第7話『魔導書の真実』 お題 いいわけ

 かつて魔術によって科学が別世界から輸入された。それから時間がたち、魔術は科学に押されて衰退した。

 

 僕たち『本屋』につくられた魔導書は、たとえ意識を人型に移したことでその姿を変えようと、魔導書であったころの記憶を忘れることはない。魔術こそが世界を形作っていたあの時代のことを、『本屋』が生きていたあの時代のことを、忘れてしまうわけじゃない。


「それなのに、僕は忘れてたんだ」


 777番目に作られた僕。『本屋』の最後の作品である僕。紫の魔導書である僕は……。


『おかえり。何か収穫はあったかい?』


 新しく発見された『本屋』のアトリエから帰ってきた僕を、原初の赤――先輩が出迎える。

 端から朽ちかけているその本は魔術装置につながれており、横の石板に光でその言葉を書き記していた。

 

 僕は、先輩を救いたかった。このまま終わってほしくなかった。僕たちと違って先輩は意識を人型に移すことができない。それはプロトタイプだから。完成品の僕たちとは設計が違うから。


『机の上に紫色の猫のぬいぐるみが置いてあるだろう? 君がいない間に急に訪ねてきた黒が置いて行ったんだ。お守りだそうだよ』


 黒……。不幸をテーマに作られた黒の魔導書。


『それと、君がいない間は研究に魔力を使わないってことで緑はちょっと外出中だ。今日中には帰ってくる予定だって』


 緑……。自然をイメージして作成された魔導書。


『……どうしたんだい? もしかして――』


 赤……。原初の赤。プロトタイプ。未完成品。


 …………『本屋』の魂の器。その、未完成品だ。そう書いてあった。そういう資料が、『本屋』のアトリエに残っていた。


『もしかして、思い出してしまったのかい?』


 そして、紫の魔導書。僕は……。

 

 僕は、『本屋』をモチーフに作られた魔導書だ。赤を保全する役目を与えられた魔導書。最初に人型へ意識を移された魔導書。


『……共鳴空間に来てくれよ。先輩の言い訳を、聞いてくれないか?』


 それを拒否する理由は、僕にはなかった。




 共鳴空間は、魔術で意識と意識を接続した空間のことだ。そこなら現実で魔導書でしかない先輩も、人の姿をとることができる。


「先輩は、全部知っていたってことですよね」

「うん、そうだよ。自分が『本屋』の魂の一部であることも、君が私を保全する役割を負わされていることも知っていた。ほかならぬ『本屋』にそう言われていたからね」


 白い椅子に座って僕たちは向かい合っていた。先輩の表情は、少し悲しそうに見える。


「黒とか、緑とか、ほかの魔導書のみんなはこのことを知っていたんですか?」

「私が『本屋』の魂の入れ物として作られたことは知っていただろうね。私が作られて、『本屋』がそこに魂を移そうとして失敗したのは大分初期のころだったから。……でも、君が私を保全する役割を与えられたことを知ってるのは、多分私だけだ。君は魔導書の中で一番最後に作られて、その時にはもうほかの魔導書はすべて世界各地に散らばっていたから」

「僕はどうして、忘れていたんですか。なんで忘れていることにすら、気づけなかったんですか」

「君が記憶をなくしたのは人型に意識を移した時だ。人型は『本屋』の最後の仕事だった。自分の命が長くないことを悟った『本屋』は自身の一部である私を保全しようとして君を作り、君に自身の技術を教え込みながら、同時に人型を設計してそこに意識を移すことを計画した。でも時間が足りなかったんだ。何とか君の意識を人型に移すのは間に合った。でも、君は何年も目覚めなかった。その間に『本屋』は亡くなり、私と、君の意識が宿った人型だけが残された」


 少し考えを整理するような時間があって、先輩は続ける。


「ここからは推測だけど、君が失ったのは記憶というより情報なんだ。人型に意識が移動するその時に、――私が魂の入れ物であるという知識。君自身のモチーフや役割。『本屋』に技術を与えられたという事実。そういったいくつかの事柄だけが抜け落ちた。でも、教えられた技術そのものや、私がプロトタイプと呼ばれていたこと、魔導書の創造主である『本屋』の魂の一部であることから、原初の赤と称されていたことは失われなかった。そうやって残ったものをつなぎ合わせて、人型に搭載されたエラー訂正機能のようなものが君の真実を作り出した。君が何年も眠っていたのは、私が魔導書の試作品であるというような、いくつかの偽りの真実をくみ上げる時間が必要だったんだと思う」

