第3話孤独の魔女とお買い物


星惑いの森を覆う 山の頂から、ようやく太陽が現す 早朝に…、朗らかな声が木霊する


「ししょー おはようございます、エリスは今日も あさご飯を作っておきました」


「ああ…おはようエリス」


半開きの目を擦りながら椅子に着くレグルス、嗚呼 今日もまた弟子に起こされ朝飯の準備をさせてしまった、いや 意識的にはあるんだ 早く起きて

『おはよう?エリス、ご飯の準備が出来てるから 早く食べてしまいなさい』


なんて言いながら優雅にコーヒーを仰ぐかっこいい私を弟子に見せたいという気持ちが、しかし 眠気というものは如何ともし難い


「ししょー、今日のご飯はパンと豆のスープです」


「ありがとうエリス、今日も良く出来ているよ」


ふと、テーブルの上に乗るパンと 豆を煮たスープを見て思う、そういえば私は一切気にしなかったが、エリスは毎日同じメニューで飽きないのだろうか


我が食料庫にはパンと豆しか置いていない、必然的にあるもので済まそうと思うと このメニューに落ち着くのだが 、エリスは なにも思わないのだろうか…いや、思えないのだ 劣悪な食事環境で育ったエリスにとっては、安全な食べ物が出てくるだけで幸せなのだから…


…これは私が気を回すべき事だったか、不覚


「どうしました?ししょー…何か エリスいけないことを…」


「ああいや、なんでもない 少し考え事をな…?」


テーブルの上のメニューを凝視して動かぬ私を見て、エリスが不安げに声を震わせるのを感じ、慌ててスプーンを持つ、そうと決まれば 早速行動に移すか


「かんがえ事 ですか?…」


「ああ、…エリス 今日は文字の読み書きを少ししたら、森の外の村へ二人で出かけようか」


当然ながら、ここに置いてあるパンも豆も 私が作ったものではない、村で買ったものだ、

村 というよりは人里と言った方が良いか、多くの人間が農耕で生計を立てる 所謂農村だが、規模もそこそこ悪くない、雑貨店やらなんやら店もあり 私も都度都度お世話になっている


「むらですか?、わぁ ししょーとお出かけですか!」


「ああ、着いてくるか?」


なんて、聞くまでもなく エリスは目を輝かせテーブルに身を乗り出している、エリスには私のような人目人里避けて生きるような女にはなって欲しくないからな、今のうちに人に慣らしておこう


「ふふっ…うふふ、えへへ」


余程楽しみなのか、顔をふにゃふにゃ緩ませながらパンを両手で頬張っている、しかし 村で食べ物を買うとなるとこれからは二人分 それも栄養価の高い物を買う事になるだろう


私一人で暮らしていく時以上に金がいるな、その辺も考えておくか 幸い当てはある



……その後、エリスはいつも以上の速さで朝飯を平らげ そのまま流れるように読み書きの勉強へと移行、これまたいつも以上のやる気まんまんぶりを発揮して


「えっと次は…『おい、ゆうあいの魔女スピカ!わたしはおまえのあまいやり方がキライだぞ 、と こどくの魔女はいじわるに言いました』」


「うん、よく読めているな…」


本の音読も 少し吃るものの 問題なくこなしている、流石の覚えの良さだ 本の音読を初めてより5日程で劇的に進歩している、同年代から見てもかなりの いや異様とも言えるスピードだろう、早過ぎるぐらいだ


ちなみにエリスが今私の膝の上で読んでいるのは以前一緒に読んだ御伽噺『友愛の魔女の冒険』だ、そして読み上げているセリフは作中の私のセリフらしい、私こんな事言っとらん


もしスピカにこんな事言えばあいつ『あ ゙ぁー!レグルスがいじめたぁー!』と びえびえ泣き始めるし


「エリスこのセリフすきですよ、ししょーのセリフですから」


「お前は優しいなぁ、さて そろそろいい時間だ、村に出る支度をしようかエリス」


「やったやった」


エリスを膝の上から降ろし 、そう声をかけてやると 待ってましたとばかりに本を抱いてぴょんぴょん跳ね回るエリス、そうかそうか そんなに楽しみだったか


「しかし、そんなに村に行くのが楽しみとはな…、普段は勉強と家事で休まる暇もないだろう、存分に楽しむといい」


「ちがいます、ししょーとお出かけ出来るのがいいんです」


なるほど、この子の目を見ていればなんとなくわかる、この子は本当に 本気で 私と一緒にいれるのが幸せなのだろう、エリス日を増すごとにどんどん私に懐いてきているな…誰にでもこんな感じなのだろうか、だとしたら少々不安だな


「さ エリス、外に出るからな お前も体を冷やさないように マフラーを巻いておきなさい?」


「エリスさむくないですよ?」


「山を越えて村へ行くからな 、山っていうのは、登れば登るほど寒くなるんだ…そんな格好では風邪をひく、いいからつけておきなさい」


とはいうが、今エリスが来ているのは、私のお古をジョキジョキハサミで切って作った服と言っていいかも分からないものだ、…村でちゃんとした子供服を買ってやらないとな、手持ちの金子で足りるかな…


エリスの首元に優しくマフラーを巻いてやれば、そのまま小さな体を持ち上げ背中におぶる


「わわ、ししょー?、おんぶですか?、え エリス歩けますよ?」


「さっきも言ったが、山を越える…今のお前の足と体力では些か厳しいものがあるだろう、私がお前を背負って走るから、振り落とされないよう気をつけろよ…しっかり捕まっているんだ」


「は はい!、エリス!がんばってつかまってます!ししょー!」


キュッと音を立て私の首に手を引っ掛けるエリス、うーん 軽いしひ弱だ 仕方ないと言えば仕方ないがやはり、食生活が改善したとは言え豆とパンでは力はつかんか、これは気をつけて走らねば エリスの体を粉々にしてしまいそうだ


扉を開け、 森の隙間を吹き抜ける風が 髪を撫でる…さて行くか





「ふぅ、…颶風よ この声を聞き届け給う、その加護 纏て具足となり、大空へ羽撃く風を 力を 大翼を、そしてこの身に神速を 『旋風圏跳』…」


「ししょー?」


誰に語るわけでもない呟き、魔力を伴う詠唱を組み立てれば 木花を揺らす風達が、意思を持つかのように我が手足へと集い始め、魔力を帯びた風はやがて具足の如き形を成す


えっちらおっちら歩いていては日が三度暮れる、魔術を用いて移動を行う これを使えば物の1時間で…


「ししょー?、何をしてるんですか?」


「うん?、魔術を用いての移動の補助だ…私は身体強化よりもこうした外付けの魔術加護の方が、と そう言えばエリスの前でちゃんとした魔術を使うのは初めてだったな」


魔術は普段の生活ではランタンに火をつけるくらいにしか使わんし 、魔術は日常生活においては無用の長物だ、だが エリスには将来このくらいの魔術 息をするように使ってもらわねばならない




