第1話

寿命時計が発明されたのは今から百年前のことだ。

当時の最先端技術をふんだんに詰め込んで作られたそれは、

所有者の死亡時期を秒単位で予測できる魔法のような機械だった。



この世紀の発明品はすぐに世界中に出回り、人々の生活の必需品となった。

寿命時計のおかげで、人々は時間をより大切にするようになったし、

誰もが漠然と人生設計を立てて生きるようになった。



26歳のころ、俺の勤めていた会社には

余命があと三か月しかない女の子がいた。



職場で彼女の余命を知らない人はいなかったので、

職場の人たちはみんな必要以上に彼女に気を使っていた。



唯一の同期だったこともあってか

俺はその子と仲が良かった。

よく昼休みに一緒に昼ご飯を食べていたし、

プライベートで遊んだりもしていた。



それは仕事帰りに彼女と二人で飲みに行ったときのことだった。

「私ね、明日で仕事やめようと思うの」と唐突に彼女は言った。



「え?どうして?」急な話にまごついて、俺はそう質問した。



彼女は腕に着けていた寿命時計を俺に見せて

「私あと少ししか生きられないし」と言った。



「ふーん。そっか」と俺は言った。

平静を装っていたが、内心ショックだった。

彼女がいなくなった後の職場を想像すると気が滅入った。



「君にだけは前もって伝えておこうと思ってね」

ビールを飲みながら彼女はそう言った。



「そっか。教えてくれてありがとう」

と言って俺は焼き鳥をほおばった。



しばらく沈黙が続いた後、

「退職したら何をするの?」と俺は聞いた。



「まだ決めてない」と言って彼女は頬杖を突いた。

「貯金は結構あるから、とりあえずそれを使い切ろうと思ってる」



「貯金、いくらあるの?」



「500万くらい」



「すご」俺がそう言って驚くと



「使い道がなかったんだよね」と言って彼女は笑った。



「それでこれから贅沢できるんだからいいじゃん」



「まあ、そうだね」



「ここから先は完全に自由に時間を使えるわけか。いいなあ」



「あはは。そんなこと言ってくるの君だけだよ」



「あ、無神経だった?」



「ううん。むしろそれぐらいでいてもらった方が気が楽かも」



「そ。ならよかった。残り時間を上手く楽しめるといいね」



「ん。ありがとう」

そう言って彼女はまたビールをあおった。



俺と彼女は二時間飲み屋で談笑したあと、

カラオケに行って歌を歌った。

2時間そこに居座ったところで、

終電の時間が近づいてきてカラオケを出た。



俺と彼女は駅へと続く川沿いの遊歩道を並んで歩いた。

鼻歌を歌いながら歩く彼女の姿を見ていると不思議な気持ちになった。

3か月後には彼女はいなくなっているのだ。



死ぬってもっと特別で非日常的なものだと思っていた。

けれど、彼女を見る限りそうではないようだ。



今日みたいな普通の日が続いたその先で、

彼女はあっけなく死んでしまうんだろう。



そう思い始めた途端、俺は胸が苦しくなった。

彼女が死んでしまうんだという実感が

今さらになって湧いてきたのだ。



駅に着いて改札を抜けた。

俺は上りの電車で、彼女は下りの電車なのでここでお別れになる。



何か言いたいことがあるはずなのに、上手く言葉が出てこなかった。

「…それじゃ」とだけ言って俺は手を振った。



彼女は少し悲しそうな顔で

「うん。それじゃ」と言って同じように手を振った。



彼女が歩き出そうとしたところで、

「あ、あのさ」と俺は声を出した。

「も、もし、俺に何かやれることがあったら何でも手伝うから言ってね」



俺の言葉を聞いて

「本当に?」と彼女は言った。

そして俺に近づいてきて、顔をじっと見て

「君って、今彼女はいるの?」と聞いてきた。



俺は首を傾げた。

質問の意図がよくわからなかったのだ。

「いないけど」ととりあえず俺は答えた。



「じゃあ、好きな人は?」と彼女はまた聞いてきた。



「それもいない。ねえ、何このしつも……」と言いかけたところで、

彼女の顔が俺の顔に急接近した。

唇に温かくて柔らかい何かが触れる。



少し遅れてからキスをされたんだと理解した。

驚いて彼女の方を見ると、

彼女は少し切なげな顔をして逃げ去ろうとした。



「ま、待って」と言って咄嗟に俺は彼女の腕を掴んだ。

彼女は俺に顔を向けずに「離して」と言った。

俺は彼女の言葉を無視して、

「やっぱり、俺も明日で仕事をやめる」と言った。



自分でもおかしなことを言っている自覚はあったが、

言葉は止まらなかった。

「それで、君の残りの三か月間を一緒に過ごしたい。俺、自分で思っていた以上に君がいなくなってしまうのが寂しいみたいなんだ」



「……」彼女は目を開いて口をぽかんと開けていた。



「い、嫌だった?」と俺は恐る恐る聞いた。



「ううん。嬉しい。ごめん…。急で、びっくりしちゃって…」と言って彼女は泣きだした。



俺は心底ほっとして泣いている彼女をなだめた。

彼女が俺の胸に顔を預けてきたので、

俺は彼女を抱きしめて、その頭を優しく撫でた。



気付いたら終電の時間はもうとっくに過ぎていた。

けれど、まあいっかと俺は思った。

明日からの予定は何もないんだから。

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寿命時計 終電宇宙 @utyusaito

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