第1章 探索 (4)出会い ①

 フォボスでの調査は3日目に入った。


 事前の内部走査によって、人工物と思われる痕跡が地表近くに確認されいたエリアを絞り込んで、表層の成分分析と振動解析による地下の探査が進められている。

 荒涼としたフォボスの表面は、どこを眺めても無機質な地面と岩ばかりだ。

 ウィルを含めた調査チームは、本日予定されていた2番目の調査ポイントへ向かっていた。


 フォボスは直径22km程の小さな天体なので、重力は非常に小さく、月などに比べると殆ど無重力に近い。

 そのため、移動には船外活動用のスーツに増設したスラスターが役に立つ。

 スラスターの短時間噴射でジャンプして、数分の空中遊泳の後、ゆっくりと放物線を描いて落下し、やがて地表に着地する。

 その繰り返しで数キロ先の目的地にも岩を避けて移動することが出来る。

 第三者から見れば優雅な光景に映るだろう。

 しかし、うっかり着地前の減速を忘れると大怪我では済まない可能性があるので、スラスターを駆使して慎重に移動する必要が有る。


 ウィルは火星着任の際に一度スラスターの教習を受けてはいたが、実践で使用するのは今回が始めてであった。

 4名の調査チームの中で、最後にジャンプしたので覚束ない後ろ姿を誰にも見られなかったのは良かったと思っていたが、前を行く3人から離れてしまった事で焦ってしまった。

 追いつこうとスラスターを吹かした結果、噴射量を誤って先行している3人より40m近く上昇してしまった。

 この状態で更に噴射したりして足掻くと、最悪の結果になりかねない。

 もし今度スラスターの噴射角度を間違えたら、永遠に周回を続けるフォボスの衛星になってしまうかもしれないのだ。

 そう考えたら背中に寒気が走った。


 ウィルは余計な事をすべきではないとあきらめて、仲間に連絡を入れた。

「こちらミラー。

 すまない、ちょっと吹かしすぎた様だ。

 高度がかなり上がってしまった・・・」


 無線を聞いていた調査班のリーダーから返答が入った。

「了解した。後から追いかけるから、着地したら連絡を入れてそのまま待っていてくれ」


「・・・悪いが頼む」


 自分の足の更にずっと下を、フォボスの地表がゆっくりと流れ去っていく。

 少しずつだが高度が下がって来たようだ。

 5分以上何もできずに、ただ地表に到着するのを待った。


 スーツに装備されているオートバランサーで体を水平に保ち、地表に衝突する直前にタイミングを計って逆噴射を行った。

 スラスターの教習課程でも基本となる減速操作だ。


 しかし不幸は重なるものだ。

 ウィルはスラスターの操作で落下速度は十分落とせたのだが、着地の際に岩に躓いて地面に体を打ち付け、バウンドし、また空中に投げ出されてしまった。

 慌ててオートバランサーを最大にしたが、全く体の回転が止まらない。

 どうやら先程転倒した弾みで故障してしまったらしい。


 教本にあったように体を伸ばしたり腕を動かしてバランスを回復しようとしたが、回転が思うより早かったせいか、どれも上手くいかなかった。

 次の瞬間、強烈な噴射音と共に背中に反動を受けた。


 ──気がついた時、周囲は闇に包まれていた。

 どうやら気絶してしまったらしい。

 フォボスはどこだ?

 ヘルメットの中で左右に首を振って周囲を見渡したが、地表が見つけられない。

 空を覆うように見えていた筈の火星も、満点の星空も見当たらない。

 全くの闇の世界だ。


 ウィルは違和感の様なものを感じていた。

 だがその違和感にすぐに気がつく事になる。


 重力?


