第2章 地球へ (3)日常 ①
火星を出発して95日。
駆逐艦ダルバンガの指揮所では、乗員が交代で捜索モニターの確認を行う監視体制を取っていて、少し緊張感が高まっているのが伝わって来ていた。
そろそろ地球圏に入る頃合いだ。
本艦は最短コースで地球軌道へ向かっているが、先の戦闘の後は今のところ何事もなく順調だ。
レーザー通信の有効距離に入れば、地球統合軍の本部とも連絡が取れる。
ただ連絡を取るだけであれば、火星から通常の電波を使えば良い。
しかし今回はその手段が禁止されている。
許可されている連絡手段は直接届けるか、第三者から傍受不可能な一対一でやり取りが出来るレーザー通信だけだ。
レーザー通信の有効範囲は狭いので、相手に近づく必要がある。
ダルバンガの様な小型艦の送信設備ではレーザー光が届かないという事ではないが、距離が長くなるのにつれて空間物質による影響と回折現象によって信号が減衰するし、かといって無暗に信号強度を上げると散乱した信号が無関係な場所に届いてしまうリスクもあるので、秘匿通信として使えなくなってしまう。
そのため、秘匿性の要求される場合に使うレーザー通信は、有効な距離が限られている、という認識が一般的だ。
その様な事情によって火星から地球まで航行してきたわけだ。
地球圏に入ったといっても、目的地までは10日以上掛かる見込みだし、それまで引き続き電波統制によって識別信号や位置情報を発信せず、隠密航行を続ける計画だ。
識別信号を発信していない事で気をつけなければいけないのは、海賊と間違えられる可能性くらいだろうか。
気を利かせたケニー大尉が、オペレーションモニターに地球の拡大映像を投影させた。
駆逐艦ダルバンガの艦首に搭載された望遠カメラは、観測専用の科学衛星の様に分解能が良いわけではないが、それでも映し出された地球の映像は海洋と大陸の形がはっきり区別できる様になった。
モニターに映し出された地球の映像を食い入るように見つめていたエマが、嬉しそうに言った。
「綺麗な星ですね。すごく綺麗・・・。
あの星に行けば空を自由に飛ぶ鳥に会えますか?
家が一杯あって、たくさんの人が住んでいるんでしょう?
映画っていうのも地球には沢山有るんですか?私みてみたい!」
無邪気な言動や感情豊かな表現を見ていると、彼女がアンドロイドだということを忘れてしまう。
彼女を作ったのは彼女の故郷、我々がタームと呼んでいる文明のマーキスという技術者だということを聞いた。
その技術者には娘がいて、その娘の人格を模写して作られたのがエマだという。
そのためか、エマは二人の事を語るとき、父や姉と呼んでいる。
ジョークがあまり理解できていない点を除けば、感情の豊かさは人間以上に人間らしいので驚くばかりだ。
マーキスという技術者は、どんな想いでエマを創り出したのだろうか。
--- 日常 ---
「・・・だからタームが母星で太陽もターム、で、人が死んだらタームに行くんだろ?
