第1章 探索 (1)フォボスの異変 ①

 ウィルは突然の騒音に目を覚ました。

 ダンダンダン・・・。

 さっきから誰かが部屋のドアを叩いているのだ。

 けだるい気持ちに鞭を打つようにして手を伸ばし、枕元にある時計を確認した。


 まだ太陽は地平線の下にある時間だ。

 渋々体を起こし、壁際のスイッチに触れてインターフォンを起動すると、ドアの向こうにいる誰かに向かって声を掛けた。


「おーい、誰だ?うるさいぞ」


 そう言いながらも、ウィルには犯人が誰なのか、おおよその察しは付いていた。

 大体、ドアの横にはインターフォンが設置されているのだから、素直にそれを使えば良いのに、その誰かさんは全くのお構いなしだ。


 全く行儀の悪い奴めと思いながらインターフォンのモニターを眺めていると、誰かさんはウィルの声に気がついたのか、インターフォンに付いているカメラを覗き込んできた。


「おーい、居るなら開けてくれよ」


「はぁ、やっぱりヴァラーハか・・・

 悪いが今日は非番なんだ。そっとしておいてくれないか」


 ヴァラーハの様子からして、まともに聞き入れてくれそうもないことは分かってはいたが、一応、要望は出しておく事にした。

 最低限、そのくらいのプライバシーというか、権利は認められるだろう。

 そうでもしないと、何だかルール無用の無法地帯に足を踏み入れてしまうみたいで、嫌だった。


「非番ってことは知っているよ、だけど、それどころじゃないんだ・・・」

 ヴァラーハの慌て振りを見るに、今の面倒な状況が、さらに輪を掛けて面倒になりそうな気がして気が滅入った。


「分かったよ、着替えてそっちに行くから自分の部屋に戻って待っていてくれ」

 ヴァラーハの部屋はウィルの部屋のほぼ相向かいだ。

 ドアからドアまで通路を7歩も歩けば辿り着いてしまう。


 火星勤務が決まって、研究所の職員用に居住区画の宿舎が割り当てられたとき、ウィルは空いていた部屋がアトランダムに割り当てられたので何の不満もなく入居したのだが、ヴァラーハに至っては先に居住者が住んでいる部屋をわざわざ空けてもらって移り住んでいる。


 元々その部屋に住んでいた所員に話しを聞く機会があったのだが、なんでも「面倒をみてやらないといけない奴が居るんで、部屋を代わってくれ」と、頼み込んでいたらしい。


 恐らく保護者か何かのつもりなのだろう。

 良い奴なんだが、過度のお節介焼きなのが困ったところだ。


 いずれにしても、面倒をみるのと面倒をかけるのとで、一体どちらが面倒なのか、ふとそんな事を考えたが、ただ疲労感だけが後に残るので、今では些細な事だと思い込むようにして、いちいち気にしない事にしている。


 自分の部屋へ戻るように窘められたヴァラーハは、インターフォン越しに何かブツブツ呟いてはいたが、やがて大人しく自分の部屋に戻って行った。


 --- 事件 ---


 ウィルがヴァラーハの部屋を訪れたのはそれから10分ほど経った後だった。


 部屋ではヴァラーハがパーソナル端末を開いて待っていて、入ってきたウィルに早く来いとばかりに手招きすると、画面を見ろとジェスチャーしてきた。


 ヴァラーハとはアカデミー以来6年の付き合いだ。

 宇宙開発に携わって好きな研究を続けたいと、将来の夢を語り合って意気投合し、ずっと同じ場所で学び、今では同じ研究所に勤務している。

 いわゆる腐れ縁という奴だ。

 長い付き合いのお陰で、身振り手振りだけでも大凡の意思疎通はできてしまう。


 ウィルが画面を覗き込むと、そこにはテロを報じるニュースが流れていた。


 現場のライブ映像だろう、その映像には真っ暗な宇宙が映し出され、カメラがズームになって、ある一角が拡大表示されると、骨格こそ人工的な構造物の形を成してはいるものの、元々どんな姿をしていたのか判らないほどに破壊され、無残にもただの残骸と化した中継ステーションの姿があった。


 周囲には、破壊されたときに飛び散ったであろう漂流物が、様々な方向へ彷徨っている。


 アナウンサーは、何者かによって、地球と火星の間に配備されている8基の中継ステーションが、ほぼ同時に襲撃を受けて破壊されたことを告げていた。

 人的被害は調査中との事だが、相当な人数が居住していたはずだ。


 停泊していた艦船も相当数あっただろう。

 確かステーションには100から200人のスタッフが常駐していると聞いたことがあったから、一つのステーションだけで、少なく見積もっても300人とか500人といった規模で犠牲者が出た可能性がありそうだ。


 そもそも中継ステーションは、火星航路保全法という国際法によって、国連主導で配備された中立の国際宇宙ステーションだ。


 地球と火星の間に配置されていて、航路を往来する船舶への補給と救助が主な任務で、その周辺宙域は国際的にも条約によって戦闘行為は禁止となっているし、どの国家であろうとも侵害出来ない中立施設となっている筈だった。


