第1章 探索 (3)上陸 ②

 --- ディセント(下降) ---


 宇宙空間ではとかく距離感について正しく認識が出来なくなることがある。

 広大な空間が広がっている割りに、大きさを測る指標が殆ど無いこともその一因だ。


 例えば地球から月まではおよそ48万kmもの距離があるが、地球の地上から観察しただけではその距離は実感が出来ない。

 同じ衛星であるフォボスの場合は、火星から約9千Km、地表からの距離でいえば6千kmと地球と月の関と比べれば、かなり低い軌道を描いて周回している。

 またその直径22kmのサイズの割に、公転周期も非常に短く、約7時間半で火星の周りを1周してしまう。

 太陽系内でも珍しいタイプの小天体だ。


 火星最大の国際宇宙ステーション “アンタレス”はフォボスよりも高い軌道の高度1万4千km付近に静止しているので、フォボスに向かうには加速しながら降下していくコースになる。


 到着まで約3Gの加速を連続的に続け、最短でおおよそ2日の時間を要する。

 ろくに訓練も受けていない身には辛い加速Gであるが、おそらく軍事作戦であれば簡単に5Gは出すというので、それに比べれば大した事ではないのだろう。


 周囲を見渡しても、皆一様に平気な顔をしているのがにわかに信じがたいが、慣れてしまえばそんなものなのかも知れない。

 だが、それにしても、体がシートに押し付けられてかなり動き辛い。

 ただ全く立ち上がれないとか、動けないという程のGではないので、我慢するしかない。


 体験した事は無いが、緊急時には10G近く掛かることもあるという。

 流石に10Gも掛かると、耐Gスーツを着ても訓練されていなければ気絶してしまう可能性だってある加速度だ。


 幸い最新のほとんどの宇宙服には簡易的ではあるが耐G機能が組み込まれていて、今装着しているものにも当然その機能が備わっている。

 今全身で受けている加速Gは3G前後あるが、それが耐Gスーツによって体感上では6~7割まで緩和されているわけだから、無防備の宇宙服に比べればかなりマシである。


 ウィルは加速による圧迫感に呼吸を整えながら、じっとモニターを見つめていた。

 星の数でも数えていれば、その内に慣れるかと思ったのだが、ただ辛いだけだったのですぐに止めて寝てしまう事にした。

 この状態が何時間も続くと考えたら、しばらく良い夢は見られそうもないなと思った。


 --- フォボスの調査 ---


 約二日が経ち、指揮所にある大型モニターには火星の衛星フォボスが大きく投影されていた。

 1時間ほど前にノストラムの後ろから追いかけるようにフォボスが接近してきて、やがて舷側に並んだ格好だ。

 少し離れたところに駆逐艦ダルバンガも確認できる。


 フォボスは直径約22kmの天体で、少しいびつな形をしている。

 地球の衛星である月とは比べ物にならないが、間近で見るとかなりの大きさを感じる。


 現在、調査機材の搬送と簡易的なベースキャンプを設営するため着陸機ランダーが、ノストラムとフォボスの間を往復している。

 我々研究チームもベースキャンプの完成を待たず、上陸した。


 岩盤が剥き出しの無機質な地表に設営された研究ブロックは、最大10名が入ることが出来るスペースが確保されている。

 後から居住ブロックが接続されれば、それなりに快適に過ごせる様になる筈だ。


 フォボスにも重力があるが、ほぼ無重力と言っても良いくらいに小さいので、気をつけないと移動も困難だ。

 勿論、屋外の活動の際には、簡易的なスラスターを装備した宇宙服が必要となる。


 小窓から設営作業の様子を眺めていると、近くにいた軍属の研究員が話しかけて来た。

 彼は今回の調査で同行してきた主任研究員でジャミールといった。

 細身でかなりの長身の男だ。天井の低い研究ブロックでは、頭がぶつかりそうに見えて何だか窮屈そうにしているのが気の毒に思えた。

「ミラー博士。これを見てくれないか」


 彼はそう言うとタブレット型の端末を差し出して操作した。

 するとディスプレイにフォボスの立体図が表示された。


「ノストラムから走査用の電磁波を照射して、フォボス内部の反射スペクトルを測定したものがこれなんだが・・・」


 立体図はシグナルの強度別にカラーで色付けされている様だが、そのほとんどが黄色の色で染まっている。


「これだけを見るとただの岩石の塊の様ですね・・・」

 岩だらけの地表から反射されたシグナルと、内部からのシグナルとで殆ど相違が見られない点からフォボスはただの岩の塊と思えた。


「だがこれを見てくれ」

 ジャミールが端末を操作して画像をいくつか表示させ、色調を変えて重ねて見せた。


「波長を変え、数パターン測定をしたものをオーバーラップさせ、傾向の類似するパターンを分類してフィルター処理するとこうなる・・・」


 すると画面上にいくつも空間の様なものが浮かび上がった。

 ウィルは画面の情報を見渡しながら、人工的な形状をしたシルエットが含まれている様子を観察した。

「なるほど、外部からの電磁波を乱反射させて、あたかも何も存在しないかの様に偽装しているのか。

 確かにこれなら、遠隔でスキャンしただけでは、ただの岩の塊に見えるかもしれないな・・・」


 事前に結果は知ってはいたが、実際に目の当たりにすると驚かされる。

 一体、誰が、何の目的でこんなことをしているのか。


 モニターに浮かび上がって来たシルエットの一つを指して、ジャミールが言った。

「この細い管の様な部分は通路か配管の様に見えるな」

 ジャミールは、そのシルエットを拡大して画像をスクロールさせる。


「小部屋の様なものが点在しているが、中心部に大きな影が有るな。

 それが他の管状の影より太い影に繋がっていて、真っ直ぐ表面に向かって伸びているようだ・・・。

 その先の表面近くに並んだ大きな構造物はなんだろう・・・」

「パラボラアンテナの様にも見えるな、だがやけに堅牢そうな作りだな・・・、もしかすると、電磁波を利用するエンジンじゃないのか?

 ・・・だとしたら、凄いぞ!

 フォボス自体が巨大な宇宙船だという可能性が高いんじゃないか?」

 二人は目の前の事実に興奮が抑えられなかった。


 更に、表層近くを見渡してみると、坑道の様な穴が直線的に深部へ向かって並んでいる様子が確認できた。


「ここから中に入れないかな・・・」

 ジャミールが周辺を拡大してみせた。


「入り口らしきものは有りそうですか?」

 ウィルも画像に釘付けになっていた。


「この近くに構造物が存在しそうなところは何ヶ所か有るが、詳しく調べないと分からないな」

 ジャミールはそういうと考え込む素振りを見せた。


「ベースキャンプから近いところをいくつかマークして、怪しいエリアを重点的に調査しましょう」

 ウィルは調査方針を提案し、ジャミールもそれに同意した。

 ベースキャンプの設営も進んでいるので、明日からは本格的に調査が始まる筈だ。

 調査チームの面々は作業に備え、しばし仮眠を取ることにした。

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