第3話 穏やかな日々

「……どうしよう」


私は今日も、図書室に来ていた。最初の件があってから、何かを言われることはなくなった。相変わらず、遠巻きに見られていることは多いけど。


「全部、読んじゃったしなあ」


何日も通っていて、分かったことがある。この図書室に置いてある本は多いけれど、娯楽小説の数は、あまり多くはないということ。


「まあ、いいか」


借りていた本を棚に戻して、その場を離れる。いつかは、そういう日が来ると。最初から、分かっていた。


(というか、そもそも。故郷の話も、日常の話も、読んだ本の話も。どうしてジルがあんなに聞きたがるのか、分からなかったし。何も新しいことが話せなければ、きっと興味を失って、明日からは来なくなる。それが多分、正しい形、だものね)


少し残念なような気がしたけれど、でも。これが当たり前のことなのだと思った、その時。


「もう、お帰りなのですか、ソフィア様?」


背後から声をかけられて、私は慌てて振り返った。


「は、はい。ええと……あの……」


町娘の格好をした女性――ミルワード伯爵家のご令嬢が、本を抱えて立っている。


「ちょうど、新しい本が入ったのですが、よろしければ借りていかれますか?」


シェリル様は、抱えている本を机に置いて、その中の1冊を渡してくれた。


「これって、私がよく読んでいる本と、同じ作者さんの……?」


「ええ。娯楽小説がお好きなのでしょう? 取り寄せてほしいと仰らないので、ご迷惑かとも思ったのですけれど、どうしても気になってしまったもので。先日、実家から送ってもらったのです」


「それは……その、ありがとうございます。でも、よろしかったのですか? なにかこだわりがあって、置いていなかったのでは……」


私の言葉に、シェリル様は苦笑した。


「いいえ。私の家は学者の家系で、それ故にどうしても、学問に関する本ばかり送ってくるのです。娯楽小説も、子供向けの挿絵が入った本も、他の本と同じくらい良いものだと思うのですけれど。娘の私から頼むのも、なんだか気恥ずかしくなってしまって。ですから、これは私にとっても、良い機会だったのです」


「そうだったのですね。……その、よろしければ今度、オススメの本を教えていただけますか? 娯楽小説以外の本も読んでみたいとは思っていたのですが、難しいのかもしれないと思うと、少し気後れしてしまって……」


「構いませんよ。興味のある分野を教えていただければ、お選びします」


「ありがとうございます。それでは、私はこれで……」


「はい。また、いつでもお越しくださいね」


そうして、会話を終わらせた私は、本を持って部屋に戻った。


――――


今夜も、ジルは私の部屋を訪ねてきた。私は借りてきた本を見せながら、今日あったことを話した。


「シェリル様は、本当にお優しい方なのね。仲良く、なれるかしら」


「シェリルのことだ、問題はないと思うが……それよりも、ソフィ。本を読んで分からないことがあれば、俺が教えてやってもいいが?」


「そこまでしてもらうのは、何だか申し訳ない気もするし、止めておくわ。それに、私はシェリル様と、お友達になりたいの。だから、分からないことがあったら、シェリル様に教えていただくわ」


「ソフィ」


ジルが目を細めた。お互いの顔が近付いて、琥珀色の目が、射抜くように私を見る。


「俺が教えてやる。2度も言わせるな」


彼は、そういう男なのだろう。やりたいことを、やりたいようにやる。でも。


「……ねえ、もしも私が、ジルの言葉に従うだけの女だったら。ジルは、今みたいに毎晩訪ねて来くることは、無いんじゃない?」


最初は怖かった。でも、話しているうちに、少しずつ恐怖は薄れていって。少しずつ、彼のことが理解できたような気がしてきて。


「私、何も考えずにジルの言葉に従うような女の子には、なりたくないの。だから、ジルにばかり、頼らない。シェリル様とお友達になれるかは、分からない。でも、もしも少しでも、仲良くなれたなら。ジルに頼りきりにならずに生きていくために、後宮のことを聞くつもり。……だから、私、頑張るね」


琥珀色の瞳は、とても綺麗で。魅入られそうな輝きを、放っている。それでも、私は真っ直ぐに、彼の目を見つめた。彼に気に入られる理由なんて、それ以外に思いつかない。だったら、私はここで、引いてはいけない。


「……そうか」


ジルが少しだけ、笑ったような気がした。多分、気のせいじゃない。


(やっぱり、そうなんだ)


私が彼に気に入られる理由なんて、それしかない。いつも通り、眠くなるまで話をしながら、私はずっと思っていた。それが理由なら、きっと大丈夫。私は、彼が好きだと思ってくれる私で、居られるはずだと。


――――


ジルヴェストは、腕の中で眠った少女を、ベッドに下ろした。帝国の王として、相応しくあるように。そう育てられて、自らもそうであるべきだと定めた。そのことを、後悔しているわけではない。彼女に出会うまで、自分でも忘れかけていた自分。そんなものは、必要ない。今でも、そう思う。けれど、取り戻してしまえば、惜しくなる。


「ソフィア」


煮えたぎるような感情が湧き上がる。こんな感情は知らなかった。


「俺の、ソフィア」


知ってしまったから、引き返せなくなった。


「そうだな。俺は、自由なお前を見ていたい」


彼女の部屋から出て、後宮内を歩く。自室に戻り、羊皮紙に羽ペンを走らせる。


「だが俺は、それ以上に……お前を……」


理解はしている。その感情は、王にとっては不必要なものだと。それでも、どうしても。


「ソフィア。俺の妻、俺の……」


感情に任せて、筆を走らせる。書いているのは手紙だ。以前もソフィアのことで、手紙を送ったことがある。この手紙を受け取る人間であれば、今回の頼みも、彼女に気付かれないように上手くやってくれるだろう。宛名を書いてから、けして中身を見ないように言いつけて、メイドに渡す。メイドは何も疑わず、手紙を持って去っていった。

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