第2話 令和の世
そんな時代を生きてきての、この令和の時代において、佐伯は、もう、
「アラカン」
と言われる世代に入ってきた。
いわゆる、アラフォー、アラサーなどと同じ使い方で言われているのだが、その意味としては。
「アラウンド還暦」
つまり、四捨五入して還暦になる年齢というわけである。
大学を卒業して入社した会社ではうまく行かず、結局、結婚もうまくいかなかったことで、会社を辞めなければならなくなった。
そこで、かつて大学で研究していた歴史を生かして、考古学の研究として、発掘のアルバイトをしていた時、昔のノウハウが生きたのか、その時の教授に気に入られて、
「どうだい? 私の下で、歴史の研究をやってみないか?」
と言われ、そのまま発掘作業をしながら、歴史の勉強を再度始めたのが、30歳になってからだった。
それから、研究に研究を重ね、論文もいくつか発表し、自他ともに認める。
「歴史研究家」
となったのだった。
本を読むことを絶えず忘れず、論文にもしっかりと向き合った。そのおかげで、学生時代の頃の知識に追いついてくるまでにそんなに時間はかからなかった。
おかげで、40歳過ぎであったが、准教授ということで、大学で部屋ももらえる立場になり、大学での立場もしっかりと確立するようになっていた。
「大学で授業が受け持つことができるなんて、夢のようです」
と、自分を拾ってくれた教授にはいつも感謝をしていた。
ただの発掘のアルバイトから、ここまで来るのに、時間もかかったし、苦労も重ねた。だが、それまでの人生とはまったく違った世界がここには広がっている。ただ、最近思うのは、
「一番人生で大切だった時代を、自分はどういう形で過ごしてきたのだろうか?」
という感情である。
大学を卒業してすぐの22歳から、24歳まで、この間に、一つの大きな山があった。
「人生、最初で最大の山だ」
といってもいいかも知れない。
その山が、悲惨な形で終わりを告げると、放心状態の時期が1年、いや、2年は続いただろうか? 何をするにもまったく行動できない。本当につらい時期だった。
「まさか、俺があんな風になるなんて」
と思うほどの悲惨な毎日だった。
「何を食べてもおいしくない。息をしているのが、辛いくらいだ」
と、そんなことを考えていた。
20代前半というと、食べても食べても、お腹が膨れないといってもいいくらいの年齢だったではないか。
その証拠に、
「お金がもったいない」
と思いながらも、毎日のように、夕食は、
「焼肉食い放題」
だった時期があったではないか。
毎日のように、キチンと元も取っていた。そんな毎日は、お腹も心も充実していたのではなかったが
「いや、充実というには、少し違う気がする。ちょっとしたことでストレスから、荒れ狂う嵐の中にいたような毎日、自分がどこにいて何をしているのか、分からないという状態だったではないか」
と思えた。
しかし、それでも、最期には、元のさやに納まっている。その時、
「やっぱり、俺のやっていることは間違っていないんだ」
と思い知ることになる。
それが、自然に自分の自信に繋がり、毎日が、あっという間に過ぎていった。
「波乱万丈の人生を生きている」
という気持ちは、人生にやる気を与えてくれて、
「年相応の悩みと喜びに人生は満ちている」
とまで感じた。
そう思わなければ、やっていられないというのもあっただろう。
この大学でアルバイトをするようになってから、少なくとも自分は変わったと思っている。やはり好きなことをしている時というのは、嫌なことを忘れさせてくれるというが、確かにそうなのだろう。
だが、それも、自分の精神状態がいい時でしかない。少しでも、精神的に不安定になると、何もできなくなってしまう。できなくなるというか、何もしたくないという感情に陥ると、本当に何もできなくなるのだ。
そもそも、大学時代くらいの頃から、少し情緒不安定の時があった。女の子を好きになっても、なかなか、告白もできない。それは、自分の精神状態が不安定だったからだということも、大学時代には分かっていたのだ。
「プレッシャーに弱い」
というのか、
「いざとなると、何も言えなくなる」
というのは、今に始まったことではない。
大好きになった人もいた。そもそも、佐伯は、一目惚れをするタイプではなかった。
「この子、可愛い」
