第10話

「違わないよ」

 僕はツキの言葉に食い下がった。こんなにも楽しい一日は、ツキとじゃなきゃ過ごせなかった。こんな気持ちは、ツキ以外には抱くことはできなかった。

「優はもっとたくさんのことを好きになれる」

「ならない」

 僕も、間髪入れずにツキの言葉を否定した。僕も立ち上がって、ツキの顔を正面から見た。ツキが困ったように笑った。

「意地張らないでよ」

「……もう僕の家には来ないの?ツキ」

 何となく感じたことを、僕は口にしていた。答えを聞くことが怖いのにどうして聞いてしまったんだろう。

「そんな顔しないで、優」

 ツキの目に映る僕は、一体どんな顔をしているのだろうか。している僕を、ツキはどう思っているのだろうか。

「どこに住んでるの?」

 会いたいから。

「どうやって帰るの?」

 まだ一緒にいたいから。

「次はいつここに来る?」

 楽しみにしていたいから。

「教えて。ツキの名前、好きなもの、嫌いなもの、得意なこと、苦手なこと、全部」

 知りたい。離れる前に。もう一度会うために。

 ツキはしばらく何も言わなかった。ずっと下を向いていた。怒らせてしまったかもしれない。僕はツキに、何も聞かない方が良かったかもしれない。でも止められなかった。聞かなければ、胸が苦しくて、そのまま僕が張り裂けてしまいそうだった。

 ツキが顔を上げた時、その美しい顔はまだ濡れていて、少し苦しそうで…今にも消えてしまいそうで。僕はすぐに、自分が楽になるためにツキを傷つけたことを後悔した。ツキを悲しませることが目的だったわけじゃない。それだけは、決して違う。

「…俺は、ツキ。好きな食べ物は、月見おにぎり。今日、ピアノを少し好きになった」

 ツキが絞り出すように言った言葉。僕は口角を上げた。

「……知ってるよ」

 悲しい、とは違う苦しさ。ツキもきっと、僕を傷つけたいわけじゃない。それが痛いほどに伝わってきて、苦しい。

「それが……俺の全部。優が知ってることが俺の全部」

 ツキが僕を抱きしめた。僕の体も、ツキの体も、冷たかった。それでも二人が触れ合っているところで熱が生まれて、それは僕らをゆっくりと温めて、溶かしていく。

「ごめんね、優」

「うん」

 本当は、ツキの謝罪なんて受け入れたくない。でも、そんなことをしたらまたツキが困った顔をするから。

「優」

「うん」

「楽しかった」

「うん」

「ごめんね」

「…うん」

「ありがとう」

「……うん」

「優は優しいよ」

「…うるさい」

「ごめんね」

「……やっぱり許さない」

 ツキは僕の背中をさすっていた。今ツキはどんな顔をしているだろう。目を瞑ると、すぐにツキの顔が浮かぶ。美しいけど、優しくて儚い表情。

「ツキ」

「うん」

「ごめん」

「ううん」

「ありがとう」

「うん」

「……行かないで」

「……優」

「僕の隣にいて」

「……」

「ツキ、お願い。僕のものになって」

 我儘なことを言っているのは、分かっている。それでもツキを引き止めたい。一緒にいてほしい。僕にとっては、それだけ。

「俺はずっと優のものだよ」

 ツキが、ツキを強く抱きしめる僕から離れようとする。僕はそれを許さなかった。

「……ねぇ、顔見せて」

 でも、ツキがそう言うから。僕はツキを抱きしめるのをやめて、ツキの顔を見た。ツキは笑っていた。美しかった。でも、胸が苦しくて仕方がなかった。

「 」

 最後にツキが言ったのは、ごめんでも、ありがとうでもなかった。

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