 そうだ、ここには重力が有って、今自分は暗いどこかの部屋の中にいて、床に横たわっているのだ。


 状況が分かって来ると、少し落ち着いて考えることが出来る様になって来た。

 今頃、調査チームは自分を探しているに違いない。

 連絡を取らなければ。

 それに、あれからどれだけ時間が経ったのか。

 ウィルは立ち上がり、スーツの腕の部分に装着されている端末で時間を確認した。


「ん?待てよ・・・」


 ふと、足元を見た。

 本当の違和感の原因は、今まさに重力に逆らって自分の足で立っているという事実だった。


 体が重い。

 慣れ親しんだ火星の重力と同じだ。

 ウィルはその事実に直感的な拒絶反応を覚えた。

「有り得ない・・・そんな馬鹿な。さっきまで無重力に近いフォボスの上を歩いていたんだぞ・・・」


 困惑していると、若い女性の声がした。

「こんにちは。

 ・・・異常は無いですか?

 体に損傷はありませんか?」


 ウィルは、はっとした。

 その声はヘルメット越しに聞こえていたのだ。

 スーツもシワができて弛んでいる。

 その状況は周囲に空気が有るという事を示していた。


「誰だ、誰かいるのか?」

 ウィルは立ったまま暗闇の中を見渡した。


「あ、そうか。

 ごめんなさい、照明を用意します」


 すぐに周囲が明るくなって、状況が分かる様になった。


 改めて今立っている場所を見渡すと、そこは無機質な人工的な部屋で、ちょっとしたリビングくらいの広さがあった。

 所々に装置のようなものや、テーブルの様なものが設置してある。

 どれも見たことが無いものばかりだ。


「ごめんなさい。

 人が暗闇では周囲の認識が出来ないことを忘れていました。これで見えますか?」


 ウィルの右斜め前、4mくらいの所に人が立っていた。

 女性だ。

 いや、それよりも彼女は誰だ?