と思うよりも、
「話をしてみたら、楽しいだろうな?」
という感覚から、相手を好きになるタイプだったのだ。
「楽しいと思うのは、一緒にいるだけで、会話がなくともいいものだ」
という人がいるが、実際にはそうではない。
一緒にいて、会話がないというのは、これほど苦痛なことはない。お互いに相手が話をしてくれるのを待っているというのは、自分がプレッシャーに陥るというよりも、相手に無言のプレッシャーを与えることになるのだ。
お互いが互いに気を遣い合っているというのを分かっているほど、きついものはない。分かっていても何もできないことほど、きついものはない。
一度、気になる女の子がいて、彼女が、
「佐伯君、ちょっと話を聞いてほしいんだけど」
と言ってきた。
それまで、
「自分は、彼女の応援団だ」
という意識を持っていた相手だった。
彼女は、サークルの仲間で、同じサークルの中に付き合っている人がいるという話を聞いたことがあったので、実は諦めていた。
佐伯は誰かを好きになっても、その人に誰か好きな人や、付き合っている人がいれば。すぐに諦めてしまうタイプであった。
「俺なんか、どうせダメなんだ」
と、諦めることが自分にとっての立ち位置だったのだ。
だが、今回は、彼女の方から来てくれた。しかし、彼についての相談かも知れないので、もし、そうだったら、彼女の応援団に徹して、アドバイスをしてあげることができるだろうか?
実際に彼女のは足は彼のことで、
「別れた方がいいと思う?」
という、一番辛い相談だった。
だが、それでも、
「いや、もう少し頑張った方がいいんじゃない? ダメなら俺がいるさ」
と言ってのけた。
相手の背中を押す形にはなったが、最後にチクりと自分の気持ちを皮肉っぽく言えただけでもよかったのかも知れない。
逆に彼女に、これを皮肉だと思ってくれた方がいいだろう。男としての意地が通るからである。
だが、そんな意地を通すための皮肉だとすれば、これは、自分が望むことなのだろうか?
最初から言い訳ありきで言っているように見えて、情けないだけではないか?
そんな風に思うと、
「結局、最期は、俺の落ち着くところに落ち着くしかないんだ」
と思うと、またしても、失恋という堂々巡りの中に入ってしまうのだった。
「一体、俺の落ち着くところって何なんだ?」
と思うと、結局、この堂々巡りしかないと思うほかはなかったのだ。
彼女は、一体、佐伯に何を求めていたのだろう? 本当は喫茶店にでも言って話を聞くべきだったのだろうが、気が付けば、河原に来ていた。しいて言い訳をさせてもらうとすれば、
「人に聞かれたくないような話だったら、喫茶店というのはまずいのではないだろうか?」
と考えたからだった。
実際に、河原に行くまで、彼女は決して、佐伯の横に並ぶことはなかった。そして何も言わずに、佐伯のそばに座ったのだ。
佐伯が先に座ったことで、彼女が座ったというところだけが、
「彼女を誘導した」
ということになるのだろう。
彼女が佐伯の前に出なかったのは、自分の後ろに男を置きたくなかったということだったのだろう。
その時の心境はすべて、後から彼女が手紙を認めてくれたことで分かったのだったが、その時の彼女は何もしゃべらなかった。喋らないのはその人の意思なのでそれは仕方がないのだろうが、彼女は、手紙に、そのことも書いていた。
「あなたが、一言も話してくれなかったのは、私にはショックだった」
と書かれていた。
少しでも、自分に自信がある人間であれば、
「何を上から目線で言ってやがるんだ。俺はお前のために、時間を割いてやったんだぞ。ありがたく思え」
というくらいになって当然のことであろう。
だが、佐伯には、その手紙の内容が分かっていたような気がした。最初からすべてが分かっていたわけではないと思うが、上から目線で言われた内容を見て、
「どうせ、こんなことなんだろうよ」
と感じることだろう。
女というのは、男に何かを求めて、それが思い通りの形で返ってこなかったら、自分勝手な解釈をするものである。
そのことを、初めて、彼女の手紙で知ったのだった。
「俺って、こんなにも情けなかったんだ」
と感じた。
だが、女の子が話を聞いてほしいといって、ノコノコそのわけも考えずに出て行った自分も自分である。彼女の言う通り、もう少し考えがあってもいいのではなかったか?