「これは大ニュースだぞ。

 もしかすると戦争になるかも知れないな・・・」

 ヴァラーハは少し不安な様子で呟いた。


「戦争か・・・それは勘弁願いたいな・・・」

 ウィルは唸るようにして呟いた。


 人類は過去に一度だけ宇宙戦争を経験している。

 28年前に勃発した、月軌道の利権を巡って国際連合と中東連合が武力衝突した事件だ。


 文明が生まれてから何度も繰り返されてきた戦争は、宇宙時代が到来しても完全には根絶することは出来なかった。

 75年前に多くの国が参加した連合国家が成立した事で、戦争のリスクはかなり減ったと言えるが、今でもそこかしこに戦争の火種は燻っている。

 これが進化に生存競争という概念を取り入れて来た生物である、人類の生まれ持ったさがというものなのだろうか。


 宇宙開発が活発になって、人が地球外に住むようになると、そこには何かしらの権利が生まれ、やがてそれらを巡って様々な争いや犯罪が発生するという構図が繰り返されてきた。


 事実、近年になって特に問題視されているのは海賊の存在だ。

 多くの商船は広い空間を単独で航行する事が多いため、ことさら海賊に狙われやすく、経済活動に伴って商船が増えるに従い、国籍不明の艦船に襲撃される様な例が散見されるようになった。


 拿捕されて積み荷を奪われるだけならまだ良い方で、面倒が無いという理由で一方的に攻撃されて船体を破壊された後、放出された積み荷だけを回収していくという卑劣な手口も横行しており、国際的に取り締まりを強化してきた過去がある。


 連合国によって結成された戦闘集団、いわゆる統合軍と称されている軍隊が警察行動を目的に組織され、今でこそ相当数の戦闘艦が地球や火星の周辺に展開しているが、一時期は海賊の方が優勢で、まさにやりたい放題の状態だった時代もあった。


 ヴァラーハは今回の事件について、真っ先に海賊を疑った。

「やっぱり、海賊の仕業なのかな・・・」


 ウィルはヴァラーハの問いに、少し考えて意見を述べた。

「可能性は無いとは言えないけど、海賊の攻撃でそんなに簡単に破壊されてしまうものなのか、ちょっと疑問だな。

 確かに中継ステーションのタンクは可燃性の化学物質の塊だ。

 火災が起これば大惨事になりやすい。

 だけど、事故に対する対策も少なからず施されているだろうし、商船を改造した程度の海賊船の火力で、堅牢な設備が破壊されたとも思えない。

 報道の通りなら、8ヶ所のステーションが、全て同じ様に破壊されてしまったそうじゃないか。

 詳しくは知らないが、一般向けの資料では大型のフリゲート艦クラスのレーザー砲でも耐える構造だとか、安全性を喧伝していた筈だ。

 海賊の仕業だとしたら、ちょっと無理があるんじゃないかな」


 しかし常識的に考えれば簡単に起こりそうもない事件が、今、現実に起こっているのだ。

 もう少し柔軟な考えをすべきかもしれない。

 そう考えていると、ヴァラーハが先手を打ってきた。


「最近では軍隊から払い下げられた戦闘艦を使っている・・・なんて噂もあるだろう?

 やはり大きな組織が裏で手を引いていて、海賊に大型艦を供与したとか、そういう事なんじゃないのかな・・・」


「そうだな、他に思い付きそうもないから、恐らくその線で考えるのが妥当だろうな。

 しかし、地球上なら未だしも、少なくとも地球圏内に存在する宇宙ドックは限られているし、全て国際連合の管理下にある。

 トロヤ群にはドックは無い筈だし、月も国際連合の管理する中立領域で設備の建設は認められていない。

 外惑星領域の木星については、運用効率の面でもう何十年も前から開発は進んでいない。

 研究目的の前哨基地があるだけで、定期的な補給が無いと維持が出来ない状態だ。

 あとは火星軌道上にある宇宙ドックが怪しいくらいか・・・」

 ウィルは考えられる事を公開されている事実から推測した。


 大小含め、宇宙船と呼ばれるものを建造できるドックは限られているのだ。


「火星の宇宙ドックだって国連や統合軍の管轄だろ?

 ありえないんじゃないのか?」

 ヴァラーハは懐疑的だ。

 だが可能性が全く無いともいえない。


「まさかと思うが、火星軍がクーデターを起こすつもりだとか・・・

 いや、それは無いな。

 可能性だけじゃ只の妄想だから、これ以上の憶測は止めておこう。

 しかし、中継ステーションが使えないとなれば、経済的なダメージはかなりのものだろうし、航海上の安全が保てなくなったのは、かなり痛いだろうね・・・」

 二人だけであれこれ推測してはみたが、結局、何か事実が分かる筈もなかった。

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