存在し、同時に大樹も存在している。村長はそのことに疑問を持ったようには見えなかった。アウレールが現われたことにありえないと一蹴することもなかった。まだ何か隠していることがあるのだろうか。
「アリアだったか。おそらく君が犠牲になる必要はない」
思いがけない言葉に、思考が停止する。
「もう一度。俺が何とかすればいいだけだ。元からここに居るはずのない人間が消えたところでだれも悲しみやしない。もう一度、英雄になれるチャンスだしな」
「そ、それは」
反論しようとしたがアリアにアウレールを止める言葉は持ち合わせていない。でもいなくなってほしくないとも思う。自分はいなくなっても彼がここにいることを望んでいる。それは何故だろうか。
「気にするな。村長には俺から話しておくよ。だから心配しなくてもいい」
「よ、余計なお世話です」
語気が荒くなって、息も苦しい。でも言葉は勝手に飛び出す。
「これは私の役目なんです。両親の償いは私がしなくてはなりません。だからその役目を渡すわけにはいきません。きっとアウレール様がここにいる理由があるはずです。それはあなたにしかできない事。でなければ物語の騎士団長が現世に現れるなんてことはないはずです」
一瞬驚いた顔をするアウレールだったけれどすぐに険しい表情へと切り替った。
「そのためならば、自分を犠牲にすると? それで本当にいいのか?」
「もちろんです」
一歩、二歩とアウレールが近づいてくる。くっついてしまいそうな距離。でも引くわけにはいかなかった。急に手が伸びてきてアリアの顎にそれが触れた。
「なっ」
身長差を埋めるように顎を持ち上げられ視線が交差する。
「その覚悟は大したもんだが。ただ、まだ一晩ある。よく考えるんだな」
そう言い残してアウレールは村長の家に戻っていった。アリアは見えなくなった後もしばらくその方向を眺めていた。
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