第3話『ぐちゃぐちゃになった部屋』 お題 ぐちゃぐちゃ

「……これはひどいな」


 古びたドアを何とかこじ開け、室内をのぞき込んだ俺は思わずそうつぶやいた。

 木製の本棚はそのほとんどが朽ちており、本であったものが周囲に散乱している。本棚裏に隠れていたであろう隠し扉も今では簡単に見つけることができてしまう。


「これはだれにも盗まれないわけだ」


 これだけの惨状でありながら、隠されていたであろう扉とその先の空間には何の影響もないようだった。そこだけが異常に頑丈に造られている。ご丁寧に魔術的な防護策まで講じられていた。

 普通の人がこの空間を眺めてもその鋼鉄製の扉がそこにあるということを認識できないだろう。表面に刻まれた緻密な魔法陣は多少の損傷にも耐えられるように何重にも重ねて描かれていた。これを書いた魔術師の技量が見て取れる。


「ふむふむ、これはぶち壊すのが手っ取り早いかね」


 魔術が科学に淘汰された現代において、認識阻害の魔術は今でも威力を発揮するが、そこを乗り越えてしまえばあとは科学が発達しなかった時代基準の頑丈な扉だけだ。今の技術であればちょっと大型の道具を持ってくればぶち壊せる。


「よし、やりますか」


 といっても、大変であるのは確かだ。俺は少し気合いを入れて作業に取り掛かった。




 ……耳をつんざくような音が鳴りやむ。思ったより時間がかかってしまったが。後はこの重い扉を力いっぱい押せば向こう側にたどり着くことができるだろう。


「よいしょっと」


 ズズズと重いものが引きずられるような音とともに俺はその部屋へ侵入することに成功した。


 まず目に入るのは誰かの亡骸。次いで、地面に大きく描かれた魔法陣。そして、その先の祭壇に立てかけておいてある深緑の本。


 俺の目的はその濃い緑色をした本だった。俺と同じ存在。仲間だ。


「……これはあれか? 魔導書に自分の魂でも移そうとしたのか?」


 大方死期を悟りながらもそれを拒絶しようとでもしたのだろう。その思想を否定はしないが、長く生きたってそんなにいいことなくない? と思わずそんな感想を抱いてしまう。


「これは中身が違うってこともあり得るのかね」


 似たような試みはことごとく失敗してきたらしいが、今ここに唯一の成功例が眠っていてもおかしくはない。

 取りあえず確認するほかないかと一緒に持ってきていたアタッシュケースを開き、内側に内蔵されている機械を起動した。

 亡骸を飛び越え本を手に取り、機械にセットする。


「取りあえず中身は入ってるっぽいな」


 画面に表示された情報を見る限り、この本は抜け殻などではなく、現在も魔導書として存在していることが分かった。


「眠ってるのか。……紫のとこに持って行ってみてもらうほかないか?」


 そう思い機械から本を取り出した瞬間だった。淡く輝きひとりでに本が開く。


『わーお。ボクを起こすのがお仲間とはねぇ』


 開かれたページの文字が動き出しそんな言葉を形成する。


「……よくわかったな、こんななりなのに」

『創られたときにそういう機能があるって説明されたからねぇ。君たしか黄色の魔導書じゃなかった? ちょうど君が売りに出されるところを遠くから見てたんだよねぇ。いやぁ、人型に意識を移しても魔力の質って変わらないものなんだねぇ』


 ……魔導書の番号を確認する。自分より3つほど番号に差があるだけだった。確かにこれなら俺を知っていてもおかしくはないか。


『ていうか、ボクが今になってようやく起きたってことは、失敗しちゃったんだねぇ』

「……そこに転がってる魔術師がやろうとしてたことか?」

『そーだよぉ。……その人とは結構気が合ってさぁ。でももう寿命がなさそうだったからもう少し一緒にいたいなぁってぼやいてみたんだよねえ。そしたらこの本に同居してみようってことになってねえ』