何しろ、彼女は、
「俺のことを信頼して、勇気を出して、相談してくれようとしたのではないか?」
と感じた。
「彼女に対しては、ちゃんとできなかったけど、他の女の子に対しては、ちゃんと話ができる、相手をがっかりさせないような男にならないといけない」
という意識に目覚めていたのだ。
それまでは、女の子と話をしても、何も言えなかったとすれば、
「それは、自分がまだウブだということで、相手を好きなのかどうか、考える資格もないのかも知れない」
と感じていた。
だから、彼女に対して、
「申し訳ない」
とも思えた。
これは、彼女の上から目線に対しての、佐伯にとっての、せめてもの抵抗のようだと言ってもいいだろう。
彼女の手紙の中には。確かに彼との別れについて書かれていた。
「あなたに背中を押してほしかった」
と書いていることから、確かに、男らしいところを期待してくれたのかも知れない。
その期待に応えられなかったのは、自分が悪いからで、だが、それを認めてしまうと、その先が見えてこない気がしたので、手紙を読んで、一喜一憂しないように心がけたのだった。
彼女は最後に。
「彼がダメなら、あなたでも……」
というようなことを書いていた。
これは完全に、彼女の間違いである。これは上から目線でも何でもなく、男心というものを舐めているといってもいいだろう。
「誰もいいといっているだけにしか聞こえない。こんなことを言って、男が喜ぶとでも思っているのか?」
と、怒りがこみあげてきたのだった。
「彼がダメなら、俺でもいい」
という解釈を相手に与える内容だ。
本人の意識がそこにあったのかどうかは不明だが、これを読んで人間はそう感じるだろう。そう思うと、
「下手に口に出すのも、怖いな」
という発想も生まれてくる。
だが、果たしてそうなのだろうか? 話をしなければいけない時というのは、必ずあるもので、すべてを怖がっていては、何もできないというものである。
「俺は何を怖がっているというのだろうか?」
女の子が、男性に助言を求めている。何についての助言なのか、彼女の方から話をしてくれるわけではない。
「こっちから、話を切り出せるようにするべきなのか? それが男の役目だというのだろうか?」
と、そんなことを考えていると、変な汗が滲み出てくるのを感じた。
それが変なプレッシャーであることは分かっている。相手から聞き出さなければいけないことであれば、相手が言いたくないことも理解しておかなければ、触れられたくないことと、聞いてほしいことが紙一重ではないかと思うからだ。
なぜなら、相手が聞いてほしいことを自分から言えないということは、こちらに対しての警戒からではなく、むしろ自分が変なことを言ってしまって、自分が触れられたくない紙一重のことに触れられるのではないかという危惧があるからではないだろうか?
