第5話 兆し
「ジルは、どうして私に対してだけ、そうなの?」
いつもと同じように私の部屋に来た彼に、問いかける。
「今日ね、シェリル様とお友達になったの。シェリル様は、ジルが穏やかで優しい人だって仰っていたわ。幼なじみ、なのよね?」
ジルは不思議そうな顔をしながら、私を抱えてベッドに座った。もう慣れてしまったけれど、本当に距離が近い。
「ミルワード家の娘、つまりは俺の教育係の娘だからな。だが、そんなことはシェリルに言われずとも、お前も知っていることだろう」
「……そんなの、言われるまで気付かないよ」
頬を膨らませて、そっぽを向いた私の耳に、何か柔らかいものが触れた。
「ソフィ。そう拗ねるな。……な?」
低い声が、耳元で聞こえる。全身に震えが走って、私は飛び上がりそうになった。けれど、ジルの腕に抱えられていたから、体は全く動かなかった。
「なっ……なに、するの、急に!」
顔が赤くなっているのが分かる。振り返ると、ジルは面白そうに笑っていた。なんにも、面白いことなんて無いのに。
「あのね、ジル……! こういうことは、勝手にしないで……!!」
「なぜ怒る。初夜は、これ以上の行為をすることも、許容していただろう」
「それは……! だって、嫁いだからには、そういうことをしなきゃなのかと思って……。だ、だいたいジルは、私には興味がないんでしょ。……私だって、分かってる。私より可愛い子も、綺麗な人も、沢山いるんだってことくらい。こういうことは、そう……それこそ、レイラ様とした方が、楽しいんじゃないの?」
自分で言っていて、悲しくなってきた。ジルは目を見開いて、私を見ている。
「とにかく、もう止めて。ジルだって、最初から、言っていたじゃない。私みたいな女に対して、そういう気持ちになることはないって。それなら、こういうことも、しなくていいでしょ」
分からない。初日から、妙に距離が近かった。それだけじゃなくて、やたらと触れてくるし、キスの回数も多い。
「ジルから見ても、私は女の子としての魅力が足りないんだから。ね、そうなのよね、ジル?」
言いたいことを言いきって、彼からの返答を待つ。彼は、目を細めて、私の頬に手を伸ばした。
「ああ、そうだな。……確かに、お前の言う通りだと、俺も、思う」
なんだろう。少し、怖い。声が低くなったから、だろうか。
「……そうだな。そう、お前は普通の……どこにでも居るような……取るに足りない、小国の、放っておいても何も問題がない……」
言葉だけを聞いたなら、馬鹿にされているようにも感じたかもしれない。でも、彼の瞳が、彼の声が、今まで感じたこともない熱を感じさせてきて。
「…………ああ、そうか。そうだ。お前は、俺の妻、だからな。大切にするのは、当たり前だ」
いくらなんでも、それはない。私にだって、それが間違った結論であることは分かった。だから、つい、口に出してしまった。
「だから、それなら……他の奥方様のことも、同じように大切にするべきでしょ。毎日、毎晩、私の部屋に来てるじゃない。理想の王なら、私じゃなくて……そう、アドレイド様を、優先すべきよ。あの人こそが正当な妻で、他の女は皆、国にとっては、居ても居なくても問題ない。そうでしょう?」
ジルの顔から、完全に表情が失われた。まるで、人形のような顔。怖かったけれど、今まで何とかなっていたのだから大丈夫だと、思って。私は、話し続けた。
「……私なら、大丈夫よ。シェリル様とも、お友達になれたから。だから、もう、ジルが来てくれなくなったとしても、大丈夫」
私は彼を安心させようと思って、笑ってみせた。だけど、ジルは表情を変えなかった。
「……ソフィア」
ジルの声が、響く。部屋の空気が重くなって、体が動かない。
「お前は、一つ、勘違いをしている。お前がどう思おうと、俺はお前の、側にいる。お前が、どんなに俺を拒みたくとも。後宮に入った以上は、俺のものだ」
それはそうだろう。でも。
「私が後宮に来たのは、その方が国のためになるから。ジルだって、理解してるんでしょ。私は人質。私の国が、帝国を裏切らないということを証明するために、ここに居るだけの女。ジルのことが好きなわけでも、ジルに来てほしいって言われたわけでもない。こんな私に、ジルが構う必要はないの。何より、分不相応、でしょ」
「ソフィア」
ジルの声音が、今までよりも低くなった。
「俺の命令が、聞けないのか?」
絶対的な、王としての言葉。弱小国の王女としては、従わざるを得ないけれど。ちょっと、こういうの、ズルいと思う。都合のいい時だけ、親しくして、ちょっと気に入らないことがあったら王権を振りかざすなんて。こんなの、全然、理想の王様なんかじゃない。
「……いいえ、そんなことは、けして。申し訳ありません、陛下」
不満はあった。声音にも表れていたから、ジルだって気がついたはずだ。でも、彼は満足そうに笑っていた。
「そうだ、それでいい。ソフィア。俺は、お前が今まで通りに接してくれるなら、何も言わない。お前も、何も聞くな。俺を、怒らせたくなければな」
本当に、身勝手な人だ。でも、そういうつもりなら、それでいい。
(それってつまり、私の気持ちなんて、どうでもいいってことだものね)
仲良くなれたと思っていた。でも、それは私の、思い違いだった。
(いいわ。私の気持ちも、私の想いも、私だけのもの。ジルになんか、絶対にあげない)
私は顔に出さないように決意して、それからは、いつも通りに振る舞い続けた。
――――
その日の深夜。ジルヴェストは、腕の中で眠りについた娘を抱きしめて、ベッドに入った。
「……ソフィ」
彼女の言葉は正しかった。何一つ、間違ったことは言っていなかった。それなのに、そんな言葉は聞きたくないと、思ってしまったから。王権を行使して、無理やりに止めた。分かっている。こんなことは、してはならない。けれど、それ以上に。彼女が自分から、自分の価値を下げようとすることが、許せなかった。
(それは……それは、何故だ?)
眠る少女の表情は、とても安らかだ。王として命令を下したからか、彼女は普段以上に気軽に、意味のない話をし続けた。
「ソフィア、俺は……」
けれど、それでも。今までと同じ関係に、戻ったわけではない。告げるべき言葉を、伝えるべき想いを、ジルヴェストは違えてしまった。そのことだけは辛うじて、理解できている。
「俺の妻。俺の女。……違うな。それも、事実だが、それでは……」
それでは、彼女に届かない。
「……『愛している』。そうだな、それなら、届くか」
その言葉の意味は知っている。今までは、ずっと向けられる側だったが。そもそも、その感情を本当に愛と呼ぶのかすら、分からない。けれど、女たちはいつも、自分からの
「そうだな。愛、うん、愛している……そう、それなら、きっと」
きっと彼女は拒まない。意味は分からなくて良い。そも、愛とは身勝手なものだ。女たちは、愛しているのなら何をしても良いと言った。それなら、問題はない。そう結論づけて、ジルヴェストは笑った。心の奥底から湧き上がる、煮えたぎるような熱い感情。これが愛だというのなら、女たちの態度も理解できる。
「ソフィ。俺は、お前を愛している」
側に置きたい。笑ってほしい。そのために、持てる全てを使う。何も矛盾はしていない。彼女だって、それが正しいと言ってくれるはずだ。そう。
「愛しているのなら、何をしても許される。そうだろう?」
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