/15ゴデチア お慕いいたします



〔素敵なものを素敵と言って何が悪い〕


聞き慣れないものに惹かれてしまうのは人の心理だ。それもいっとう好奇心によって感情的行動が形成される類の人種である少年にとっては、もうどうしようもないことである。

狭間の街はがらくたの集積場でもあって、国の上から捨てられてきた瓦礫たちを無秩序に複雑に組み上げて作られている。どうしようもないのが空から降り頻る爛雨と埃雪で、人体においては日陰病を発症させる毒は物質を急速的に廃れさせる性質も持つ。要は、すぐに錆びて中が伽藍堂のように軽くなる。


谷の底は国の上から見れば問題を先送りにしたばかりのゴミ溜め場でしかないが、街の住人からすれば使いようのあるスクラップたちだ。いっとう、ごうんごうんと音を鳴らす複雑怪奇の科学機械を発明するリーダーたちからすれば大切な大切なパーツたち。戦後まもなく、未だ谷の底へと目を配るほど落ち着いてはいない国からは平和になったというのにすっかり当然のように定期的にがらくたたちが降ってきたので、街でリーダーと呼ばれる少年は大きなリュックサックをからっぽに背負って探索をすることもままあった。


そんな時のことである。寂しげに震えながらも美しいピアノの音色が彼の耳に聞こえてきたのは。谷の底、それも科学の国出身であるリーダーにとっては耳慣れない音楽だ。街に魔法使いは複数いるが、楽器を使用し音楽を奏でるものはいなかったこともあり、リーダーの好奇心をくすぐって仕方なかった。

音楽に明るくないリーダーでも同じ音が繰り返し使われているらしきことはわかった(音階の名前やらはわからないけれど)。魔法の国のオルゴールから流れる短い曲よりも音の種類は少ない。なのにどうしてか、確かのそれは美しい音楽だった。


地面に這いつくばって無惨な形で切り取られたピアノの鍵盤の一部に右腕を伸ばし、指先だけを動かす瀕死の男がそこにいた。体は血に塗れ、おかしな方向に曲がっていることから脚はすっかり折れているのだろう。伸ばす腕は震えていてほんの数センチ上げるだけでも辛そうだというのに、男は決して鍵盤を押し弾く指だけは止めなかった。


「すげぇ。」

リーダーは科学の国出身で、科学者で、少年だ。魔法の国そのものに訪れたことはなく、戦場に出たこともない。幸運だったことに、天使のような歌声を聞いたこともない。彼が知っている音楽は、例えば街の整備士のものを浮かせる歌や活発なコックが皿を並べるときの歌。

音は寂しげで、震えていた。鍵盤と呼ぶにもお粗末なパーツで演奏されたそれは、国の重厚なオーケストラなんかとは比べ物にならない程チャチなものだろう。


でも。すごいと思った。素敵と思った。もっと聞きたいと、思った。単純な思考回路じゃ駄目だろうか。

気がつけば音は止んで、たまらず駆け寄った彼の口から放たれた第一声はもう耐えられないほどの興奮だ。


「なぁアンタすごいな!俺、音楽よくわかんないんだけどさ、すごかった!もっと聞きたくなる演奏ってやつ。これ、ピアノの鍵盤だよな?なんでパーツだけ?……あ、周りに散ってるのそれかな。なぁもっと聞かせてくれよ。………あ、ところで生きてる?」

つらつらと並べて、最後にようやくと心配しているような言葉を口にした。心配というよりも、事実確認に近いかも。男は死んではいなかったようで、くすんだエメラルドグリーンの瞳をぎょろりとリーダーに向けた。


「……いきている。いきているとも。」

「なんかすげー残念そうにいうのな。まー俺には関係ないけど。ところでさ、もっと弾いてくんねーの?」

瀕死の男にねだる内容ではない。リーダーはずっと自分本位のことばかりを投げかけた。


「…ひかぬ、ひけぬ。我輩には彼女に触れる資格など、そも、もう、ないのだ。我輩は…我輩は彼女を自分勝手に砕いて…その分際で、彼女に触れて、けっきょく。結局…」

男の言葉は支離滅裂で、何も知らないリーダーからすれば理解に及ばない。人殺しをしたと罪を嘆き、自分の愚かさに絶望した。


「すてきなものか。すごくなんてあるものか。我輩は音楽を愛した。愛している。悪魔の破壊を天使の歌声だと錯覚し、魅了され、夢を抱いて愛をなぞった。愚かな罪を無知を言い訳にして……されど偽ることもできず、されど貫く勇気もなく、彼女に全てを押し付け砕くことで自らの生に言い訳をつけようとしたのだ…壊した。壊したのだ、我輩は彼女を。」

男は捲れ上がった指先でピアノの鍵盤をなぞると、とうとう嗚咽を漏らし始めた。


リーダーは少しばかり口をつぐむと、それから周囲に散らばっていたパーツをいくつか手にとって、男が縋り付く鍵盤の横に置いていった。パズルを組み立てるようにして。


「よくわかんないんだけどさ、壊れたならなおせばいいんじゃね?だってアンタはさ、ぐちゃぐちゃの傷だらけになってもやっぱ諦められないほどピアノが弾きたいってことだろ?」

「…それ、は…」

「結構粉々になってっから完璧元通り!は流石に厳しいけどつぎはぎパッチワーク風で修繕はできそうだぜ、アンタの彼女。」

足元に落ちていた白色の鍵盤を指先で掴むと、ゆらりと、まるで人質をとったかのような仕草で男の眼前にへと揺らした。


「偽るとか貫くとか、覚悟的なのは俺にはちょっと荷が重いけど…アンタのピアノ、サイッコーだったからさ。それじゃだめかな。全部俺のせいにしていいからさ、俺のためにピアノを弾いてよ。悪魔も天使も関係ない。ねぇ、弾いてよ。アンタの愛を、アンタが求めた夢を、俺は聴きたい。」

柔らかな色をした、それは確かに脅迫だ。愛しい彼女を治してほしくば最高の演奏をよこせ、と。


罪も愛も夢もなにも、彼には関係がなかった。ただもっと聞いていたいと感じた演奏を聞かせろと、幼く単純な要求。でも。その脅迫が初めて彼の愛と夢を肯定してみせた。


_____お前の演奏は最高だと。





ああ。なんと目が眩む魔性のあおいろだ!

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