「エリスもそれ 出来ますか?」


「ああ、いずれ教える…今はただ 魔術がどういうものなのかを感じなさい」



刹那、 ふわりと 羽毛のように軽いレグルスの踏み込みを引き金に、それは巻き起こる


レグルスのその身は まるで一陣の風の如く、木々の間をすり抜け突き進む、時折木々に足をつき蹴り飛ばす事により 加速を続け、やかで大空を飛ぶ鳥さえも置き去りにする神速で 進む 進む


本来人間が出せるスピードを遥かに超える速度を容易に叩き出す魔術移動法、いやこれはかなり脳筋気味な移動法だが 、世の中にはある地点からある地点まで一瞬で移動できるような便利な代物もある


私は使えないがね…というかそれは本来一個人に使えるものではない、決して私の実力がなく使えないわけじゃない うん、まぁ…魔女の中には一個人でそういう化け物じみたことする奴はいるが…


「はわ…はわわ、は はやいです…」


「喋るなエリス!、舌を噛むぞ!私にしがみつくことだけを考えていろ!」


おっと危ない、落とすところだった


私が使った魔術は風属性の旋風圏陣 、風を纏い 風となる魔術だ…劇的なスピードの向上と共に 纏った風の膜が空気の抵抗を大いに和らげるという効果もある、故に こんな高速で移動しても エリスにかかる負担は皆無に等しい…


だがだからと言って怖くないわけじゃないし、危なくないわけじゃない エリスが私の背中に顔を埋めている間にとっとと駆け抜けてしまおう、次目を開いた時には村についている それが理想だ


そのまま森を駆け抜け、森の四方を囲む大山 アニクス山脈を一息に踏破し 山の麓に見える、ちょっとだけ大きな村目掛け 山のてっぺんから飛び降り風に乗る、雄大な地平 豊かな丘 そしてその中で繁栄する村々を眺めながら ゆっくりゆっくり飛んでいく





………………………………………………




魔術導国アジメク 西方に存在し 横たわるように大国を二分する巨大山脈 『アニクス山』

その通称を『月呑みの大山』と呼ばれ、国の中心である 皇都から見て、月がこの山に呑まれるように消え沈む事からこのような呼び名を持つ世界有数の山脈の一つである


険しく 高く、冒険者や探検家でさえ己が命可愛さに近寄らないとされるほど危険な山であり、一応馬車で通り抜けるルートはあるものの 危険極まりなく、わざわざこの山を通り抜ける奴は バカか余程後ろめたい奴のどちらかだろう


アニクス山 こんな恐ろしい山ではあるものの、この山が与える恵みもまた強く、山から下りてくる清らかな水は作物をよく育て不作を知らず、村の名産品は山の水で育てた麦を用いたパンということになっているが認知度は低い


辺境ではあるものの この山の周りには数多くの村が存在する



山の麓に存在する一際大きな村…ムルク村もその恩恵を強く受ける村の一つである



そのムルク村の入り口にて背の高い黒髪の女性と小さな幼女が佇んでいた、いや佇んでいるというよりは


「大丈夫か?エリス、痛くないか?気持ち悪くないか?怖くなかったか?痛くないか?」


「だいじょうぶですよ ししょー 、エリスはししょーを信じていたので」


慣れぬ移動で疲弊し尻餅をついてしまったエリスを前に、レグルスが度肝を抜いてワタワタと慌ているだけなのだ、アニクス山を越えそのまま飛び込むように村の入り口まで飛んできたのだが、やはりエリスには厳しい道程だったらしく 、到着するなりフラフラと千鳥足で転んでしまった


「すまんな…私が軽率だった」


「エリスがついていきたいと言ったので、それに このようにもう平気です」


膝をついて謝り倒すレグルスを前にぴょんこと立ち上がり、その場で回転し無事を伝える、子供の知的好奇心の前に疲弊疲労はないに等しいのだ


「そうか?、…お前が大丈夫というのなら、それでいいが 無理はするな?」


「はい、エリスはむりしません」


「うん、ならいい…ほら エリス、迷子にならないように手を繋ごう?」


「はいししょー!」


迷子にならないように手を握れば、エリスも揚々と答えるように握り返す…、私と一緒なら疲れなどなんのそのと言った具合か 、そうだ 村に入る前に一つ言っておかねばならないことがあるんだった


「エリス、村に入る前に一つ約束して欲しいことがあるんだ…」


「なんです?ししょー」



「この村では、私が『魔女レグルス』であることは、内緒にしてほしいんだ…もし 村の人間に いや外の人間に、私が魔女であることがバレたら 私はもうここにいることが出来なくなってしまうし、エリス ?君と一緒にいることも出来なくなってしまうかもしれないからね」


「ししょーが エリスと…」


ぞぉっ と血の気が引き顔が青くなるエリス、これは脅かしすぎたか?いやでも 残念ながら事実だ、私があんな山奥に引きこもって徹底的に存在を秘匿していたのは 、今この世界に出来る限り 干渉したくないからだ

私は謂わば 世界の異物だ、第八の魔女たる私の存在は容易に今の世界の均衡を崩し得る…

何せ魔女を中心とした大国が世界を統べている世界だ、私が影響力持ち得るは説明するまでもない


だから 、もし私の存在が露見すれば、世界の平穏を守りたい他の魔女達が私を殺しに来るかもしれない


友愛の魔女や 夢見の魔女辺りが来たならまだ互角に戦えるが、無双の魔女…あいつが襲いかかってきたら勝ち目がない、星惑いの森ごと私は消し飛ばされるだろう


そんな恐ろしい戦いに エリスやこの村を巻き込めない、故に 私は存在が露見した瞬間 より人目につかない場所へ消えようと決めているのだ、エリスを置いてね…




「まあ、私のことをレグルスと呼ばなければいいだけさ、いつも通り 師匠と呼んでくれ、いいね エリス」


「ッ…!ッ…!」


私の言葉に あわあわと唇を震わせながら全力で頷く、やっぱり脅かしすぎたなこれは…


「そんなに怯えるな、もしもの話だ 私だってお前と離れたいわけではないよ、ほら 行こうか」


「わ 分かりました、ししょー…」


「うん、それじゃあまず ここの領主様と話をしに行こう、色々と 彼に話したいことがあるからね」


これからはエリスの為 色々と工面しなければならないものが多い、なのでまず ここの領主に協力を仰ぎに行く、領主の家は…村の奥、ちょっとだけ小高い丘の上に見えるあの大きな赤い屋根がそれだ、村は入り組んでいないから 大通りを真っ直ぐ前進すればすぐに着くだろう


直ぐに着く…筈だったんだけどなぁ…






「ししょー…ししょー!、広いです 家がたくさんあります、ししょー!あれはなんですか、同じ草がいっぱい生えてます!」


「あれは畑だな、育てているのは…麦か 収穫にはまだ時間がかかりそうだが、時期が来たら我々もいくらかもらって食べてみよう」


「たべられるんですかっ!?モサモサしてますよ!おいしくなさそうです!」


「あの麦でパンとか作れるな…色々なことに使えるぞ、美味しくなさそうとか言うな」


初めての村 初めての外出、エリスにとっては初めてのものばかり、嬉しそうに私の手を引き あれはなんですかこれはなんですか と、私達にとっては取るに足らない普通の物でも エリスにとっては新発見大発見の連続なのだ


