1:First scene -Side man- ①
数年遡って。
「ごめんねー」
遠くからユズが手を振りながら近づいてきた。ぼくは笑って「ううん、ぼくも今来たところだよ」と返す。
「え、トモくんも今来たところだったの?」
「え、うん、まあ」
「だったらトモくんも遅刻じゃん! わたしのごめんねを返して」
「『お疲れ様です』に『疲れてないですが?』って返すタイプ?」
遅刻してきた彼女に、「今来たところだよ」というのはもはや社交辞令のようなものだ。
「じゃあお昼ご飯食べにいこっか」
もともと一時集合でお昼ご飯を食べた後、横浜駅周辺をうろうろする予定だったんだけど、ユズが三十分くらい遅刻してきたのでもうお腹はペコペコだった。
なんならペコペコっていう可愛らしい表現が憚られるくらい空腹でお腹と背中がくっつきそうだった。
お腹ベコンベコン。
「お腹がひしゃげたドラム缶みたいになってるじゃない。じゃあ何食べに行く?」
「そうだなあ、お腹は空いてるけど、これと言って食べたいものはないんだよね。逆にお腹がすきすぎて寿司でもステーキでも何でもおいしく食べれそう」
「それはいつでもおいしく食べれるよ」
ユズはけらけらと笑いながらぼくの左腕に腕を絡めてきた。
まるでバカップルだ。
でも、バカップルは大学生の特権でもあるので、ぼくはそれを振りほどいたりはしない。
左半身でユズの体温を感じていると、彼女が弾けるような笑顔でこう言った。
「じゃあいつもの決め方しよ」
いつもの決め方。
それはぼくが考案した画期的なシステムで、だいたい月に二回ほど登場する。
その決め方とはこうだ。
まず、じゃんけんで先攻と後攻を決める。別にバトルするわけではないので先攻後攻という単語は少し違うのだけれど。
先攻は一から五の中で好きな数字を思い浮かべる。
後攻はひらがなのア段、アカサタナハマヤラワのうちどれかを思い浮かべる。
そしてせーので思い浮かべたものを発言する。
「3!」
「ナ!」
今回はこのようになった。
そしたらあとは簡単で、ナから三番目の文字、今回だと『ヌ』が選定される。
「いや、ヌって」
ユズが渋い顔をした。
ここからぼくたちがやることはひとつだ。
ヌからはじまる食べたい食べ物を探す。
ぼくたちのようにサトリ世代だとか Z 世代だとか呼ばれる人種には、基本的に「食べたいもの」がない。いや、もちろん人によるんだろうけど。
食べたくないものはあるけれど、それ以外なら何でもいいというのが本音だ。
そんなテンションだから、ぼくたちはお昼ご飯のたびに困っている。
でもそれは、選択肢が多すぎるからそうなるだけで、例えばこのフードコートの中で食べたい店を選んで、と言われたら普通に選べてしまう。
ある程度制限があった方が、行動がしやすい世代なのだ。
「だからと言って、ヌは制限しすぎだと思うなー」
「それはぼくも思ってるけど口に出したら駄目だよ」
口に出したら戦争だろうが。
「だってヌからはじまる食べ物って何? ヌガーくらいしか思いつかないよ!」
「ヌガーってなに!」
「ナッツとかドライフルーツを水あめに混ぜて固めたお菓子だよ。アンドロイド 7.0 の名称になったことで有名だね」
「ひとつ解説するたびにひとつ疑問を生んでいくのやめない?」
アンドロイド7.0の名称? なに?
ともあれ、ヌか。
ヌガーはどうやらお菓子のようなので、お腹がボコンボコンになっているぼくを満足させることは出来なさそうだ。
だから他の食べ物を考えなきゃいけないんだけど。
「ぬか漬けしかでてこない」
でもぬか漬けにもお腹を満たしてくれる印象はないし、そもそも横浜駅でぬか漬けを食べられるお店ってどこ。
「あとはもうわたしの語彙にはヌスシュネッケンくらいしかないや」
「ユズのその語彙はどこから生成されるんだよ!」
なんとなくドイツ語のような気がした。
結局ぼくたちは“ヌードル”ということで、横浜駅東口のビルに入っている家系ラーメンを食べに行った。
家系ラーメンはにんにくを盛りだくさんにいれる食べ方が最適解なんだけど、今日は彼女とデートなのでしっかり控えた。
卓上にはにんにく以外の調味料もあるんだから。生姜とか。
ところで、いつも思うんだけど生姜はにんにくの替わりになり得ないよね。
家系ラーメン屋でもその二つはセットで置かれがちだし、餃子に至ってはにんにくの替わりに生姜を使用した商品まであるけれど、味が全然違うと思う。
「と思わない?」
ユズに聞くと、ユズはラーメンににんにくをドバドバ入れながら「にんにくの替わりになるものなんてこの世に存在しないんだよ」と胸を張って言った。
――――いれるんかい。
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