第1章 探索 (3)上陸 ①
--- ノストラム ---
司令長官室からホテルに移動すると、疲れたせいかシャワーも浴びずに眠ってしまった。
翌日、出発の用意をしてホテルのロビーで待機していると、火星軍からの使いという中年の男が現れた。
彼はイザークと名乗った。
少し小柄だがガッチリとした体格で、制服の袖が捲られていて、そこから鍛え上げられた両腕の筋肉が見える。
低重力下で生活していると、あまり筋肉質の人間を見る機会が減ってしまうので、割と珍しい存在だと言える。
ウィルの視線に気が付いたのか、イザークは右腕の拳を突き上げながら語った。
「あぁ、これですか?
宇宙じゃ筋力が衰えるばかりですからね。最初は筋力維持の為にトレーニングを始めたんですが、続けるうちに趣味になってしまいましてね。お陰で今ではこうですよ」
イザークはそういうと、自慢げに腕を力強く振り回して見せた。
──軍用軌道車に乗り重力区画を出ると、宇宙港の入口についた。
イザークの案内で、軍関係者専用の予圧ブロックに入る。通常、民間人は立ち入れない領域だ。
ゲートを通過すると通路になっていた。幅は5m位あるだろうか。
アンタレスの中では比較的大きな通路だ。
緩いカーブを描いて続く通路をしばらく進むと、窓から係留された艦船が桟橋に沿って並んでいるのが見えた。
無重力下の通路では歩くという動作が出来ない。
そのため、ほとんどの通路には移動用の手すりが壁に据付けられている。
手すりを伝わって進むことも出来るが、ところどころに設置された牽引式のハンドルを掴んで移動した方が速い。
マグネット式の床を採用しているエリアもあるが、移動を目的にした通路などでは、ほとんどがこの方式だ。
要するにハンドルに掴まっていれば勝手に通路の終点まで運んでくれる訳だ。
無重力下で通路を進むのは、どちらかというと進むというよりは登っている感覚に近い。
まるで四角い煙突の中を引っ張り上げられている様な感覚だ。
通路をさらに進むと、先導するイザークが窓の外を指さしながら、こちらに振り返った。
「あの桟橋の手前に見えるのが駆逐艦ダルバンガです。
私は初めて見たとき、流れる様な造形と人工的な構造を併せ持ったフォルムをしていて、とても美しいなと思いました。かなり古い艦ですが、良い艦ですよ」
駆逐艦ダルバンガは艦首部分からの中央部のやや膨らんだ部分に掛けて、流線的な造形が連なったフォルムをしていて、艦尾には不釣り合いな程長く大きなパネルが八枚、船体を取り巻く様に取り付けられていて、僅かに開く様な角度になっている。
八枚のパネルは、恐らくメインエンジンと燃料タンクを保護する為のシールドの役目をしているのだろう。
ウィルが窓に張り付いて駆逐艦を眺めていると、イザークが続けた。
「そうそう、私はこの艦の機関長をしています。
この艦は第一世代型の艦なので、見た目は古いですが、エンジンは新型になっていますし、少なくとも火星圏では最速クラスです。もっとも、火力では新世代の巡洋艦やフリゲート艦には敵いませんがね」
現在、戦闘艦に分類される軍艦は、サイズ別に大きく3種類のクラス分けられている。
最も大きい艦が巡洋艦クラスで、次いでフリゲート艦クラス、そして駆逐艦クラスが最も小型の戦闘艦だ。
世代別にいえば巡洋艦とフリゲート艦が新世代型で、駆逐艦は旧世代型に区分けされる。
中でも強力な戦闘力を持つ巡洋艦クラスは、そもそも国家間の大きな戦争が根絶した現代では不要だとする意見が多くあって、今なお論争が繰り返されているが、おおよそ50年前に戦闘能力の高い戦闘艦の必要性を訴えつづけてきた科学者、アレクセイ・イワノフの働き掛けで計画されたものだ。
実際の配備が始まったのが約25年前からで、かつて月軌道で勃発した紛争が教訓になっているとも言われているが、切っ掛けを作ったアレクセイ・イワノフは巡洋艦の竣工を見ることなく、事故でこの世を去っているので、明確な理由は闇の中だ。
ちなみに駆逐艦ダルバンガの名前は、造船が計画された時の設計責任者の出身地に由来しているとイザークが教えてくれた。
通路をさらに進むと、ダルバンガより一回り大きな艦が見えてきた。
「あれがノストラムです」
イザークがノストラムについて説明してくれた。
ノストラムという名前には特効薬と言う意味があるそうだ。
軍所属の輸送艦で、艦隊に随行するためにエンジンが強化されている以外は民間の輸送船と構造や装備はほとんど変らない。