「あんたから言い出したのか」

『うん。仮に成功してもすこーし話せる時間が延びるだけだったんだけどねぇ。……ここ、すごく頑丈に守られてたでしょ? そのすこーしの時間をだれにも邪魔されたくないってあの人は言ってたねぇ』


 アタッシュケースを閉じ、立ち上がる。


「取り合えず一緒に来てもらっていいか? 俺はあんたらみたいなのを回収してまわってるんだ」

『……それで君みたいに人型に意識を移すのかなぁ?』

「そういう希望であればそうする。……原初の赤って知ってるか?」

『あのプロトタイプ? 知ってるよぉ』

「紫が朽ちかけてるあいつを助けたいらしい。それで手伝ってくれるやつを探してるんだ」

『へぇー、でも、ボクはもうずっと眠ってたい気分かなぁ』

「まあそうしたいなら止めはしないさ。ただその場合でもあんたを調べさせてほしい。それが終わったらあんたの希望する場所で眠らせる。約束するよ」

『律儀だねぇ。ボクが魔導書である以上できる抵抗なんてたかが知れてるのに』

「……別に俺は紫がどうしてもっていうから付き合ってるだけだ。本来の俺の目的は世界中の魔導書に選択肢を提示することだからな」

『君の選択肢を提示する相手に赤も入ってるってことだねぇ?』

「まあ、そういうことだな」


 しばらく待っても返答がなかったので、取りあえずこじ開けるのに広げたままの部屋の外の道具を片付けようとした時だった。魔導書がもう一度淡くひかり、開くと文字が形成される。


『わかったぁ。取りあえずついてくことにするよぉ。別れを告げたいからちょっとあの人のそばに置いてくれないかなぁ?』


 俺は言われたとおりに亡骸のそばにそっと魔導書を置く。そして、それに気づいた。


「……おい、これは本当に魂をあんたの中に移すための魔法陣なのか?」

『どういうことぉ?』

「宛先が違うぞ。……これだと祭壇のほうに魂が移ろうとしてしまうだろ」

『……へぇ、だから失敗しちゃったんだねえ。僕がもう少し魔術に詳しければ指摘できたかなぁ』


 深緑の魔導書は後悔しているようだった。だが、どうにもおかしい気がした。扉に記されていた認識阻害は緻密なものだった。そんな人物がこんなミスをするか? そもそも宛先を間違えるなんてことがあり得るのか? こんな人生をかけた魔術で……?


 俺は祭壇に近づき手を触れる。少し調べただけで台座が二段になっていることに気づいた。


「どうやら魔術師はあんたを騙していたみたいだ」


 祭壇の一段目には魔法陣がもうひとつ刻まれていた。これは、運命操作系の魔術だ。膨大な贄を要求する癖に、たいして効果のない魔術。


「魂を贄にした幸運を願う魔術。俺がここに来られたのは、もしかしたらこいつのおかげかもな」

『――――』


 淡くひかり続ける魔導書は何の言葉も形成しない。本の姿ではその感情も読み取れない。


「……俺は外の片づけをしてくる。それが終わったら改めて答えを聞かせてくれ」




 ――片付けから戻った俺に、魔導書はこう言った。


『ボクの意識を人型に移してくれるぅ?』

 

 どうやら、これからどうするか明確に決めたようだった。

 

「人型の在庫がないからすぐには無理だ。だけど紫が材料を確保してるからな。そう時間をかけずに作れるとは思う」

『うん。じゃあお願いできるぅ?』

「わかった」


 その答えを聞いて、俺は深緑の魔導書を手にとる。


 守られていた部屋から出たとき、魔導書はつぶやくように文字を形成した。


『わぁ。ぐちゃぐちゃだあ』


 朽ちた本棚だらけの部屋の惨状を見てのことだったのだろう。俺はその言葉で、あの魔術師の在りし日の様子を想像してしまう。


 この部屋がこんな風になる前のことも、きっとこの魔導書は覚えているのだろう。


 この感傷はこの魔導書だけのものであるべきだ。俺は浮かぶ光景を振り払い紫に連絡を取るために携帯端末を手に取った。

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