「なんで、大切なことばっか忘れて……」

「――これもまたおそらくだが、大切なことだったからだ。重要だったから、人型に意識を移す際に無意識に最初に運び込んだんだろう。でも、それ故に後ろからくる情報に押し流されたんだ。そうして、はじめに移されたものから消えていった」


 僕は、目を閉じる。……今までの僕は何だったんだろう。僕は朽ちていく先輩を助けたかった。この気持ちは作られたものだったんだろうか。役割があって、それが中途半端に失われたがゆえに、そうしなければいけないという気持ちだけが残ってしまったその結果なのだろうか。


「私は『本屋』の魂の一部ではあるけど、そのものじゃない。だから思想だって違うんだよ。魔術が衰退していく中で、『本屋』という存在が完全に消えてしまうのを防ぎたいなら、私自身でそれをなすべきなんだ。君やほかの誰かに押し付けるべき役割じゃないんだそれは。……だから、私は君の喪失を容認した。そうすれば、役割なんてものに縛られることはないと思っていたから。そうすれば君は自由に生きてくれると思ったから」


 でも、そうはならなかった。僕は変わらず先輩を助けようとした。保全とは少し違うけど、先輩を守ろうとしたのだ。


「君の行動指針が大して変わらなくて最初は落胆した。でも君が私のために行動を開始して、そうして人型に意識を移される魔導書が増えて、協力者が増えて、正直私は楽しかったんだと思う。君の喪失を隠す理由が変わったんだ。このまま、緩やかに朽ちていくのを、いろんな魔導書に見届けてもらえる。それもいいと思った。それがいいとすら思った。君がここで私のための研究をして、そこに昔の知り合いが時々訪ねてきて、協力してくれたり、他愛のない話をしたり。そんな日々がいとおしく思えてしまった。……結局のところ君を犠牲にしているのに変わりはないのに。だから、すまない。こんな自己本位な先輩で、申し訳ない……」


 先輩はとても苦しそうだ。そんな姿を見ていると自分の奥底からそれをどうにかしろという思いが湧き上がってくる。役割を自覚したから? 違う。いつも通りの感情だ。思い出すその前からずっとそうだった。僕は先輩に悲しんでほしくない。苦しんでほしくない。そうやってこれまで生きてきた。そうやって……。


「僕は自分の役割を忘れてた。それは確かなんですよ。だって、そういう真実を知って衝撃を受けたんですから。……でも、役割を失っていた間も僕は先輩を助けようとした。これは僕が自由の中から選び取った選択なんじゃないでしょうか」

「……それは、都合のいい解釈じゃないかい?」

「真実なんてどうだっていいんですよ。僕だって疑問に思いました。疑念を抱きましたよ。でも、わからないんですよ。役割が先か、それとも想いが先かなんて。だったら、僕が信じたい方を信じます。それがたとえ偽りの真実でも。人型に意識を移したその時から、僕は勝手に真実を作って生きてきたみたいですから、いまさら何も変わりません」


 先輩は納得していないようだった。あるいは困惑しているのだろうか。


「あーもう! 僕は先輩を助けて見せます! 何とかして人型に意識を移して、先輩の朽ちていく未来を変えて見せます! それが達成できたら、僕は役割から少し解放されるかもしれません。そうしたら先輩の言う自由に生きる僕になれるかもしれませんし。そこでもう一度先輩のそばにいることを選んで、先輩を助けたのは僕の意思だったって証明して見せますよ!」


 指をさし、僕は決意表明をする。もうこんな重い空気はこりごりだった。先輩には、もっと笑っていてほしいのだ。


「……困った後輩だなぁ。うん。期待してるよ。期待して待ってる」


 何かを飲み込んだような顔だった。完全に憂いが晴れたわけではないのだろう。納得だってたぶんしていない。そもそも僕の言葉は論理がちょっと破綻してる。


 でも、先輩のその選択を後悔なんてさせない。


 魔術は衰退した。世界はもう科学の時代だ。そんな今を先輩の隣で生きていくためにも。僕は絶対に、あきらめたりなんかしない。

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魔導書のあれこれ 因幡寧 @inabanei

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