第2章 地球へ (1)遭遇戦 ①

 地球統合軍の火星司令長官からの追加の依頼を受け、火星の静止軌道にある唯一の宇宙ステーション、アンタレスから地球を目指して12日目。

 駆逐艦ダルバンガは、物資の積み替えのため2日遅れで出発した輸送艦ノストラムと合流し、火星圏を脱して慣性航行中だ。

 地球まで100日を超える旅の、ほんの始まりに過ぎない。


「嘘みたいだな」

 ヴァラーハは、武骨であまり座り心地の良いとは言えないゲストシートに座ったまま呟いた。


「まぁ、無理もないさ。

 俺だって未だに納得出来ない思いはある」

 ウィルはヴァラーハの率直な感想に同意した。


「しかし格納庫にあるアレは何だ?

 あんな物見たことないぞ」

 そう言って何度も質問を繰り返してくるヴァラーハは、ウィルの親友であり科学アカデミーを首席で卒業した秀才でもある。


 そんな理由もあってか、ウィルの独断で半ば強引に参加させられる形になった訳だ。

 そういった意味では、彼は被害者という事になる。

 火星軍司令官に呼び出されたかと思うと、すぐさま輸送艦に押し込められ、苦痛が延々と続く強烈な加速Gに耐え、ようやく落ち着いたところで連絡用シャトルに詰め込まれて、駆逐艦ダルバンガに移乗する事となったのだから、相当疲れているはずだ。

 しかし、出迎えたウィルが案内して格納庫を見せたときは相当驚いていたし、指揮所ではさらにあり得ない現実に直面して、疲れはどこかに行ってしまったかの様子だった。


 そんな会話をしていると、後ろの座席から女性の声が聞こえた。

「何がですか?」

 声の主は、ため息交じりに会話する二人に明るいトーンで話しかけて来た。


 ヴァラーハがそれに答えた。

「何がって、アンタとこうして会話出来てるって状況が、だよ。

 しかも行きつけのカフェで友達と話しているみたいに、だ。

 えーと、エルマ・・・」


 言葉に詰まったところで女性が割り込む。

「エマと呼んで頂いて構いませんよ。

 地球では呼びやすい名前だと認識していますが・・・」


 ヴァラーハが肩をすくませて、呆れたといったジェスチャーをしながら続ける。

「そこだよ、そこ。

 まるで地球人じゃないか・・・」


 自分の頭を覆ってうつむくヴァラーハをみて、後席からその女性が怪訝そうな表情で見つめる。


 エマと自称する女性の年齢は20歳くらい、身長はおおよそ160cm、少し痩せ形で肩の下まで伸びた髪を後ろで簡単に結んでいる。

 地球の都市部に行けば、どこにでも居そうな感じだ。

 強いて言えば容姿は北欧系の女性に見える。

 そう、見た目がそう見えるのだ。


 彼女の本名はエルマリィというらしい。

 今まさにヴァラーハが直面しているあり得ない現実であり、火星の衛星フォボスから謎の信号を発信していた張本人だ。


 彼女の説明によれば、彼女は別の星系の惑星、つまり太陽系外からやって来た異星文明が作り出したアンドロイドだというのだ。

 半月ほど前に行われた探査ミッションによって、火星の衛星フォボスの地下から彼女を発見したことが、どれだけセンセーショナルな出来事であるのか、この事実が社会に与える影響度は計り知れない。

 なにせ人類初の異星文明との接触なのだから。


 ここ二週間で起こった出来事と、情報量の多さとで、最も長い時間異星の遺物に接してきたウィル自身でさえも、未だにどこまで現実を理解が出来ているのかは怪しい状態だ。


 3人がそんな話をしていると、彼らの座っているシートの前にある指揮所から、正面にある大きなオペレーションモニターを見据えたままオオタニ艦長が声をかけてきた。

「そろそろ作戦宙域に入る。

 考える頭脳は沢山あった方が有利だと思ったから、軍属ではない君たちを特別に指揮所にお招きしたんだ。

 サザーランド司令の推薦もあるしな。よろしく頼むよ」


 オオタニ艦長はこの駆逐艦ダルバンガの要だ。

 地球統合軍に所属し、階位は少佐、年齢は50歳を少し超えたくらいだろうか。

 無精ヒゲが生えた面構えは貫禄を感じるが、会話をしてみると意外にフランクな物言いなので、その点にはギャップを感じる。


 28年前に発生した、月軌道での航路に関する利権をめぐって国際紛争が勃発したときが初陣で、駆逐艦ダルバンガとは30年来の付き合いらしい。


 人類初の居住ステーションがあるトロヤ群(ラグランジュL4及びL5)への経済航路として、月の重力が利用されてきた経緯があり、そこに目を付けた中東系の連合国からなる新興勢力が、月軌道の外縁の一部の権利を主張し、航行禁止宙域として封鎖を行ったため、それが発端となって国際連合との紛争となったことは、人類初の宇宙戦争という事もあって、いまだに多くの人々の記憶に残っている事件だ。