 調査隊の中にも見なかった顔だ。

 スーツも着用していない。


 不可解な状況の連続で戸惑っていると、目の前の女性が続けて話しかけてきた。

「私はエルマリィと申します。

 貴方は大丈夫ですか?」


 呆気に取られていると、彼女は更に続けた。

「私の言葉は正しく伝わっていますか?」


 標準語に慣れていないのか、少し言葉使いがおかしいが、理解は出来た。

 不鮮明な情報を得ても、勝手に意味を推測して補完する。

 人間のいい加減さというか、曖昧な脳が生み出すとても便利な機能だが、これがしばしば誤解を招く事もある、そこが人間の生物らしいところだともいえる部分だ。


「あぁ・・・分かるよ」


「・・・良かった」

 なんだか彼女からは、ほっとした様なニュアンスが読み取れた。


「ここは何処なんだ?」


「あなた方がフォボスと呼んでいる星の内部です。

 あなた方の言い方では表面からだいたい2kmの所ですね」


「何故そんな所に・・・君が僕をここへ連れて来たのか?」


「そうです。あなたは意識を失っていましたから、あのままですとフォボスから離れてアセルファに落下していました」


「アセルファとは何だ?」


「あなた方の付けた名前は火星でしたね。

 私達はあの星をアセルファと呼んでいました」


 そう言いながら天井を指差した。

 すると天井に火星の映像が映し出された。

 壁面モニターは珍しくも無いが、これ程高精細な画像はなかなか見られない。

 暫し火星に見とれてしまったが、背中がやけに軽いので腕を回して背中に装着していた筈のスラスターユニットをまさぐったが、跡形も無かった。

 背中のアタッチメントから脱落したそれは、目の前の床の上に無造作に転がったままだった。

 スラスターユニットを調べると、片方の噴射口が無惨にも吹き飛んでいて、影も形もなかった。

「そうか、スラスターが暴走したんだな・・・

 助けてくれたのならお礼を言っておこう。

 ありがとう。

 ・・・そうそう、自己紹介がまだだったな。

 僕はウィル。ウィル・ミラーだ、よろしく」


 ウィルは握手を求めて何気なく右手を差し出した。

 すると彼女はハッとなってウィルの顔を見返してきた。

 何だか硬直しているようにも見える。

 どうしたんだろうか、何かまずい事でもしたのかと、差し出した右手を引っ込めようとした。


「私でいいんですか?」


「は?」


「・・・よろしくお願いします!」

 彼女は差し出したウィルの右手を自分の両手で鷲掴みすると、激しく上下に振ってきた。

 やけに嬉しそうだ。


 後から分かった事であるが、彼女の生まれた故郷では成人男性から右手を差し出されるという事は、パートナーとしての申し出をされる事を意味するらしかったのだ。

 そもそも彼女の中では手を繋ぐという習慣が無い、厳密に言えば地球で言うシキタリ的なところからきている習慣らしい。


 そう、彼女は地球人類ではないのだ。


 分かりやすく言えば、異星文明が創り出した擬似生命体、所謂アンドロイドというやつだ。

 いきなりそんな事を言っても、誰も信じてもらえないだろう。

 本人から簡単な説明を受けたが、それでも全く釈然としなかった。

 なにせ彼女の容姿は人間そのものだからだ。

 少なくとも説明を受けるまでは漠然と異星人そのものと遭遇を想定していたし、心のどこかではそのつもりで接していた。


 デジタル暗号化した無線を傍受して言葉を覚えたという話を聞いて、アンドロイドである事に、漸く納得はしたが、それでも我々の基準では考えられない程に機械らしさが感じられなかったので、にわかに信じがたいという気持ちは消えてはいない。


「ところで、君はここで何をしているんだい?」


「あなたはメッセージを聞いて、ここに来たので合っていますか?」


 ウィルは彼女の言葉を聞いてはっとした。

 質問に質問で返すなんて、かなり高度なアルゴリズムを積んでいても簡単に出来ない芸当だ。

 しかも言葉の真意を深読みして的確な内容で返すなど、機械的な判断だけでは難しい反応だからだ。


 実際、そのようなAIは存在する。

 だが必ず不自然さが見え隠れするものだ。

 しかし、彼女にはその不自然さを見出だすことが出来なかった。

 先程の握手も違和感は無かった。


 いや、一点だけあるとすれば、体温を感じることが出来なかった。

 確かめたい衝動に勝てずに、改めて彼女の手を掴んだ。

 やはり、冷たい。

 スーツ越しではあるが、温かくは無い・・・。


「私、言葉が違っていましたか?」

 そう言いながら、少し硬直している様にも見える。

 普通の人間で例えるなら、緊張のあまり硬直しているのと同じ反応だ。


「いや、君の言葉は間違っていないよ。

 ごめん。

 ただ、ちょっとだけ確かめたかったんだ。

 僕には君が機械だとは思えなくてね・・・」


 緊張を解き、途端に彼女は表情を変えて明るく振る舞った。


「ありがとう御座います!

 父が聞いたらきっと喜ぶと思います。

 ・・・あ、父というのは私を創り出した人のことです。エンジニアという表現で合っていますか?」


 人間と同じだ。

 近いというより人間そのものと言っていいくらい、違和感の無い反応だ。

 会話も曖昧さを含んだ自然な遣り取りが出来ている。

 人工生命体という言葉が頭に浮かんだ。


 人間の真似事をする人工知能なんてざらに有る。

 だが真似事だけでは無い、何かを感じた。

 彼女が時折見せる仕草、困惑、そう、完全な感情機能を持ち合わせたアンドロイドだ。

 少なくとも我々地球文明の持つ技術では到達出来ていない機能だ。

 その事実に驚きを覚えた、しかし、状況はそれ程のんびりしてはいられない。

 あれから随分時間が経っていそうだったし、スーツの生命維持機能もあと1時間位しか持たない。


 色々と質問したい気持ちを抑え、話を進める事にした。

「さっきから話をしていて、不思議なんだが、君は何処から来たんだ?

 僕には地球人と話をしている様にしか思えないんだが・・・」


「私はここから1000万年ほど前の時間、光の速さで11万光年掛かるタームという星から来ました。

 貴方が違和感無く感じているのは、たぶん、私達ターム人類があなた方の先祖だからでしょう・・・

 私はターム人の外見と同じに造られましたから」


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