第2話 後宮生活の始まり

帝国の後宮にいる女は、私だけではない。とはいえ、大帝国の後宮にしては、女の数が少ないのも事実だ。


「あら、あの方……」


「昨日いらした、ソフィア様でしょ?」


「夜番の衛兵が言っていたのだけれど、陛下の笑い声が、夜通し聞こえてきていたのですって。よほど、楽しまれたのでしょうね」


「へえ。そんな特技があるようには、見えないのにね」


後宮に勤めるメイドたちが、囁き交わしているのが聞こえる。噂話をするなとは言わないが、どう考えても、自分に聞こえるように話しているような気がする。


(……気のせいよ、きっと)


私は、エリアス帝国の後宮にある図書室で、本に手を伸ばしたところだった。昼の間は、側室であっても、後宮内をある程度自由に移動できる。読書が好きな側室が、実家から取り寄せた本や海外の珍しい本を集めているとうわさになるほどの図書室は、噂どおり……いや、噂以上の光景が広がっていた。つい心が弾んで、娯楽小説の棚を見に行ったのが、良くなかったのだろうか。


「図書室では、お静かになさってくださいね。それと、噂話をする時は、周りをよく見るように。あなた達は、レイラ様にお仕えしている方々でしょう? そのような態度では、主人のことまで軽んじられてしまいます。お気をつけを」


町娘のような服装の、私と同年代の女性が、メイドたちに注意した。注意されたメイドたちは、慌てたような様子で、図書室から出ていった。


「あ……あの、ありがとうございます」


「お気になさらず。ここは私が管理している場所ですもの、ここで起こることに目を配るのは、当然です」


本を1冊持った状態で、書棚の向こうに声をかける。女性は笑顔で、断言した。


「ソフィア様ですね。ここの本は誰でも読めますし、貸し出しもできますから、お気軽に仰ってくださいな」


――――


「……で、借りて帰ってきたのか」


今日も、ジルは私の部屋に来た。どうしてと聞いたら、その方が楽しいからだと返されて、私はなんと言っていいか分からなくなってしまった。故郷の話も終わってしまって、仕方なく、今日の出来事を話したのだけれど。ジルは何が楽しいのか、悪戯をする子供のような表情で、私の話を聞いている。


「それで?」


「今日あったことは、それだけ。大したことのない話でしょ。こんな話しか出来ないし、明日からは来なくても」


「ソフィ。自国のことを思うなら、それ以上は口にするな」


笑顔で言葉を遮ってくる。昨日と同じように膝に乗せられた私は、ため息を吐いて言葉を飲み込んだ。本当に、何を考えているのだろうか、この男は。


「それと。お前は気付いていないようだから教えておいてやるが、メイドたちに注意した女は、ミルワード伯爵家のシェリルだぞ」


思考が停止した。


「…………その、名前って。確か、あなたの側室のうちの1人で、第二王女と第三王女のお母様のお名前じゃ……」


ジルは、それはそれは楽しそうに笑って、私の唇に一瞬触れるだけの、軽いキスをした。


「そう気にしなくとも、シェリルは同じ趣味を持つ者には優しい女だ。そもそも、この後宮には、余計な波風を立てるような女はいない。俺の後宮だ。俺好みの女だけを集めるのは、当たり前だろう?」


その言葉で、理解した。これほど大きな帝国なら、もっと広い後宮に、何十人もの妻を招くことも可能だろう。ジルがそうしないのは、面倒事を避けたいからだ。


(私が妻として選ばれたのも、私個人の魅力とかは関係なくて、オルグレンうちがそういう事に無頓着な人ばかりの小国だって、知っていたからなんだろうな……)


私の父母は、自国を大きくしようとも思わないし、帝国内で確固たる地位を築きたいとも思っていない。日々の平穏を、何より大切にする人たち。そんな彼らの娘だから、分不相応な望みは持たないだろうと思われて、後宮に入ることを許されたのだろう。


(でも、だとしたら。この人は、どうして私に、こんなに構うのだろう)


この後宮の図書室から借りてきた、ごく普通の娯楽小説の話をしながら、私は内心で首を傾げた。ジルは、いったい私の話の、どこがそんなに面白いのだろうか。


「ソフィは、本が好きなのか?」


「人並みには」


「そうか。それならここは、お前にとって、楽しい場所になるだろう。ここにはシェリルが居るからな。帝国のどの店より、多くの本を揃えているさ」


私の髪に触れながら、片時も目を離さずに、甘さを感じさせない声音で言う。彼が何をしたいのか、私には全く分からない。ただ、その夜も昨夜と同じように、ずっと話し続けていたのだった。


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