可愛らしいが移動もままならん、一歩二歩歩く都度質問が飛んでくるのだから …だが 邪険に扱うわけにも行くまい、この興味の種はいずれ育ち、知恵の果実を実らせエリスを助ける のだから


「エリス、はじめてみるもの ばかりです!」


「そうか?、館にいるときはそこそこの街に住んでいたろう?、そことここはそんなに違うかい」


「エリス 館にいるときは外に出るのも、窓の外をみるのも ダメだっていわれてたので、 …馬車に乗るときも 、外はみないようにしてたので」


なるほど、まぁ今までの扱いを考えるなら あり得る話だ、エリスはなにも知らない子供の奴隷…外界と言う存在を知らなければ館の外へ逃げようと言う考えも浮かばんからな、一番効率的な拘束法と言えるだろう


しかしそうなるとエリスが馬車で移動したのは 例の転落事件が初めて と言うことになる、今まで徹底して外の存在を隠していたのに、 それを無視してエリスを引き連れ馬車であんな辺境の山へお出かけか?…なんだか不可解だな 、エリスの主人は一体エリスを連れてどこへ…



「ししょー、大きなたてものがみえて来ました、あれが りょーしゅさま の館ですか?」


その考えを遮るようにエリスの声が響く、いかんいかん もう死んだ人間からは聞き出せんのだ、そんなことよりも今は目の前のことだ


エリスの言葉に従い目を向ければ、ど田舎には似つかわしくない 優美な館が見えてくる、年季が入り艶の出た木材や外壁からは 一種の美しさが見えてくる、実際あの館が建てられたのは確か五百年くらい前だった筈だ


「ああ、領主様とは偉い人のことだからね…無礼がないようにな?エリス」


「ししょーよりもりょーしゅさまの方がえらいんですか?」


「この村に限ってはな」


なんだか心細さを感じたのか、少しだけ私の手を強く握るエリス


…ああ そうか、館か… 今までの話を聞くに館にもいい思い出はないのだろう、なら無理に連れ込む必要はないか、幸いエリスは出来のいい子だ 待機させても問題あるまい


「エリス、私は領主様と話をしているから そこの木影で待っていなさい」


「え…、でも エリス」


「いいから、気になるものがあるなら見に行ってもいい 、だが村の外には …いや領主の館が見える範囲にいなさい、あと 知らない人にはついていかない どれだけ優しくても知らない人にはついて行くなよ? あと…」


それから数分 あれやこれやエリスに言いつけを課して 木影に待機させる、 ううむ…あれこれ言いつけをし過ぎたかもしれない 、見てみろエリスを 絶対に木影の外に出るものかと 木に張り付いているじゃないか


…領主への会話 とっとと終わらせてしまうか


……………………………………………………………………


知らないひとには ついていくな


館が見えない場所にはいかない


寂しくなったらりょーしゅさまの館へ走ること


だれかにおそわれそうになったら ししょーを大声で呼ぶこと…


他にも色々あるが、ししょーにいわれたことは全部おぼえた 、けっしてししょーとの約束をやぶるわけにはいかない


エリスは今、ぜったいにここから離れないため 木に ひっついている、だきしめて動かないようにしている、こうしていれば ししょーとの約束をやぶることはないからだ、エリスは頭がいい


「……むむ……」


そうししょーのマネをしながらうなってみる、目の前に広がるのはししょーからおしえてもらった『はたけ』がずぅーっと 向こうまでつづいている、…あのはたけ どこまでつづいているんだろう、せかいのはんたいまでつづいているのかな


あの『むぎ』って言うのは食べられるらしい…おいしいのかな…一つくらいもらえないかな…


あの空にういているくもは どこに向かってるんだろう、くもの家に帰ってるのかな、見にいきたい…


だ ダメダメ、あんまり遠くにいくのはだめだ、ししょーとの約束をやぶるわけにはいかない、やっぱり エリスはこの木にくっついてる方がいい


「まってよ〜、アリナ〜」


「キャッ キャッ!、ケビンお兄ちゃんおそい〜!」


…あ、はたけの中をかき分けて 二人の子どもが追いかけっこしてる、としはエリスとあんまり変わらなそうだなあ、エリスは おなじとしの子を見るのははじめてだから…なんだかふしぎな気分だ、もちろん いっしょにあそんだ事などない


「こら、ケビン?アリナ? あんまり畑で遊んじゃいけませんよ」


「あ、おかあさーん!おかあさんもいっしょに遊ぼうよ!」


「わーい!おかあさん!おあかさん!」


はたけでじゃれ合う二人をみて、困った風に笑う 女の人…ああ、きっとこの人が 子ども達のお母さんなんだろう…


「ふふふ、もう しょうがないわね ちょっとだけだからね?お父さんの手伝いもしないといけないんだから」


「わーい!、おかあさんだいすき!」


「ねっ!ねっ!あそぼ!あそぼ!」


おかあさんも交えて、エリスの目の前で 遊びじゃれ始める三人…、やっぱり子ども達だけで遊んでいるより おかあさんがいた方がたのしそうだ


そういえば、エリスはかあさまに ああいう風に遊んでもらった事は、一度もなかったな


かあさまはやさしかったけれど、なでてくれなかったし 抱きしめてもくれなかった、ただ 毎日のようにエリスに『ごめんね ごめんね』とあやまるばかり、なんであやまられているのか分からなくて エリスはひたすら 悲しかったのを 今でもおぼえている


ごしゅじんさまが言うには、エリスを産んでから かあさまは体を悪くしたらしい…いつも病気で…、でもげんきだって いつもエリスに言ってて


…またあしたねって いっしょに寝て…、それで エリスがあさ起きたら かあさまが冷たくなってて…それからエリスは…、うう 思い出すと のどのおくが お腹がギリギリ痛くなる


「あうっ…ぅう、ゔぅええぇぇん おかあぁさーん!」


「あらあら、ケビン 転んじゃったの?、どれどれ…うん ケガもしてないし、ケビンは強い子だから 大丈夫よ?」


「でもいたいよぉぉぉぉ」


「なら、痛くなくなるまで お母さんとここにいよっか」


「あ!あ!アリナもいっしょー!」


エリスのかあさまはもういない、エリスが痛いと泣いても あの館では誰もたすけてくれなかった…、うるさいと ごしゅじんさまに 叩かれることもあった

今 エリスがさびしいと泣けば、きっと レグルスししょーが慌ててもどってきてなぐさめてくれるかな…、しないけどさ そんなこと


だって、レグルスししょーは ししょーだ、かあさまの代わりじゃないしかあさまの代わりにするのはあまりにも失礼だ


ししょーのことはそんけーしてるし だいすきだ、だからこそ 本当はあまえちゃ いけないんだ…



「…ししょー」


ししょーのおかげで薄れていたさみしさが、また強くなるのを感じる…おかしいなぁ 館にいたころは、さみしいくらいじゃ泣かなかったのに エリス、弱くなっちゃったのかな


「はやく かえってこないかな…ししょー」


目の前でおんぶされ泣き止む男の子をながめながら、ぼんやりつぶく ししょーはさっきここをを離れたばかりだ、かえってくるのはもう少しかかってからだと思う、けど…さびしくなったからって 追いかけたらおこられるかな…