ノストラムのコンテナには現在、着陸機(ランダー)や調査用の機材が積み込まれ、出発準備が出来ていると説明を受けた。
通路の端にある乗船ゲートの前まで行くと、ゲートの先にはエアロックが続いているのが見えた。
入り口で簡単なボディーチェックを受け、イザークと別れて桟橋を通ってノストラムのハッチから艦内に入った。
予圧室を通ると艦の中央にあるメイン通路に出た。
通路の壁に表示されたインフォメーションを確認すると、通路は艦首から艦尾にかけて真っすぐ続いており、艦内のアクセスが良い設計となっている事が分かった。
艦首に向かって移動し、2つの大きな隔壁を通ると艦橋エリアに出た。
一般の乗員用シートが中央通路の左右に並び、既に20名程の乗員が座っていた。
そのさらに先の区画が操艦担当の指揮所になっている。
指揮所は5つのシートがU字型に並び、操艦用のコンソールがそれぞれのシートの前に配置されている。
5つのシートの中心にあるのがキャプテンシートの様だ。
艦橋の広さは十分あるはずだが、床から天井までは約2m無いので、そのためか広さの割に圧迫感がある。
もっとも、軍事目的で建造された宇宙船に快適さを求めるのはお門違いなのかもしれないが・・・。
ウィルは指揮所のエリアまで中央通路に沿って移動すると、キャプテンシートに座った男がウィルに気がついて挨拶をしてきた。
「こんにちは。艦長のリー・クワンシェです。
ミラー博士ですね。よろしく頼みます」
年齢は自分とそう変わらないように見えた。
艦長にしてはかなり若いなと感じた。
軍の訓練や士官の採用基準は高いと聞いている。
相当優秀な人物なのだろう。
「ウィリアム・ミラーです。
こちらこそ宜しくお願いします」
ウィルがそう言うと、リー艦長は手を伸ばして握手をしながら続けた。
「申し訳ありませんが、すぐに出発になりますから、空いている乗員シートに着席をお願いします」
そう促されて、乗員用のシートまで移動した。
すでに着席している他の乗員たちに軽く挨拶をして、空いているシートを見つけて床のキャビネットに荷物を突っ込み、シートに座った。
シートには4点式の固定ベルトが装備されていて、インフォメーションに従ってバックルを締め付けて体を固定すると上半身がほとんど動かなくなった。
民間船のシートも余り心地良いとは言えないが、それでも窮屈ではなかった。
しかし、軍艦のシートは隣同士が密着しているし、高いGにも対応できるようにできていて、頑丈であるが、その分くつろぎとは無縁の世界だ。
しばらく身じろぎもせず待っていると、通信士のアナウンスで出発の最終確認を行なう通達が流れた。
数分待ち、最後の安全確認が終わると船体に振動が加わった。
港湾内の自動ドローンが船体に接弦したのだろう。
ドローンは、ノストラムをゆっくり押し出すと、船体がステーションから離岸した。
ドックエリアから十分に距離を取り、艦首が方向を変え、火星が艦の左に見える様になると、ドローンが離れていった。
艦が停止すると通信士からアナウンスが入った。
「本艦はこれよりフォボスに向けて加速体制に入ります。
駆逐艦ダルバンガとデータリンク接続。
航法制御の移譲完了。
総員、耐G姿勢」
艦内に警報音が鳴ると、シート全体が強制的に立ち上がって、膝を折り曲げて座る姿勢から直立姿勢に形態が変わった。
加速時には長時間正面方向から大きなGを受けるので、体内の血液が足先や頭部に偏るのを防ぐために、ベッドに横たわるのと同じ姿勢をとるのが最も安定する。
ただし、戦闘機動している場合は様々な方向からGを受けるのであまり意味を持たないことが多く、この耐G姿勢は主に何時間も連続で加速するような状況で使用されるのが一般的だ。
前方の指揮所にある大型の船外モニターには艦首方向の映像が投影されていて、ノストラムの右前方に駆逐艦ダルバンガが映し出されているのが確認出来た。
しばらくすると、モニター上にカウントが表示され、残り10秒に差し掛かったところでダルバンガのメインエンジンから閃光が走り、艦影が次第に小さくなっていくのが見えた。
残り3カウントからオペレーターがカウントを読み上げた。
カウントがゼロになるとノストラムの船体に強い振動が加わり、体がシートに押し付けられた。
ジェット旅客機の離陸の様な生易しいものではない。
姿勢が悪いと、きっと一撃で首の骨を痛めるだろう。
ウィルは数時間の連続加速に耐える事となった。
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