第4話 偶然のきっかけ?

 和代のことを佐伯が好きだということは、どうやら、公然の秘密のようだった。特に事務の女の子や、倉庫のパートのおばちゃんたちには、バレバレだったようだ。こっちは必死に隠そうとしているのに、そんなことはお構いなしのようで、少し鈍い佐伯にも、まわりの不穏な雰囲気は漏れてくるのが分かった。

 そんな時、一人のおせっかいなおばさんが、

「佐伯君は、和代ちゃんのことが好きなんじゃろう?」

 と、方言バリバリに話しかけてきた。

「あっ、いや」

 と、わざとらしく見えるほど、狼狽えていたが、実際には、

「その通りだ」

 と言っているのと同じだった。

 だが、内心では、

「本当は気づいてほしかった」

 という思いもあった。

 社内恋愛がどういう意味を持つのかという本当のわけを知らなかったこともあって、話題になるのは嫌ではなかった。

 学生時代、話題になりたくても、面白みも何もない自分が目立つことはないだろうと思っていたが、田舎の人間から見れば、都会からやってきた新入社員というのは、実に珍しく、興味深いものに違いない。

 それにしても、ここまでズバリと言われると、狼狽えたのも、まんざらというわけでもなかったのだった。

「よく分かりましたね」

 と聞くと、そのおばちゃんは、

「そりゃあ、そうよ。私はあなたの倍以上生きているのよ。子供があなたと同じくらいなので、そのあたりも分かるわよ」

 というのだった。

「このことは、他の人には、言わないでくださいね」

 と言って、人差し指を立てて、口元に持って行ったが、それを委細かまわずに、

「何言ってるのよ。皆知っていることよ。もう、ここまでくれば、公然の秘密というところね」

 と、まるで、鬼の首でも取ったかのように、おばさんは自慢げに言うのだった。

「そうなんですか?」

 と、別に困った様子を見せるでもなく、頷いた。

「それでね。今度、二人でデートすればいいじゃない。実は博物館の券が2枚あるのよ」

 と言って、チケット入れにキチンと入った状態で手渡してくれた。

 入れ物まであるということは、貰ったわけではなく、実際に買ったものではないかと思った。

「ここまでしてくれるんだ」

 と、ホロッとした気分になったが、それだけ田舎の人たちは人情に厚いということなのだろうか?

 ただ、気を付けないと、興味本位ということもあるかも知れない。だが、せっかくの好意を無にすることもないだろう。

 実際に、彼女と近づきになりたいのは事実であり、そのきっかけがほしいと思っているのも間違いではない。それを思うと、

「せっかくだから、もらえるものは貰ってもいいだろう」

 という思いが強くなった。

 デートと言っても、まったくしたことがなかったわけではなかったので、何とかなるだろうと思ってはみたが、逆にこちらが、元々、都会の大学生だったということから、

「過度の期待を受けるのではないか?」

 とも思えて、

「中途半端なことはできないか」

 と、またしても、考え込んでしまった。

 だが、郷に入っては郷に従え、どうせ、都会ではないんだから、背伸びすることもないと思うと、気が楽になってくるのだった。

 問題は、普通に彼女を誘って、来てくれるかどうかということだった。

 転勤してきてから、2週間、正直、彼女と普通の会話も交わしたこともなかったことを、いまさらのように思い出したのだった。

 だが、きっかけというのは、案外とそのあたりに転がっているもので、まるで絵に描いたように、チケットを渡せるきっかけができた。

 その日は、仕事で遅くなり、一番最後に営業から会社に帰ってきたのだ。あたりは薄暗くなっていて、すでに、会社では提示を過ぎていて、5時が定時だったのだが、帰社した時間は、6時を過ぎていた。

 会社の敷地内の駐車場は台数が限られているので、社員の何人かと、営業車は、近くの月極駐車場に会社が契約してくれている場所に止めることになっていた。

 和代もその駐車場に車を止めているのは分かっていた。彼女がどんな車に乗っているのかというのも知っていたくらいだ。

 今なら、

「ストーカー」

 と言われるかも知れないが、当時はストーカーなどと言う言葉もなかった。

 もし、当時そんなものがあれば、恋愛はかなり少なかったかも知れない。今でも、もし、ストーカーのようなものがなければ、犯罪は少ないかも知れないが、それ以上に、恋愛に対して積極的になれないだろう。