 今この艦は火星圏を離れ、地球軌道を周回する最も古く、最大級の国際ステーションでもある、フリーダムスペース1に向けて航行中だ。


 艦の後方約300kmには、フォボスでの調査で同行した探査チームの選抜メンバーと、補給物資を載せた輸送艦ノストラムが追従している。


 そんなやり取りがあってから1時間も経っただろうか。

 短いアラート音と共に、副長兼観測オペレーターのケニー大尉の一声によって、全天監視体制で緊張が続いていた指揮所の沈黙が破られた。


「報告します!

 相対座標、ポイント+22、エレベーション+4に回折歪み(ディストーション)を確認。移動中です」


 報告された情報は目標の位置だ。

 宇宙空間での位置や座標を表現する方法は、国際基準や各国のローカルルールなどいくつか存在する。

 ケニー大尉が報告したのは国際基準の座標表現だ。

 相対座標系では艦首の方向を基準に「+」、艦尾を「-」で表現する。

 ポイント+22というのは艦首の方向を見たとき、艦の天井側に12時の文字が来るように時計を置き12時の方向を起点にして時計回りに22度の角度という意味だ。

 そしてエレベーション+4というのは艦首の方向を軸にゼロ度として、4度開いた角度という意味になる。

 つまりダルバンガの正面、少し右上の方という事を表している。


 ちなみに、艦尾を基準にするときは「-(マイナス)」を用いることになっているが、実際の現場ではあまり使われていない。


 一般に使われるもう一つの位置表現に、絶対座標がある。

 絶対座標系というのは、太陽を正面に見据えて、地球の公転方向が左回りになる様にして水平に見た状態を基準に表現したものだ。

 こちらの絶対座標は長距離貨客船や静止ステーション、港湾内での管制で多く使用されている。


 ケニー大尉が最後に報告した回折歪み(ディストーション)というのは、バックグラウンドの星の光を小さな何かが遮ると起こる、光の回折現象による歪みの事だ。


 ケニー大尉の報告を聞いて、艦長の目つきが少し鋭くなったのをウィルは見逃さなかった。


「距離と進行方向は分かるか」


 ケニー大尉は艦長の様子を気にすることも無く、モニターを注視したまま報告を続ける。

「推定ですが本艦との距離、約20,000。

 予測コースは相対座標、ポイント+205、エレベーション+177、相対速度42000、観測装置による計算誤差は約10%です」


 報告によれば、相手は本艦の右側をかすめて左後方へ飛び去って行くコースを進んでいる。

 最接近距離は約400kmだ。

 駆逐艦ダルバンガは現在、約25,000km/hで慣性航行中だ。

 つまりあと30分足らずで最接近するということになる。


 黙って報告を聞いていたオオタニ艦長はシートに肘をつく様にして口を開いた。

「予測通りだな。このルートは軍専用だ。

 航行禁止の通達の中、こんなところにIFF(識別信号)も無しでうろついている奴は、例のテロリストか、海賊か、俺たち以外にいないだろう。

 恐らく次の目標を攻撃する為に移動している真っ最中、といったところか」


 地球上で軍用機と民間機が飛行可能な高度が区別されているように、宇宙空間でも火星と地球の間は軍艦と民間船の航行可能なルートが制限されているから、通常このルートには民間船は存在しないはずだ。


 ましてや、先般発生したテロ事件の影響で、火星と地球の間に存在する補給ステーションが全て破壊され、緊急通達によって、通常の航行に制限が課せられている状況下だから、遭遇する相手は必然的に通達を無視して航行する船舶であり、つまり敵対するものである可能性が高いということになる。


 補給ステーションが襲撃を受けたときの座標から、テロリストの移動ルートを推定した場合、この周辺を航行することもある程度は事前に予測はされていたこともあり、遭遇すべくして遭遇したとも言える。