でも、今 すごくししょーのそばにいたい、おかあさんに甘えるあの子を見てると エリスもししょーにおんぶしてもらいたくなってくる


いや、待っていよう ししょーにはここで待ってるように言われたんだから





でも ししょーがかえってこなかったら どうしよう…



………………………………


館に入るのが辛そうだったからとその辺の木影に置いてきてしまったが…、エリスは大丈夫だろうか、いや 色々言いつけてあるし、何かあったら助けを呼ぶよう言ってあるから大丈夫だと思うが…


不審者に攫われてないかな…いやこの村にそんな奴はいない、そうだ なんかこう獣的な何かがエリスを襲って…いやだとしたらもっと騒ぎになってるだろうし、この辺に危険けな獣も魔獣も殆ど出ない、いや出ないと言っても絶対ではないし…


悶々と頭の中で悪い想像を膨らませながら、領主館の古びた扉をノックし 襟を正す、やめだやめだ 悶々と考えるくらいなら、要件を早く終わらせればいいだけ



「んんぅっ…、お おーい 誰かいるか?」


扉めがけ声をあげながら 若干立ち姿を整える、こんな辺鄙な所を治めているとは言え、アジメクの貴族に名を連ねる者の一人だ 礼儀礼節は大事だろう、私だってちゃんと身なりの一つくらい気にするんだ


「はい、どちら様でしょうか?…って本当に誰ですかあなた」


「む?…」


すると、しばらくして館の中から 見たことのない若いメイドが顔を出す…焦茶の麗髪を揺らし 垣間見える特徴的なツリ目 、なんだ見ない顔だな、いつもはベテランのメイドおばさんが出迎えてくれるんだが…新しく雇い入れた新人か?にしては随分若い娘を使用人にしたもんだ…あの男 案外助平なのかもな


「あのっ…!、ここを領主様の館と分かって尋ねているんですか?…今日 領主様は誰ともお会いになる予定はないんですが、黙ってないでなんか言ったらどうですか?」


私が見慣れない人物の意外な登場に呆気を取られているうちに、若メイドはムスッと顔をしかめてしまう、しまった 予想外の顔が出てきたせいで混乱してしまった、再び襟元を正して彼女に言葉を投げかける


「すまないな、急な用事で…惑いの賢人と言えば 通してくれるか?」


惑いの賢人とは、この村での私の呼び名だ…当然ながら『魔女』とも『レグルス』とも名乗るわけには行かない身、かと言って偽名を使っては 偽名とバレた時 要らぬ誤解を生む、なのでこうした曖昧な通称を名乗っているのだ


一応設定としては 代々 このムルク村を守護することを使命としている森に住む魔術師…と言う設定だ、歳をとらない とバレてもいけないので 、何度か代変わりをしている的なことにもしている


結構な年月この村に貢献してきたこともあり、事このムルク村において惑いの賢人とは、ちょっとした有名人で…



「はぁ?、まどいのけんじんぅ?なに言ってんですかあなた、頭どうかしてるんじゃないですか?、貴方みたいな怪しい人間 通すわけないでしょう、憲兵呼びますよっ!いないですけど!この村には!」


「…え?いや その…」


この子かわいい顔の割に口が悪いな、というか私のこと知らないのか そっか、有名人だと思ってたの私だけなのかな…まぁそうだと思ってたけどさ、しかしどうしよう まさか門前払いを食らうとは予想してなかったな


すると館の奥からドタドタと音が聞こえてくる


「ああ、クレアくん!その人はいいんだ!、おっとっと!?このお方はこのムルク村を代々守護してくれている賢人様で…あ痛ッ!?」


奥の階段から 転がり落ちるように現れたのは、ボロいメガネにヨレヨレの洋服ボサボサの頭髪…、凡そこの豪奢な館に似つかわしくないこの中年に片足突っ込んだ男こそ この館の主人にしてこの村 近辺の土地を治める貴族 、私の言う領主さま…名前は…


「おお 久しいなエドウィン、また一層老け メガネも一層分厚くなった、相変わらず嫁もいないのか?もう少し貴族らしい生活と姿をすれば良いものを」


「いやはや賢人様も変わらずお美しい、…いやいや ははは 僕って貴族なんでしょうかねぇ、こんな情けない なりの貴族が他にいるなら紹介して欲しいですよ、あはは」


名をエドウィン・コリウス、アニクス山付近の土地を一任されている貴族だ…、こんな辺境に飛ばされ未開拓地を丸投げされるだけあり 貴族としての力はクソザコもいいところ、故にエドウィンも貴族らしく振る舞おうとしないから 私もとてもやり易い


「む!、領主様?もしかしてこんな怪しい人を館に入れてるんですか?貴族の威信に関わりますし関係を今すぐ絶った方が…」


「いいから入れてあげなさい!、この方は僕の友人であり恩人だから、ああそうだ まだ戸棚にあの高い茶葉が残っていたよね、この方にとびきり美味しいお茶をいれてあげてくれ あとお茶菓子も!前 皇都から送られてきた奴をね!」


「もう湿気てますよあの茶葉ぁ…それに茶菓子はこの間出しちゃいましたよ、まぁいいです、領主様のお知り合いだと言うのなら 私から言うことありませんから」


ふんすふんすと不満げな態度を隠そうともせず、クレアと呼ばれた若メイドは館の奥へ歩いていく、イノシシのような子だな…前来た時は初老のベテランメイドがこの館を取り仕切っていたのだが


「すみませんね、クレアくんは最近メイドになった子で…、ちょっと前 ウチで働いてたメイドのウリメラおばさんが引退してしまい代わりに入った新人なんです、一応ウリメラおばさんの紹介で雇ってはいるんですけど、どうも思い切りが強く…代わりに無礼を詫びさせてください」


「いいさ、彼女の言う通り 私は怪しい、あれも主人を守ろうとする仕事熱心なところから来たんだろう、それより今日 少し時間いいか?」


「ええ、構いませんよ 万年暇貴族なので僕、久々につもる話もあるでしょう、応接間を開けますので こちらへどうぞ」


エドウィンのエスコートで館の中に招かれる、相変わらず調度品は少なく 必要最低限のものしか置いていない、エドウィン自身贅沢が好きじゃないと言うのもあり パッと見れば 一瞬空き家に見紛う程ガラガラだ





「いやぁ、僕はこの通り独り身で この館にもクレアくんしか使用人がいないから、こうやって顔見知りが訪ねて来てくれるのは とても嬉しいんですよ、ああどうぞ座ってください」


そう言って通されたのは応接間、椅子とテーブルしか置いていない質素なものだが、さりげに私が座る椅子にはクッションが敷いてあるのは、彼なりのもてなしなのだろう…こいつも気が効くようになった、子供の頃は泣き虫の寝ションベン太郎だったのに