「あいつは、ストーカーだ」

 などというレッテルを貼られてしまえば、恋愛どころではない。

 犯罪者扱いという目で見られることを思えば、皆が前に進むことができず、恋愛を考えることができないだろう。

 特に、

「草食系男子が多い」

 と言われる世の中、その一番の理由は、ストーカーと恋愛の線引きができもしないのに、ちょっとでも怪しいといえば、ストーカー認識してしまうことからであろう。

 しかも、今の時代は、男女平等という観念が特に強い。この問題は、コンプライアンスの問題と絡んで、男が一歩踏み出せない問題として、

「冤罪」

 という発想が生まれてくるからだ。

「女がいると会議が長い」

 という言葉を言ってしまった、ただそれだけのために、オリンピック委員会の委員長を辞める羽目になってしまった政治家がいたではないか。

 しかも、時代はちょうど、世界的パンデミックの真っただ中。東京で開かれたオリンピックでの問題である。

 本来であれば、金儲けのために、強引に伝染病の流行に目を瞑ってでも、自分たちだけの都合で開催しようとしている世界オリンピック協会の連中に、唯一意見が言えそうな人間を世間は、

「女性蔑視だ」

 というだけの理由でクビに追い込んだのである。

「伝染病のために、オリンピックを開催するべきではない」

 と言っている連中がいる中でも、委員長辞任には賛成だったというのは解せない気がする。

「どうして、こんな矛盾したことができるんだ?」

 と思ったのは、作者だけであろうか?

 要するに、

「いくら、世相がそういう方向に動いているとはいえ、やりすぎてしまうと、他の秩序や方向性を見失ってしまう」

 ということになるというわけである。

 確かに令和の今と、昭和の時代であれば、世の中はまったく変わっているのだが、秩序やモラル、そんなものまで変わってしまえば、世の中はうまくいくはずもなく、

「亡国の一途を辿る」

 と言っていいだろう。

 だが、彼女とその時、出会ったのは、違って言うが、最初から狙っていたわけではない。それよりも、彼女への思いが、

「偶然を演出してくれた」

 と言ってもいいのかも知れない。

 いや、彼女の方も、佐伯のことを気にしていたのだとすれば、偶然も必然に見えて、自然なのかも知れないだろう。

 そう思うと、まわりが薄暗くなっているのも、天が味方をしてくれたのかも知れないと思うのだった。すでに、足元から伸びているであろう影も、街灯の明かりでは、ハッキリしなくなっているくらいだった。

 最初に気づいたのは、和代の方だった。

「あれ? 佐伯さんじゃないですか?」

 と声を掛けられて、少しビックリしたように、

「ああ、高山さん。今お帰りですか?」

 と、当たり障りのない挨拶をしてしまった。

 考えてみれば、声を掛けられたことも、二人きりで話をしたのも初めてだった。

「こうでもしないと、話ができないのか?」

 と思ったほどだったが、これがきっかけになれば、それに越したことはない。そう思うと、大学時代に、

「相談がある」

 と言ってくれた女の子を相手に、何も話をしてあげられなかった自分がシンクロしていたのは間違いないことで、その時の思いがトラウマとなって、自分から人に話しかけることはおろか、話しかけられても、答えられる気がしていなかったことから、その時は、自分から話しかけるよりも、話しかけられることに抵抗があった。

 だから、何とか話しかけられるようにしたいと思っていた矢先だったのだ。

「話しかけられる前に話しかけないと」

 と思っていたはずなのに、意表を突かれたことで、

「どうしよう」

 と思った、

 もし、和代が、

「女の子から話しかけられたのだから、男性は嬉しくないはずはない」

 と思っていたとすれば、それは大きな間違いだと言いたい。

「まあ、ほとんどの女の子はそう思うわな。だから、俺がトラウマになって、さらに、そのトラウマが、PTSDになりかかっていると考えたとしても、無理もないことだ」

 とさえ、大げさであるが思っていたのだ。

 当たり障りのない挨拶をした佐伯を見て、和代は可愛らしい笑顔を見せて、

「ええ、そうですよ」

 と言った。

 彼女の笑顔は、まるで、愛玩犬を見ているような笑顔に見えた。目の前にいる佐伯が、まるで柴犬を見ているような雰囲気に見えた。

 そして、そうやって近づいてくる相手に、怯えを見せて、後ずさりをするのだが、尻尾は激しく揺れている。そんな犬のことをすべて分かっているかのように、遠慮することなく近づいてくる和代に対して、佐伯の怯えは次第に消えていく。