一体どっちのタームに行くんだ?」
ヴァラーハの不満そうに質問する声が聞こえて、目を覚ました。
「違いますって。
人が亡くなったら死者の国タームの門まで、神様に導かれて死者の道を進むんです。すると、それまでに送ってきた人生に応じて、門番の神様に裁かれて死の国での役割が決められるんです。
タームの門に入ると神聖樹があって、その前に立って祈ると神様によって選ばれた枝が光を放つので、枝を手に取って、その枝を燃やすと導きの炎が生まれて死の国への道を照らすので、光を頼りに暗闇を進む事で死の国タームに辿り着いて、そこで与えられた役割をこなせば神の太陽に迎えられて現世に甦るっていう伝説で、死の国タームには4人の神様がいて・・・」
後ろの席で聞こえるヴァラーハとエマの会話をなんとなく聞きながら、指揮所の大きなオペレーションモニターに映し出された漆黒の宇宙を、ぼんやりと眺めていた。
時計を見ると日付が変わっていて、最後に時刻を確認してから5時間以上経っていた。
3人で話をしていたのは覚えているのだが、ついウトウトしてそのまま眠ってしまった様だった。
異星の文化に興味が尽きないのは分かるが、果てしなく続く二人の熱い談義に、少し呆れていた。
エマが眠る必要がないのは分かるが、ヴァラーハの精神力というか体力には驚くばかりだ、彼は疲れていないのだろうか。
確か、昨日はターム文明の科学体系についてかなり長いこと話をしていた気がするが、今の興味は、伝説だとか、神話だとか、主に死生観に関しての話題の様だった。
そのうち神様が実在するとかしないとか、輪廻はあるとか、他愛もない内容のやり取りが続いていたので、そのまましばらく聞いていた。
死後の世界を恐れ敬う慣習があるのは、我々地球人類と違いはないようだ。
だがターム文明では、死が我々地球人よりも神聖化されている印象がある。
タームとは、あの世への入口とか、生まれ変わりのキッカケの様な、複合的な意味合いがあるらしい。
彼らの住んでいた星も、太陽も、所謂あの世の事もタームと呼んでいるらしい。
自分たちの故郷にあの世とか天国の階段みたいな名前を付ける感覚は、我々地球人には理解し辛いところだ。
そんな事を考えながら聞いていると、エマがふと呟いた。
「私の仲間や知っている人たちは、皆死んでしまいました。
私も死んだらみんなの居る所へ帰って、また父や姉に会えるのでしょうか・・・」
ヴァラーハは言葉に困って少しうつむいた。
「ウィルはどう思いますか?」
エマがこちらに身を乗り出してそう言うと、屈託の無い表情でウィルを見つめた。
アンドロイドであるエマ本人にとって、これまで経過した果てしない時間と、人間の短い寿命の違いや重みが理解できているのだろうか。
使命があるとは言っていたが、実際には本人にもハッキリしたことが分かっているわけではない様子だ。
おそらく自分が置かれた状況を、余り重く受け止められてはいないのかもしれない。
そんなことが脳裏によぎった。
「会えるさ。きっと」
気休めかもしれないが、そう答えるのが精一杯だった。
宿直のレイラがオペレーションシートで何となく聞いていたらしく、前を向いたまま目頭を拭っていた。
彼女の帰るべき母星は実時間で1000万年以上も前に消滅している。
ターム文明は自らの手で母星を破壊し、たった4隻からなる移民船団で銀河の果てから光速の約99.99996%に達する亜光速まで加速して、4000年もの時間を掛けて太陽系まで旅をしてきたのだという。
光速に近い速度で移動すると、相対性理論によって停止している観測者との時間の進み方に差が生じるため、移民船の中では4000年の経過であっても実時間ではおおよそ400万年が経過した事になる。
彼らが太陽系に到着したのは現在から遡ると、おおよそ600~700万年前の出来事に相当する。
生態系の発展している地球を避け、火星に入植したターム人だったが、その後に起こった最終戦争で自ら文明の幕を引いてしまった、というのがエマの持つ情報から得たターム人類の結末だ。
エマ自身は長い旅の始まりの頃に完成し、太陽系に辿り着く前に凍結されていたので、あくまでエマ自身とフォボスのライブラリに蓄えられた記録でしか真実を知るすべはないとのことだった。
火星で起こった最終戦争については、凍結されていたため全く関与していないという。
彼女が言うには、父であるマーキスと名乗る技術者によって、特定の条件以外は起動しないように封印されていたからだという事らしい。
ここにエマが居るという事が、その特定の起動条件を満たしているという事に他ならない訳だが、彼女に詳しい事を問いただしても、倒すべき相手が居ると言うこと以外に情報が無いのだという。
エマ自身も記録の閲覧制限があるので、母星を失った経緯や高度な科学技術など、詳細なデータについてもかなりの部分がアクセス出来ないらしいのだ。
いずれにしても分からないことが多いのが気になるところだが、それは確証が無いのに動くべきではないと考えての事なのか。
彼女を開発したマーキスという技術者は相当慎重な人物だったのかも知れない。
火星でサザーランド司令が地球への旅を急がせた理由も、エマの言う“倒すべき相手”と何かが関係していると思われるのだが、こちらも真相はまだ分からないままだ。
一刻も早く地球に着くことが肝要だ。
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