「それで、賢人様が僕を訪ねてくるってことは、いつものように豆とパンといくつか新しい本の用意をした方がいいですかね」


私の家にある物品の殆どは、エドウィンが好意で私に見繕ってくれたものが多い、彼が領主となって以来 私の生活の質は些かながらも向上したと言っても良い、彼が領主になる前の…かなり昔は 木の根っこ煎じて齧り 飢えを凌ぐ時期もあったからね


だがしかし、今日の用事はちょっと違う、いつもより いつも以上に、迷惑をかけるかもしれん


「ああ、いや それもあるんだが…今日は少し別の物を頼みたいんだが、少々頼みづらい話でね」


「おや、賢人様が言い淀むとは珍しい 、安心してください 僕もこれでも一端の貴族ですので」



そうは言っても言いづらい…私が今日 エドウィンに頼みたいのは金銭だ、昔なら村のみんなを助けたお礼にもらっていた二束三文でなんとかなっていたが、エリスが来てからはそうもいかない


エリスの為 色々必要になる、特に金がいる…かといって、じゃあエリスの為に頑張って働きます とも言えない身、となるともう エドウィンに資金を援助してもらうより他ないのだ


「あー、実は 弟子を取ることになったのだが まだ小さな子でね、弟子として育成しつつ 健やかに育ってもらうには、少々ながら 金がいる…、それをエドウィン、君に助けてもらいたいんだ」


「…むう、賢人様のお頼みとあらば と二つ返事で了承したい気持ちはありますが、金銭ですか…」


私の頼みを聞くなり、先程の歓待ムードが消え失せ エドウィンのしわくちゃの顔がより一層深くなる、エドウィンは私のためならと多少の無理をしてくれる男だ、そんな彼がここまで悩むということは かなり難しいのだろう


「申し訳ありません、我々も貴族とは言いつつも あまり裕福ではありませんし、他はどんなことであれ協力いたしますが、どうにもこうにも無償で多額のお金ばかりは…」


「それはわかっている、何も ただで金だけもらおうと言うつもりはないよ、私から物品を差し出す それに価値があると君が判断したら、それを買って欲しい」


謂わば取引、私の作った物を エドウィンが金に換える、エドウィン側が損しないようソコソコのものを私も用意するつもりだが、それに価値があるかどうか判断するのは私ではなく彼だ


「物品?、と言いますと?」


「ああ、自前で作ったものにはなるんだが…」


その言葉と共に、テーブルに並べるのは五本の小瓶、いや勿論ながらただの小瓶ではない、中には並々と注がれた濃厚な緑の液体が光を遮っている、これが私から差し出すもの いや唯一差し出せるものだ


「ほほう、これは回復系のポーションですね、いや 私が昔 皇都で見たものはもっと薄かったような」


「そうなのか?、私が作るといつもこのくらいになるが…ともかく、この再生と治癒のポーションを 買って欲しい」


エリスを治す時に使ったポーションと同じものだ、肉体を癒し元に戻す 再生と治癒のポーション、星惑いの森に自生する独自の薬草を煎じ魔力を込めて作る 別名魔術薬品、使用する薬草と作成者の魔力量や質によって効果の幅が大きく変わるとされている、…趣味で作ったものだが、これでも伝説の魔女だぞ そこらへんのものよりは良質だろう


「ほらエドウィン、ちょっと前に獣に襲われ腕を食いちぎられた村の子供の腕、元に戻したことがあったろう?、あの時使ったものと 同じものさ」


「ああ、僕が子供の頃の話ですね 確かにあれ程の物ならば価値はありそうですね、それで これはいくら程になるのでしょうか、僕はポーションには疎いもので 正規の値段とか価値とかはよくわからなくて…」


あれ、腕直したのそんなに前だったか…


しかし値段、 値段かぁ 全然考えてなかったな、はいポーションです って渡して はいこれが対価ですって受け取る、そんなほんわかした図しか想像してなかった、商売なんて生まれてこのかた一度もやってこなかったから…



えーっと、確か このディオスクロア文明圏で流通している通貨は一種類のみ 魔女通貨と呼ばれる物だけ


価値の低い魔女銀貨と 銀貨100枚相当の高価な魔女金貨の二枚…、だいたい店で売ってるパンが1個銀貨3枚程度だからぁ…、ああ 考えんのめんどくさくなってきた、ポーションの正規の値段など私も知らん 店で買ったことなどないんだからな


「多分だけど、銀貨15枚くらいでいい…と思う」


「銀貨15枚 となると、ここにある5個のポーションで銀貨75枚ですか、そこそこしますね…ですが、我が村には殆ど薬も出回りませんし、ここは頂いて…」


「ちょぉーっとお待ちをぉー!、領主様ぁー!騙されちゃいけませぇーん!」


突如 吹っ飛ばすほどの勢いで扉を蹴り開け 先程の若メイド…名前は確か クレアだったか、が 紅茶を盆に乗せたまま現れる、いや凄い形相だ むむっとしかめた顔で私を睨み ずんずんこちらに詰め寄ってくる…や やるのか?


「はいどーぞ!粗茶ですが!」


「あ…ああ、ありがとう」


勢いよく私の前にティーカップを叩き置き、反動でピチピチと雫が舞う…おっかないメイドだ、あ だけど紅茶の匂いはいいな


「おいおいクレアくん、せっかく賢人様が持ってきてくれたポーションに そんな騙すとかなんとか言っちゃいけないよ」


「領主様は黙っててください!、…まったく 薬品の知識のない領主様相手に偽物を売りつけようなんて なんと不届きな!、ついに尻尾見せましたねこの不審者!やっぱり憲兵に突きつけます!いないですけどね!この村には!」


ずびしぃぃ! と人差し指を私に突きつけ、鬼の首取ったりと高らかに胸を張る、いきなり入ってきて偽物呼ばわりとは


いやしかし想定していなかった まさか偽物と呼ばれるとは、参ったな こう…証明書的なのがあるわけでもないし、かと言ってここで使っても意味ないし、むぅ 確かに言われてみればいきなり不審者が家に上がり込んで素性の知れない物を売りつけてくる…


確かに怪しい、私なら買わない むしろ売りに来たやつを叩き出して二度と来るなと言い放つ自信がある


「ふ 不審者?、い いやいや 不審者かどうかは否定はしないが、このポーションはれっきとした本物…」


「本物がそんな安いわけないでしょうが!、大体!ポーションとは高い魔力の素養と深い知識 そして何より長年の経験を経てやっと作れる 代物ですよ!、本物ならばザッと一本金貨10枚前後は余裕でいきます!どれだけ品質が低くともね?」


私の作ったポーションを片手で持ちながらポーションについて鼻高々に説明する、ポーションを作るのにそんな時間いるか?私は作り方を教えてもらってその日のうちに作れるようになったぞ


こんなもん、魔術師なら誰でも作れると思ってた…だから二束三文で売り払おうかと思ってたんだが、しまったなポーションが市場でどんな扱いを受けてるのか完全に勉強不足だった