 その時はまだ知らなかったが、さすがに、以前、付き合っていた人がいただけのことはあるというものだった。

「何かね? パートの松本さんがね。佐伯さんが何かお話があるようなことを言っていたので、待っていたのよ」

 というではないか。

 この、

「待っていた」

 というのは、佐伯が声を掛けてくれるのを待っていたということなのか、それとも、松本さんの言葉を信じて、佐伯をこの場所で待っていたというのか、どっちにしても、和代の言葉は、一つの告白に匹敵する。

 それに対して、ハッキリとした返答をしないというのは、これ以上の失礼はないだろう。ちなみに、松本さんというのは、チケットをくれたおばちゃんのことである。

 松本さんも、チケットをあげたはいいが、進展が見られないのを見て、

「どうしたんだい」

 とばかりに、業を煮やしたのかも知れない。

 そういう意味では、まずは、松本さんに対して失礼ではないか。このまま誘わないくらいだったら、あの時、

「いりません」

 と言って答えた方が、よほどいいではないか。

 これ以上の失礼はないという状況よりも、今の方がずっと失礼だといえるのではないだろうか?

 ここでハッキリしなければ、二人ともに失礼にあたり、下手をすると、支店にいられなくなってしまうかも知れない。

「今まで何とかこの会社でうまくやってきた努力が台無しだ」

 と、それが仕事以外のことであることに、ビックリしていた。

 しかし、会社を辞めるきっかけになることというと、案外仕事以外のことが多いというのも事実で、今まで会社を辞めたという人の理由が、意外と仕事以外のことが多かったのが印象的だったのを思い出した。

 社内恋愛というものが、いかに危険であるかということは、今に始まったことではなく、以前から聞いていた話だった。

 そういう意味では、学生時代に彼女を作っておけばよかったのかも知れないが、できなかったのだから仕方がない。

 ただ、学生時代に彼女ができていたとしても、就職してしまうと、疎遠になったり、お互いに仕事が忙しくて、そういうことは言っていられなくなったりするであろう。そう思うと、大学生から付き合っている女の子がいたとしても、それはまるで遠距離恋愛のようで、成就するのは、ほぼ難しいのではないだろうか。下手をすると、遠距離恋愛の方がまだマシかも知れない。それを思うと、学生時代に付き合っていなくてよかったともいえるだろう。

 ただ、学生時代まで、付き合ったことが一度もないわけではなかった。だが、付き合ってみると、あっという間に終わっていた。

「一度デートしただけで、終わってしまった」

 という、まるで、

「成田離婚」

 のようではないか。

 逆にいえば、

「デートまで行ってしまったことが間違いだったともいえる。友達以上恋人未満という言葉があるが、まさにその通りで、恋人になろうとすると、そこで無理が出てくるというのか、それとも、自分には、恋人を作るということ自体、土台無理なことなのか、それを考えてしまう」