 本来、このようなリスクは避けるべきなのだろうが、最短コースで地球を目指すというのが、この艦の課された使命だ。


「警告は不要。戦闘開始だ。通達、第一種戦闘配備。

 後方のノストラムにレーザー通信。本艦を盾にして左舷へ回避させろ。細かいことは任せる」

 オオタニ艦長が命令を出す。


 第一種戦闘配備とは、既に戦闘状態にある場合、若しくは最優先で戦闘行動を行う場合に、その用意をせよという事を艦内に通達するものだ。

 ケニー大尉が復唱し、戦闘指揮所が急に慌ただしくなる。

 通信士のレイラ少尉が端末を操作している。

 レイラ少尉のアナウンスに合わせて、艦内の各ブロックを繋ぐ通路が閉鎖された。


 さらに艦長から指示が続く。

「オペレーションプランBだ。

 投射爆雷3、作動距離は順に1200、1000、700。

 続けて機動爆雷を泳がせろ、数は2だ。

 機動爆雷は最初の起爆に合わせてターゲットに突っ込ませろ。

 コースはプラン通り、射出は30秒間隔だ。合図を待たず撃て」


 プランBとはあらかじめ戦闘を予測して、我々研究員も意見を出して立案した作戦の一つだ。

 テロ事件の目撃情報通りであるなら、おそらく相手はフリゲート艦だ。

 駆逐艦ダルバンガよりも新しい規格で建造された新鋭艦であり、船体サイズも一回り大きいし、武装も強力だ。

 正面から撃ち合って敵う相手ではない。


 単純に性能差だけで比べたとして、艦首レーザー砲で撃ち合ったとしたら、フリゲート艦の装甲を破るまでにこちらは3回大破しているだろう。

 ましてや輸送艦を護衛しながらでは逃げることも困難であり、なおさら勝算は無いに等しい。

 このまま接近を続ければ、おそらく相手もこちらに気づき、先手を取られる可能性が高い。

 もしそうなった場合、万が一にも勝ち目は無くなるだろう。


 ケニーが状況(ステータス)を逐次報告してくる。

「目標補足。ターゲットを識別名バンディット1とします。

 雷管1番2番装填、発射管開放。

 諸元入力。1番、目標予測進路の後方100に補正、2番、補正なし。

 艦首軸合わせ、1番2番準備よし、・・・1番投射」


 発射装置のリニアモーターが稼働し、強力な荷重がカタパルトから爆雷を押し出し、その加速によってレールがこすれて艦内に大きな振動となって伝わってくる。


 ウィルは爆雷の様子が見えるかと正面の大きなオペレーションモニターを見つめたが、相変わらず真っ暗な宇宙が映し出されているだけだった。

 コンピュータによって記号と四角い枠が表示されて、画面上でゆっくり動いている事で飛翔体が移動しているのがわかる程度で、感慨は無い。


 無理もない。

 最初に発射された爆雷は、推進機関が搭載されていない投げ込み式の爆雷だ。

 炎が出たりしないから、モニターを見たって見分けが付くものではない。

 そのため相手がレーダーを使用していない状況であれば、発射を悟られる心配が少ないのがメリットであるともいえる。


 爆雷は大きく分けると2種類あり、たった今発射された投射爆雷と、投射後にロケットモーターで進路を変えられるタイプの機動爆雷に分類される。

 基本的にどちらも起爆すると金属の散弾をばら撒いて、爆散円の中を相手が高速で通り抜ける事でダメージを与える質量兵器(キネティックウエポン)だ。


 宇宙空間で起こる高速戦闘は、通常弾頭の近接起爆型の兵器では命中率も低く、あまり役に立たないことが多い。

 爆雷の爆散円は時間とともに広がるので命中の可能性は高くなるし、散弾がより濃密な状態を保ったまま相対速度差によるエネルギーを加えてダメージを与えられれば、フリゲート艦の装甲であっても一撃で破壊することも可能となる。


 二種類の爆雷にはそれぞれメリットとデメリットが有り、投射爆雷は炸薬や散弾の量を多く積む事が出来るが、射出されたら真っ直ぐ進むだけで進路を変えることができない。


 一方、機動爆雷は破壊力が小さいものの、推進剤の許す限り発射後に加速したり進路を変えたりする事が出来る。


 どちらの爆雷も弾頭を変える事で拡散弾、貫通弾、対レーザー防御弾(アンチレーザー爆雷)など様々な用途にも対応出来るが、通常は艦内で弾頭を換装することは出来ないので、作戦内容等により、予め種類を選択して搭載しておくのが一般的だ。


 宇宙ですれ違いざまに起こる対向戦闘は、大抵の場合は短い時間で終わり、物静かなやり取りで終わってしまう。

 ド派手な演出が見られるときは、燃料や火薬に引火して船体が爆散したときか、エンジンが被弾して暴走したときか、レーザー砲を受けて船体が溶解したときだろうか・・・。


 そう考えを巡らせていると、ウィルは身震いがした。

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