第5話「最終日、僕らは」

5. 最終日、僕らは



 八月二十五日。夏休み最終日。


 その日は朝から静かだった。昨日のうちに、申請した人たちがのるロケットは全て打ち上げが終わった。今この地球上にいるのは、僕らの様な人、なにもかも諦めた人、申請をしたけれどあふれてしまった人。この三つのどれかに人類を全員分類することができる。

 もうロケットが打ちあがる音も、その時にでる煙も、もう見ることはない。

 この日は、普通サイズのかき氷を作って食べ、紬がどうしてもできなかった数学の宿題を燃やし、誰もいない街を二人で歩いた。お昼を食べ終わり、僕らは映画を見たりマンガを読んだり、少しだけ昼寝をしたりした。

 夕方、夕食の準備をしながら紬と話した。

「今日で夏休みも終わりだね。……なんかあっという間だった」

 紬がお米を炊飯器にセットしながら言う。

「まあ、それは毎年のことだよ」

 僕も野菜を切りながら返す。

「でも今年の夏が一番あっという間だった。色々やったからかな」

「そうだね、ただダラダラと過ごす日はわりと少なかったかも」

 熱したフライパンに油をたらすと、ジューッと音が響いた。

「碧人は残りの時間、どうしたい?」

「んー」

 フライパンの中に肉をいれながら考える。

 夏休みっぽい楽しいことは結構やった。他にやりたいことか……。強いて言うなら、

「夜、海に行きたいかな」

「泳ぐの?」

「いや、見ながら話すだけ」

「……なんかエモいね」

「そうかな」

「うん。夏休み最後の夜に海を見ながら語り合うとか最高にエモいよ」

 ピーっと、炊飯開始の合図がなる。窓の外は少し暗くなってきていた。

「それに、なんか合ってる気がする、私たちに」

 そう言った紬は、冷蔵庫の中に身体を突っ込みながら何かを探していたようで、表情などは分からなかった。

「そうかもね」

 焼けていない肉の部分を探して焼ながら、僕は紬に聞こえるか聞こえないかの声量で呟くように言った。

  

 時刻は二十時。もう完全に夜だった。僕らは懐中電灯を持ちながら、いつもより少し遠い場所まで歩いて行った。そこには堤防があり、二人で並んで座った。

「……ねえ紬」

「なに、碧人」

「……ひょっとしたら、僕たちのこの選択は間違っていたのかもしれない」

 空には月が浮かんでいて、夜だというのに、あたりは明るかった。

目の前には穏やかに揺れる海。そこを横切る船はなかった。人もいなかった。まるで、僕たちだけがこの世界にいるみたいだ。そう錯覚してしまうほどに人気がなかった。人が住んでいた痕跡も感じられないほどの静けさに包まれていた。

 紬は、じっと僕の言葉の続きを待っていた。

 なんとなく、僕の言いたいことが分かっているのかもしれない。

「だけどね、きっとこれは僕らにとって必要なことで、僕らができる唯一の事だったんじゃないかって思うんだ。

——僕らにできる、最大の抵抗だったって、思うんだ。」

 静かな時が流れた。ただ、繰り返し波打つ音だけが、この空間を満たした。

「碧人もさ、この平穏な日常がずっと続けばいいって思ったりした?」

 紬が、言葉を零すように聞いてきた。

「もちろん。これが全部悪い夢だったらよかったのにって、何度思ったことか」

「私も。……だけど、この選択が間違ってたとは思わないよ。だって最初に碧人言ってたじゃん」

 紬が僕に顔を向ける。その表情はちょっと怒っているようで、でもちょっと得意げだった。

「私たちがこうしていつも通りにしているのは、私たちの意志であり、願いなんだって。今も私は、変わらずそう思ってるから。毎日楽しく過ごせて、この一か月間、すごい充実してたもん」

「……なら、良かった」

 

 少し時間が経ったとき、紬が話し始めた。

「でも、本当に楽しかったな。ラジオ体操も一日除いて毎日やったし、かき氷もたくさん食べたし、自転車で軽い旅もしたし、海で遊んだし、花火も流しそうめんもゲームもしたし」

「またかき氷で一日寝込んだし」

「う、まああれはね、事故というか……」

 わざとらしく目をそらす紬。まあ、僕も手伝いに入ったのが悪かったんだけど。あのとき止めていればあの悲劇は起こらなかったのに、という反省が残る。

「僕も楽しかったよ、すごく」

「じゃあ、この夏休みは大成功だね」

 月の光に照らされながら、紬は楽しそうに微笑んだ。


「——ねえ碧人」

「うん」

「今私たちがしてることってさ、命を無駄にしてることだと思う?」

「まあ、世間一般の目で見たらそうかもしれない。だけど、僕たちからしたら違う。ただ夏休みを思いっきり楽しんだだけ。別に罪悪感とかなんてないし、そんなものを背負う必要もない。だって僕たちは、普通の高校生なんだから。楽しむのは当たり前のこと。それに、周りに流されずに最後まで自分のやりたいことを貫いたんだ。これは誇るべきことだよ。そうでしょ?」

「……そう、だね。そうだよね!」

 紬はうんうん、と大きく頷く。

「じゃあ、僕からも質問」

「おお、珍しい」

「今僕たちがここに残ってることは、自ら死を選んでいるということ?」

 いつも紬がしてくるような質問を、僕もする。

 紬はしばらく考え込んでいたようだったけど、答えが出たらしく、時々言葉を詰まらせながらも話し始めた。

「まあ、最終的にはそうなる……よね。結果だけで見ると。でも、私たちが残ってるのは、別に死ぬためじゃない。死にたいからここにいるわけじゃないから、多分……いや絶対違うよ。きっとね」

 予想以上にしっかりとした答えが返ってきて、少し驚いた。お互いが見せようとしなかっただけで、きっとこの夏休みの間、二人とも何回も考えたり悩んだりしていたんだろうな。

「……うん。そうだね。多分そういうことなんだよ、全部」

 さっきまで薄っすらあった雲もなくなり、頭上には満点の星空が広がっている。

「そうなんだろうね」

 紬の声は、夜に吸い込まれていった。

「星、綺麗だね」

「うん、綺麗だ」

 僕らは寝転がって、星空を眺めた。

 お互いが、お互いの手を探し、そして握った。

 なめらかで、少しだけひんやりとしてる紬の手。

 キラキラと、数多の細かい星たちが、ひとつひとつ輝いていた。太陽の光を受けて光る、月と星のお陰で、夜空も明るかった。


「碧人、ありがとう」

「僕こそ、紬、ありがとうね」


 さいごまで一緒に過ごすことができて、良かった。





 —―どこか遠くのほうから、地面が割れるような音が聞こえてくる。

 寝転がっている堤防越しに、振動を感じる。



 そして僕は、目を閉じた。繋いだままの紬の手は、温かかった。




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僕らのさいごの夏休み 雫石わか @aonomahoroba0503

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