 のだった。

 だが、もう一つ考えているのは、前述のように、佐伯には、今まで一目ぼれは一度もなかったということである。

 相手の顔を見て、そこから性格を判断する。人の顔を覚えるのが苦手な佐伯なので、顔から性格を判断するなどというのは、無謀と言ってもいいくらいなのではないか。

 そう思うと、一目ぼれというのが一度もなかったというのも、無理もないことだったのだろう。

 佐伯にとっての初めての一目ぼれの相手が和代だというのは、自分では運命だと思っている。

 どこに運命を感じたのかというのは、もちろん、まだここでは分かっていない。この時には、

「彼女とは、きっと運命的なものがあるはずだ」

 と感じたことくらいだ。

 それだけでも、すごいことだと思うのは、

「彼女は、俺をここで待っていてくれたんだ」

 ということを信じて疑わないことだった。

 なぜなら、彼女の口から、

「松本さんに声を掛けられたから」

 という言葉を聞いたからだ。

 普通だったら、相手をその気にさせるのではないかということで、そういうことはなるべく言わないものだと思ったからだ。

 そもそも、こういう男女の付き合い始める前の会話など考えることなどなかったはずの佐伯が、まるで悟ったように感じたことだった。

 どちらかというと、自分が恋愛に疎いということを隠そうとせずに、虚勢を張ることはしないタイプだった。だから、なるべく、大人の恋愛のようなことは似合わないはずなのだから、考えないようにしていたのだ。

 それが自然と出てきたのだから、相手は大人の女性ということもあって、

「自分は今までと違う」

 と考えていた。

 和代は、その時、必要以上なことは言わなかった。

 それは、大学時代の彼女のように、

「黙っているのは、相手に何かを期待しているからだ」

 と言わんばかりだった、あざといとも思える女の子とは違う、あくまでも、

「大人の女性」

 を醸し出す雰囲気に、完全にやられたといってもいいだろう。

「だから、逆にあの時と違って、今日、主導権を握るのはこの俺なんだ。いや、俺でなければいけないんだ」

 という思いを抱いたのだった。

「実はですね。その松本さんから、博物館のチケットを貰ったんだけど、よかったら、ご一緒しませんか?」

 と切り出した。

「えっ? 私とでいいの?」

 と、あざとさにも見えるその表情を、どう解釈していいのか分からない気持ちになっていたが、

「ええ、高山さんがいいんです」

 と、調子に乗って言ってみた。

 すると、和代は明らかに嬉しそうに微笑んだ。あれは、少なくとも嫌がっているようには見えなかった。

「こんな私で」

 と言われて、二つ返事で、

「もちろんです」

 と言ったが、ゆっくり考えてみると、

「こんな私で?」

 というのは、何か、彼女ではまずいという確固たる理由があっての言葉でもなければ、普通は、あんな言い方はしないだろう。

 そのことに、冷静になってみれば感じたが、かといって、いまさら否定するのもおかしい。

「じゃあ、ご一緒しようかしら?」

 というのを聞いて、完全に有頂天になってしまった。

 自分が一目ぼれした相手を、サポートがあったとはいえ、デートに誘うことができたのだ。

 それは、今までの自分からすれば、それだけでも進歩なのであり、和代という人をさらに惚れるきっかけにさせてくれたのだった。「もちろん、気になることがないわけでもないが、これだけ見れば見るほど魅力にあふれた女性なのだから、何か曰くがあっても、それは当たり前のことだ。逆にそれくらいの人の方が好きになるのに当然だと思える人だということの証明なのだろう。

「ありがとうございます。嬉しいです」

 と、思いっきりの笑顔を見せると、彼女はそれを見て、クスクス笑っているのが分かった。

 その表情は、前から想像していた通りだった。

 和代さんの顔をいつも思い浮かべては、

「彼女だったら、こういう時には、こういう態度を取るんだろうな」

 という発想をいつも抱いていたものだ。

 いろいろなパターンを思い浮かべるので、時間がいくらあっても足りないというものだ。仕事が終わって、することがないので、部屋にいても、ただ退屈なだけだった、研修期間中とはまったく違う毎日がまっていた。

 それだけ、世の中が変わったといってもいいだろう。今まで見ていた人生は、確かにリアルさという意味ではあったかも知れない。だが、それは最初に考えていた、ある意味最悪に近い形での演出で、