「その希少性故地方には行き渡らない事が多いものですからね 、なんの効果もない雑草を水に溶かしただけの悪質な偽物を売りつける、なんて話はよくありますが…残念でしたね!私はこれでも魔術と医術の総本山と言われるアジメク皇都で育ったんですから!、本物のポーションはたくさん見てきています、その私から言わせると…こんなに『濃い』ポーションはありえません!」


「濃いポーションだと何かいけないのかい?クレアくん」


「領主様いいですか?、ポーションはその効果の高さに比例して濃くなっていくんです、皇都で出回るポーションでさえ やや緑がかるだけで殆ど透明なんですよ?、向こう側が見えない程色の濃いポーションなんてそれこそ、ポーション作成術の生みの親 友愛の魔女 スピカ様くらいしか作れないでしょう、まぁ スピカ様の作るポーションなんて畏れ多い物 この目で見たことはありませんが」


…いやそれは違うな、私の作るポーションよりも更にスピカの方がもっと濃い 、何せ私にポーション作りを教えたのはスピカ本人なのだから その効果や色合いはたくさん見てきた


私は元々魔力を送り相手を治すという治癒魔術が苦手でな、いや 使えないことは無いんだが…こう つい『治しすぎて』しまうんだ、魔力を相手に送り 逆に相手を風船のように破裂させかけた事もある、お前のは治癒魔術じゃなくて殺人魔術だ! 怪我してる時は近寄るんじゃねぇ! と他の魔女から言われたこともある


そんな私を見かねたスピカが、治癒魔術以外の治療法として私の為に開発してくれたのがポーションで、私でも人を治せるようにと作り方を教えてくれたんだ


その時 …八千年前か、スピカが私に作って見せたポーションは、もう尋常じゃないくらい濃かった、…治癒魔術の天才と言われるだけありその出来は天下一品…私にあれは何年経っても作れないだろう



「それで?、こーんなアホみたいに濃いポーションが銀貨15枚?あはははは!、偽物に決まってますよ!、バカにして!本当にそのレベル…魔女スピカ様が作ったポーションに匹敵するなら 金貨100枚や200枚じゃ 全然足りませんよっ!」


「な 何をいうんだ…それはきちんとした工程で作ったもの、効果もちゃんとしているし 完全に偽物というわけではない」


ダメだ、言い訳すればするほど なんか偽物っぽく見えてくる、というかそもそもクレアは聞く耳をまったく持っていない 、ど どうしよう本物と証明できるものなんて何もないし、このままじゃ エリスの為のお金が手に入らなくなってしまう


「まだ言いますかっ…、いいですか!本物のポーションっていうのは こう…独特の匂いがですねぇ!」


「あ!おい蓋を取るな!」


苛立ちに任せポーションの蓋を剥がせば…や ヤバい蓋が取れたら匂いが…!


「………………する?、なんで」


独特の匂い というのがどういうものか分からないが、蓋を開けた瞬間充満する濃厚な薬草の発酵した香り、いやともすれば 臭いとも取れるその匂い…私は静かに 鼻をつまむ、私この匂い嫌い


「なんでちゃんとポーションの匂いが、しかもめっちゃ濃厚ぅーっ!?」


「クレアくん、そのポーションが効果を発揮するのを 僕はこの目で見たことがあるんだ、無くなった腕が元どおりに戻ったところをね?そのポーションは間違いなく 治癒のポーションだよ」


「えぇーーっ!?、いやいや 無くなった腕がおいそれと生えるわけないじゃないですか!トカゲやタコじゃないんですから!、そんなポーション聞いたこと…いや、確かスピカ様の逸話の中に そんな話が…いやだとしてもなんでそこ迄のポーションがこんなところに…」


「ともかく、僕は賢人様を信用するよ 、賢人様? どうかそちらのポーションを売ってくださいませんか?、それに 価値があるものらしいので、どうでしょうか 対価はもっと出しますが」


エドウィンの鶴の一声で どうやら助けられたらしい、クレアも納得したのかぶつくさ言って…いやなんかあまり納得してなさそうだなあ


まあいい、ともかく値段か … いや 変えるつもりはないな、どれだけ価値があろうとも 金はエリスを育てるためにしか使うつもりはない、そんなに大量の金を貰っても困る


「いやいい、最初言った銀貨15で構わない、このポーションの使い道はどのようにしてもらっても良い、価値があるなら エドウィンの方で高額で他所に売っても良い」


私の比較対象がスピカしかいなかったからなんとも思わなかったが、やはり このポーションは価値があるらしい、なら エドウィンの方で売ればある程度の金にもなるだろう、それにここはあのスピカのお膝元だ 私のポーションが出回っても不自然ではないはずだ


「ははは、賢人様は相変わらずですな…分かりました、医薬品の買い付けということならば 銀貨も用意できます、直ぐに五本分 銀貨75枚用意いたしましょう、クレアくん 銀貨を持ってきてくれ」


「い いや納得できません、なんでこんなポーションを作れるんですか…これ程の腕を持ちながら辺境にいるなんて変ですよ、速攻で都に召抱えられてもおかしくないのに」


まだぶつくさ言うか、と言っても 実は私が魔女レグルスで作り方は魔女スピカに教えてもらったから、なんて言えるわけないし…仕方ない 完璧な嘘を一つぶちかますとするか


「……私はこの村が好きなんだ どこかに雇われるつもりはない、それに このポーションの製造も私一人で確立したものではなく、 私の先祖が代々受け継いできた製法を元に作っただけ …私自身の腕など知れたものだよ」


「…………まぁ そういうことにしておきます、じゃあ 倉庫から銀貨取って来ますね」


あれ、あんまり響いてない…だが一応そういうことにはしてくれたらしいからいいか、一言二言言い残し 最初のうるささが嘘のように静かに退室していくクレア 、嵐のような子だったな


「すみません、悪い子ではないんですが」


「大丈夫分かっているよ、悪意は感じないしね 、彼女は若いのさ いい意味でとてもね」


前任のベテランメイドのウリメラも、歳をとってからは落ち着いたが新人の頃はドジと失敗ばかりでとても可愛らしかった それこそ今のクレアのように…、いつかきっと彼女も歳をとり 落ち着いてしまうのだろうと思うと 少し寂しくなる、これにばかりは慣れないな


「さて、ではどうでしょうか 折角いらしたので夕食もご一緒に、クレアくんの作る料理は あれでいてなかなかの物でしてね」


「いや、好意はありがたいのだが 弟子を待たせていてな…、まだ幼いから早く迎えに行ってやりたいんだ、いつか君にも紹介に来る その時またしっかり話そう」


金を受け取るだけ受け取ったらそそくさと帰る、悪く言えばそう見られるかもしれんが 今私の頭の中はエリスの事でいっぱいなんだ…、変にやんちゃじゃないから 何処か遠くへ行ってることはないだろうが、それでも…だ


「そうですか、…ふふ なんだか賢人様 、急に母親のような顔をするようになりましたな、少し前までは無機質に表情も変えず ただ淡々と喋る方だったのに、これも小さなお弟子さんを持ったお陰ですかな?」


