第5話
「…う…ゆう……優」
「ん……?」
何だ…?今、誰かに名前を呼ばれたような…。瞼が重い。体が痛い…
「優、優」
やっぱり、誰かに呼ばれている。僕は左手で目を擦りながら右手で眼鏡を探す。誰かに眼鏡を手渡された。僕はそれを受け取って眼鏡をかけて、だんだんハッキリとしていく視界の中で、その人を見つめた。
「あ……」
心臓が飛び跳ねた。こんなことは初めてだった…いや、初めてではない。昔…いや、つい最近同じような……
「俺だよ、ツキ!!」
痺れを切らして、ツキが言った。そうだ、寝ぼけてた。僕はいつも寝起きが悪い。それにしてもやはりこの男は何度見ても美しい。見慣れない美しさというのはなんと珍しいものか。
「いたたた……」
体が痛いのは、床で寝たからか。僕は声を出しながら体を起こして…ドア付近を見て、あ、と声をあげた。
「え……誰……」
僕の部屋のドアノブを握って、亮がその場で立ち尽くしていた。
「あ、違うよ亮、ツキはその…」
「いや、浮気現場じゃあるまいし。高校の友達とかでしょ?」
「そうそう、高校の、友達」
ツキはきょとんとした顔をしていた。仕方ないだろ、ツキが素性を何も話さないんだから、本当のことを言ったらツキのことを怪しまれるかもしれないし。
「…母さんに優兄に声かけろって言われたから声かけに来たけど。母さんはその友達が来てること知らないの?」
「うん。昨日の夜…たまたま会って家に入れたから、母さんにはまだ言ってない。今から母さんに言いに…」
ぐぅー…と、僕の部屋に不思議な音が響いた。誰かの、腹の…?
「…ごめん」
ツキが言った。
「あははっ…いいよ、朝ごはん食べよ」
時計を見ると、七時半だった。夜には欠伸をして、朝になったら食べ物を寄越せと腹を鳴らす。当たり前だけど僕にとってはそうではない。社会の時間にあまりにも従順なツキに、なんだか少しあたたかい気持ちになった。
「階段、気をつけてね。たまに、いきなりゲンキが現れるから」
僕がツキにそう言いながら階下へ行くと、母さんが驚いた顔をした。
「あら…優くん」
続いてツキも母さんの視界に入るが、母さんは知らない男が家にいるよりも僕が朝起きたことの方が驚いているように見えた。
「…おはよう。昨日コンビニ行った時に会った、学校の友達、家にあげてた。ツキだよ」
ツキは、母さんにぺこりと頭を下げた。続いて亮もリビングに来て、ご飯、ご飯!と言った。
「初めまして、ツキくん。いつも優くんと仲良くしてくれてありがとう。朝ごはんは何を食べたい?苦手なものはあるかしら?」
ツキは、母さんの質問に答えるだろうか。今まで僕の質問にはひとつも真面目に答えていないのに、母さんの質問には答えたら。そう考えると、なんだかすごく嫌な感じがした。
しかし僕がツキをチラッと見ると、ツキが心底困った顔をしていたので、僕は慌てて口を開いた。
「ツキは玉子、好きだよ。ね」
月見おにぎりには、玉子が入っていた。ツキはきっと玉子を嫌いではないだろう。ツキは僕の言葉に黙って頷いた。ツキは、僕と会った時はそんな感じはしなかったけど、案外人見知りなのかもしれない。
「それなら、フレンチトーストにしようかしら。食べられる?」
「あ…、じゃあ、お言葉に甘えて」
ちらっと僕を見て答えたツキ。僕はツキに笑顔を見せて、
「顔洗いに行こうか」
とツキを誘った。ツキは少し安心したような顔で頷いた。
「ごめんね、母さんちょっと張り切ってるみたいで」
僕は、洗面所でツキに言った。
「いや、俺の方こそ。何も答えなくてごめんね?」
「んはは、今更だね」
ツキのしおらしい謝罪に、僕はつい笑ってしまった。
「それより、今日はどっか遊びに行かない?」
「え!行きたい」
「どこ行きたい?」
母さんは、きっとツキが家にいるとまた張り切ってしまう。ツキがそれをあまり楽しめないなら、いっそ外に出よう。そう思って言ったことだったが、ツキは少し考えて意外な行き先を口にした。
「優の、学校」
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