「ああ、やっぱりこういう人生を歩んでいくんだな」

 という諦めに近い形を抱いていたのだが、こちらの支店に転勤になってから、徐々に変わりつつあった。

 パートのおばさんたちを始めとして、事務員の女の子も、佐伯に対してかなり興味を持ってくれて話しかけてくれるのが、純粋に嬉しかったのだ。

 あくまでも、

「都会からきた新入社員」

 という意味での、

「田舎者としての興味」

 というだけのものなのかも知れない。

 それならそれでもよかった。中には本当に興味を持ってくれる人も出てくるかも知れない。

 研修の時の支店のように、

「忙しいのに、何新人研修要因なんか入れるんだよ。役に立つわけでもない。本社にあれだけ人の補充を頼んだのに、まったく叶えてくれないじゃないか?」

 という態度が露骨に見えたのに比べればマシな気がした。

 ただ、営業だけは違っているようで、佐伯のことを、完全に、

「お荷物」

 としてしか思っていないのだった。

 だから、今も毎日出社するのが、一番の苦痛だった。

 朝目を覚ますだけでも億劫なのに、会社に行くと、営業社員の顔が明らかに引きつっている。

 それは別に佐伯に対してというだけではなく、要するに、目が血走っている、修羅場のようなところである。

 しかも、それは、

「静かに燃える」

 というような場所で、一生懸命に仕事をしているがゆえのことなのだろうが、まわりを見ていないくせに、実は、バリバリにまわりを意識している。

 競争心が漲っているというわけだ。

「誰かが脱落すれば、その場所に食い込んでみせる」

 とでも言いたげで、その勢いは、誰にも負けないと、自負しているようだ。

 そのくせ、その気持ちを表に出さないつもりでいるのだから、たちが悪い。

 表に出たとしても、今度はそれを使って、今度は上司にでも媚びようというのか、それが作戦であれば、本当はあざといのだろうが、それがあざとくないと思えるほどに、その場の雰囲気は歪んでいるのだ。

 だから、そんな場所にいるだけで息苦しくなっていって。吐き気を催すくらいのはずである。

「朝が一番嫌いだ」

 というのはそういうことだ。

 そういう意味でいけば、帰りも嫌だ。

 当時は今のような、どこかの腑抜けのようなソーリが打ち出した

「働き方改革」

 なのかどうか知らないが、いわゆる、

「サービス残業」

 ということで、上司が帰るまで、帰ることは許されないという、年功序列の縦割りが常識だった時代である。

 今でも縦割りに違いはないが、少なくとも、年功序列という、枷はなくなったといってもいいだろう。

 そういう意味で、帰れないのは苦痛であったが、終わってしまえば自分の世界、腹が減れば、好きなものが食べれるのだ。

 あの日のことが忘れられず、仕事が終わると、例の焼肉食い放題にほぼ毎日通っている。給料のほとんどを焼肉に費やしているといってもいいだろうが。別に他に使うこともない。

 しいていえば、ドライブする時のガソリン代と、音楽を聴くために録音テープを少しでもたくさん作ることだった。

 今のように、カーナビなどがあるわけでもない。下手をすれば、まだ中古車であれば、ドアミラーではなく、フェンダーミラーだった時代だ。自分が買った車はドアミラーだったが、今の人は、車のボンネットの最先端の左右にあったバックミラーを知っている人は少ないのではないか。

 一部のタクシーについているくらいなのが今の時代。今は、キャッシュレスでお金を払えたり、さらには、予約もスマホでできる時代だ。昭和に比べれば、本当に未来の乗り物というべきだろう。

 ただ、車が劇的に変わったというわけではない。車本体はそろそろ時代的に、電気自動車が出てきたくらいだ。昔、未来予想図にあったような、空間に透明な筒のようなところを、タイヤのない車が走っているシーンや、空中を走っている車などは見ることができない。

「同じ未来の、パラレルワールドというところか?」

 と、未来が無限に存在するということを考えさせられそうな感じだった。

 子供の頃に見た未来の想像図には、ロボットやタイムマシンのようなものがあり、地球人は、宇宙旅行が自在にできるものだった。

 まったくそっちの文明は開化していないが、コンピュータ関係においては、劇的な発展をしている。

 むしろ、いろいろパラレルに万遍なく発展しているわけではなく、一つのことに特化したような発展の仕方であった。

 それを思うと、世の中というのがどういうものなのか、考えさせられる。

 政治経済に関しては、まったく進んでいない。むしろ、劣化していっているといってもいいだろう。ひょっとすると、

「ピークを通り越した」

 ということなのかも知れない。

 政治家や専門家は、その意識がないので、まだ理想を追い求めているだけではないかと思うと、納得がいく部分は多いだろう。だから、今の政治家が、本当にポンコツだと言われるのだろう。

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