「はぇっ!?わ 私が母親?いや私は変わっていないし、何より私は母になどなれない…!、全く エドウィン!、子供の頃から思ったことを直ぐ無責任に口走る悪癖は治っていないようだな!」


ぎょっと音をたてて表情が変わるのを感じる、いやだってエドウィンが変なことを言うから、私が?母親?…私とエリスは別に親子ごっこをしているわけでも したいわけでもないんだ、あの子にはちゃんとした実の母がいる…私ではその代わりには なれっこないのだから


「全くお前は…、ではな 対価だけ受け取って帰らせてもらうよ」


「おやおや、賢人様が怒られるとは 珍しい、ああそうだ豆やパン それと本はどう致しましょうか?」


「ん…、そうだな …いや置いておいてくれ、今日はこの銀貨を使って 買い物をして帰るつもりだから…、そうだな かさばってもなんだ また明日私だけで取りに来るよ」


「そうですか、ではお気をつけて」


私が席を立つとそれに釣られるように席を立ち 深々とお辞儀をしてみせるエドウィン、彼も義理深いものだ、確か昔 川で溺れている時を助けて以来…いや、狼に襲われているところを助けて以来?台風で吹き飛ばされそうになって以来 、ともかく命を助けて以来 私の面倒をあれこれ見るようになってくれたんだ 、私も少しは彼に恩返しせねばな


「ちょっと待ってください 、忘れ物ですよ」


掛けてあったコートを羽織り、玄関先まで 行くと館の奥から鋭い声が飛んでくる、静々と麻袋を持ったクレアが どうやら私のことを待っていたらしい、さっきまでの暴れぶりが嘘のようにしおらしくなっているな


「はい、これが領主様から貴方に支払われる対価です…大切にしてくださいね」


「すまんな」


そう手渡される麻袋にはぎっしりと銀貨が詰まっており、結構な重さに慄く、昔から大金を持つことはなかったからか ちょっとだけ不安になるな、お金ってこんな重たいんだ


昔は 買い物をする時は他の魔女から普通にお金を借りてた、…うん 申し訳ないことをしてたな、いつか返そう 誰からどれだけ借りたかもう覚えてないが


「疑ってすみませんでした、とは言いません…私はまだ 貴方を信用していませんから、どう考えたってあのポーションの完成度は常軌を逸してますから、普通じゃ考えられません」


ふて腐れたように呟くクレアの顔は、どうにも 私を信用できない と言った感情と私を否定する材料が見つからない悔しさが入り混じり 複雑そうだ、何度も何度も失礼な奴めと怒ることはない 私も若い頃はこんな顔ばかりしていたから気持ちは分かる、そうだよな いきなり現れたやつなんか信用できないよな


「疑ってくれて構わない、だから君の目で存分に私を見定め 存分に考えてくれ、その疑念は 君が賢いからこその感情だ」


「何を偉そうに、…ですけど 信用はしませんが、まぁ 自己紹介くらいしておきます、まだ名乗ってませんでしたよね、領主の館のメイドが 客人に名乗らず帰したとあっては、使用人失格ですから」


いやもう名前知ってるが、とか無粋なことは言わん これは彼女のケジメの一種なのだろう、まぁ そういう気概があるならもう少し言葉遣いをと思わんでもないが それはそのうち身につくだろう


コホン と咳払いを一つすれば、静かに手を差し出し 口を開く


「私はクレア・ウィスクム 、この館でメイドをしております 貴方は信用しませんが歓迎はします、以後お見知りおきを」


「ああ、私は 惑いの賢人 訳あって名乗れぬ非礼をお許しを……ん?」


差し出されたクレアの手を握った瞬間、出先から違和感を感じる…何だこの子の手の感触、白く嫋やかで 絹のように綺麗な手なのに これはまるで…


「なんですか、人の手をジロジロ見て 挨拶か終わったなら、離してください」


やばっ、クレアの手に夢中になっているとむすぅーっとしたクレアの顔が目に入る、まずい 余計怒らせてしまったか、折角いい雰囲気で別れられそうだったのに


「す すまん、つい いい手だったので」


「手にいいも悪いもないでしょうに、さ!終わったなら帰ってください!」


その怒鳴り声を置き土産に鼻息荒く扉を閉めてしまうクレア…、クレア・ウィスタムか 不思議な子だ、未だ若くメイドの身でありながら 手の平に剣ダコがあった、趣味や気分転換でちょっと振るった程度のものじゃない それこそかなり小さい頃から剣をひたすら握り続けた娘の手だ


この辺境で剣を振るう必要はあまりあるとは思えん…、エドヴィンも把握してなさそうだし 、はてさてなにを隠しているのやら


「まぁ ここで暴き立ててもしょうがないか、邪気や悪気のような物は感じなかったし放置しても問題ないだろう」


それに、何かを隠し 何かを企んでいたとしても、私に介入出来る事など何もない …それは彼等の問題であって、魔女である私が 首を突っ込めば 問題を更に大きく広げることになり得る


故に放置、もし私に降りかかる火の粉があらば払うが それ以外は放置に限る


「さてと、エリスを迎えに行くか…少し時間がかかってしまったが、大丈夫だろうか」


貰った麻袋を手の上で跳ねさせ踵を返す、エリスが待っている木影へ向かう…エリスと合流したらとりあえず、この銀貨で服と食料を買ってやろう、あとは…何か必要なものはあったかな?…







……………………………………


お日様が かたむき、空が赤くなってきはじめた…ししょーといっしょにいるときは 一日がものすごく早くすぎるのに、こうやって一人でししょーを待っていると なんだかいつもよりも時間がたつのがおそく感じる


さびしい…


さびしい さびしい さびしい、泣きそうなくらい さびしい…目の前で遊んでた親子は とっくの昔に帰っていない、しずかな世界に エリス一人が取り残された


「ししょー、もしかしてもう かえってこないんじゃ…」


また明日 そう言ってもう二度あえなくなった母とししょーの姿がかさなる、いやだ また一人になるのは エリスはもう一人ぼっちになりたくない


「うっ うう、じしょー…はやくかえって来てくださいぃ」


その場にすわり込み、なさけなくもベソをかいて ししょーのことを呼ぶ、もうなんでもいい ししょーに早く会いたい 、一人ぼっちじゃないって また抱きしめてください なでてください、名前を呼んでください ししょー…ししょー…


「ずずっ…ゔえぇぇ…はやくかえってきてよぉ、ししょぉ」


「え エリスッ!?な 何を泣いて…何かあったのか!?いじめられたのか!?」


「ふぇ…じ じしょー…?」


うずくまり 丸まっていた体が突如抱き上げられ宙へ浮く、驚いて顔を上げればそこには青い顔して冷や汗をかいているレグルスししょーが…


「ししょーっ!さびしがったでずよぉーっ!」


「わわっ!?寂しかった?、ああそうか いやすまなかった…置いて行ったりして」


今まで抑えていた さみしさ 怖さ 心細さ…全部を吐き出すようにししょーに飛びつき頬擦りをする、ししょーはエリスのかあさまじゃない 本当はあまえちゃいけないのかもしれない、でも 例えそうだとしても エリスはレグルスししょーが大好きなんだ…いっしょにいたいんだ



「ししょー!、もうエリスを置いていかないでください…、エリスは ししょーのそばに ずっと…居たいんです」


「分かったよ、もう寂しい思いはさせんよ…、だから泣かないでくれ お前に泣かれると 、どうにも弱い」


ししょーはそういうとエリスを抱え、背中に背負い…よしよしと頭をなでてくれる、ふしぎだ ししょーに頭をなでられると さっきまであふれてた涙が 嘘みたいに引っ込むんだ…、やっぱり ししょーはすごい


「さ、エリス このまま買い物をしにいくぞお前の暖かい服と 美味しい食べ物を買って私達の家へ帰ろう」


「はい、ししょー!」


私達の家…エリスとししょーの家、なんだかその言葉のひびきに 涙が出そうになる…今度はさびしくてじゃなくて うれしくて…


「今日の晩ご飯はシチューだ、お肉とミルクと野菜を買って帰ろう」


「しちゅーってどんなごはんなんですか?豆のスープよりもおいしいですか?」


「比べ物にならんな」


「そうぞうできません!…たのしみです!」



……ゆっくりと光が沈む黄昏時の中にエリスは笑う、さっきまで薄暗かった世界が色づいて見えるのは暖かな夕日のおかげか あるいは…、陽の光よりも暖かな師の愛ゆえか…、そんな事 今のエリスにはどうでもよいのです、今この時だけは ししょーの背中から伝わる体温を ししょーという人を かんじていたいから…






…………………………………………………



「はぁー、今日のお仕事終わりぃ 疲れたぁ」


月が高く上がり、星々が輝く夜も夜のど真ん中、灯りも消え 暗くなった領主館の一部屋で、肩を回しながら椅子に座る 若メイド クレアは、館の中の仕事を一通り終え 疲労困憊で自室に戻ってきたのだ


「今日は変な客もくるし変なポーション買う事になるし、余計疲れたわ…こういう日は アレに癒してもらわないとぉ〜、むふふ」


館の主人エドウィンの好意により与えられた月の良く見える自室にて、クレアはにへらと笑いながらランタンに火を灯す、そうだ 今日一日 つらーい仕事やめんどーなお役目に耐えることが出来たのも、 この一日のシメがあるから…そう


「うふふふふ、大分コレクションも集まってきたぁ…こんな辺境じゃ殆ど物が集まらないからここまで集めるの苦労したぁ…えへへ」


ランタンの灯りに照らされ見えてくるのはクレアの部屋…というよりは、部屋一面に広がる本!絵画!小物! 部屋中至る所に丁寧に飾られ埃一つない其れ等は、どれも一つの共通点が存在する それは…!!




「うふふ 『孤独の魔女レグルス』さまぁ…」


棚にずらりと並べられた 本の背表紙には…


『魔女レグルスの伝説』『大いなる厄災と孤独の魔女』『孤独の魔女はどこへ消えたか』


壁に所狭しと飾られた 絵画には…


『厄災を祓う孤独の魔女』『新たなる旅へ挑む魔女レグルス』『大いなる孤高を誇る魔女』


そして綺麗に掃除された小物には 魔女レグルスが使ったとされる杖のミニチュアレプリカ


この部屋に置いてある全て、凡ゆる物に『孤独の魔女レグルス』に関連する文字が刻まれているのだ


「はぁぁ、どれ見ても癒される ほんっとかっこいぃぃぃ、魔女レグルス様 たまらないぃぃ、もはや神々しいまであるわこれ」


そう、私は…クレアは、所謂魔女オタクと呼ばれる類の人間なのだ、それも世にも珍しい孤独の魔女レグルス様推しのオタクである


何度も見返した魔女レグルス様が主人公として語られる本を見てはあまりのかっこよさに悶える、魔女レグルス様を題材とした絵画を見つめては あまりの美しさに嘆息する…魔女レグルス様が持ったとされる杖のミニチュアレプリカを突いては あまりの興奮に叫ぶのを抑えるのが大変なくらいだ


私が 魔女レグルス様という存在を知ったのは私がまだ皇都に住んでいた頃、城内の図書館で読んだ魔女伝説を語った本が全ての始まり 、そこから一目惚れしてずっとこんな風に魔女レグルス様にまつわる品を集めて回っているんだ


何故って?だってかっこいいじゃないですか!、他の魔女様たちと肩を並べて戦いながら 世界を救った後は見返りを求めず一人消える、うげぇーっ!?美しい!?、きっとクールで真面目な 正義感の強い方だったんだろう!、はぇーっ どこまでかっこいいのか!


なのに、他の魔女オタク達はやれ『友愛様のが美しい』だことの『争乱の魔女様こそ最強』だことの『いや閃光の魔女様しか勝たん』だことの、分かってない奴ばかりだ…少なくとも私の周りに孤独の魔女様に夢中な人間はいなかった…


それもそうだ、だって孤独の魔女様を題材にした作品が異様に少ないからだ、マイナーと言っていいほど 文献や逸話も殆ど残っていない、早々に消えて それ以降行方不明なのだから


「まぁ、そう言うところが魔女レグルス様のかっこいいところなんだけれど」


他の魔女様達がご存命なことを考えると、魔女レグルス様もきっとどこかにいるのだろう…、どこで何をしているんだろうか 未だ見ぬ大陸を求めて旅してるのかな、みんなの知らないところで世界の脅威と戦ってるのかな…、きっと私たちが知らないだけで 世界を何度も救っているに違いない!



「んんっ!?やばいやばい、興奮しすぎた…はぁはぁ、そろそろ寝ないと」


魔女レグルスのグッズを一通り愛で終えた後 、ゆっくりと床につく…今日はどんな妄想をして寝ようかなぁ、私の才能を見込んだ魔女レグルス様が私を弟子に…とか…


「あ ゙あぁっーっ!?やばぁ〜っ…ひぃ〜っおこがましいッ!?でもでも魔女レグルス様が私を見込んでくださったなら私 死ぬ気で頑張りますぅ〜」


ああ、きっと頑張る私に『クレア、お前はこの孤独の魔女が見込んだ才能の持ち主だよ』とか、言われちゃったりしてぇ〜〜!?!?!?


「ぎゃーっ!?死ぬッ!!死んでしまうッ!そんなこと言われたら胸が爆裂するッ!!」


ベッドの上で悶えに悶え、ゾクゾクと背中がこそばゆくなる あぁあぁぁぁ魔女レグルス様!私にそんな!孤独の魔女の最奥など早すぎますぅぅ!そんな!私を信頼してなんてそんなぁ!そんなそんな!そんなこと言われたら私 海だって山だって割っちゃいますよぉぉ〜






「……ふぅ、寝よ…」


明日も早いんだった、本当にそろそろ寝ないと…、また明日森の変人 じゃなかった森の賢人が荷物取りに来るって言ってたなぁ、それに対応しないと ったく面倒臭い


ああ魔女レグルス様 私はここで頑張ってるんで、明日も私を見ていてくださいね…、どうかそのご加護を…


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