「きっと、彼女は自分のそういう性格を知ってのことなのだろう」
と考えた。
プレッシャーというものは、相手に簡単に伝わるものだ。だから、彼女にもこちらのプレッシャーが伝わっていることだろう。
だから、何も言えないのだ。
まるで、二匹のサソリがにらみ合っているかのようだ。
「自分は相手を殺すことができるが、逆に相手も自分を殺すことができる。つまり、こちらが動く場合は、相手から殺されるという意識を持っていなければいけないという意味で、もろ刃の剣だ」
といえるだろう。
そうやって、永遠に動けなくなるのは、金縛りとは違うが、
「同じようなものだ」
と考えている人も少なくはないはずだ。
「ただ、話しかけるだけなのに」
と思うと、違う考えが浮かんできた。
「要するに、一歩踏み出すことができれば、二歩目からは、言葉がいくらでも出てくるものではないか?」
と考えるようになった。
ただし、その時、意識として自分が考えてのことなのかどうか、そこまで意識しているかどうかが気になるところだ。
考えながら喋っているということを意識してしまうと、一度言葉に詰まってしまうと、先が続かなくなる。そういう意味で、感情に任せた話ができている方が、言葉はスムーズに出てくる。
「それだと、相手のことを考えていないかのようではないか?」
と言われるかも知れない。
しかし、逆も真なりであり、
「だったら、それが自然とできるように、普段から練習であったり、鍛錬という訓練をすることを心がけていればいいだけではないか?」
といえるのではないか。
確かに言葉でいうのは簡単だ。しかし、問題はできるできないではなく、まずは、そこに行き着くまでの発想が自分にあるかどうかということが大切なのだ。
物事を成就させる時というのは、必ず段階を必要とする。その段階をいかに築けるかということが問題であり、そのために、日ごろから鍛錬をしておく必要がある。
学生時代にする勉強というのは、知識を深めるためだけでなく、いざという時に活用できるよう、鍛錬ができる必要を養うためでもあるだろう。
日ごろの訓練がいかに大切かということを分かりさえすれば、そこから、次第に考えることなく、勝手に自分が動くことができるようになることを、自らが知ることが大切なのである。
そのことをどこまで分かることができるか? 彼女との会話でうまく話すことができなあったということが、その後の自分の人生にいかに影響してくるかということが分かってくるのだった。
相手の女の子の気持ちもどこまで分かっていたのか、自分でもよく分かっていない。
「分かっていると思うのは、自分が傲慢な証拠だ」
という思いが、付きまとってくる。
だから、自分から率先して話ができないのだ。
それは、
「俺が男で、相手が女だからだ」
という理屈ではない。
確かに、性別の違いというのは大きい。ただ、それは、思春期くらいのことであって、青年期に入ってくれば、男子であっても、女子であって、会話にさほど大きな差はないかも知れない。
お互いに思春期というものを味わってきて、男女の違いを身に染みているはずだ。ただ、そんな中ですれ違ってしまった彼との感情なのか、タイミングなのかが、分からなくなっている。普段からプラスアルファの会話ができる相手に、その助言を聞くというのも、無理もないことなのだろう。
彼女の気持ちを分かっているつもりでいたのに、どうしても、言葉が出てこない。
「何を言っても言い訳にしか聞こえない」
という時が、何か自分の中に後ろめたさがある時には絶対に出てくるものだ。
だから、言葉が出てこない。何かをいうたびに、自分の首を絞めているようなものだという考えは、以前、友達に言われた言葉を思い出させた。
「将棋で一番隙のない布陣とは、どういうものなのか分かるかい?」
というものだったが、
「いや、分からないけど」
というと、
「それはね。最初に並べた布陣なんだ。一手打つごとにそこに隙が生まれるというものさ。身動きができないときというのは、その感覚を感じた時か、思い出した時なんじゃないかな?」
と言われた。
確かに、最初の言葉がタイミングよくうまく出てこなければ、時間が経てば経つほど、言葉が出てこなくなる。
「相手は次どこに打つだろう? するとこっちは、あそこに打って、すると相手が今度は……」
などと、袋小路に入り込んでしまう。
最初から次の思想までに、無限の発想が生まれてきた。さたに次の発想は、無限からさらに増えるのだ。
「無限から増える? そんなことがありえるのか?」
と、まるで禅問答のような感覚に陥っていた。
「無限というのは、増えないから無限なんだ」
ということである。
だが、それ以上に、無限の発想をいかに自分で判断するかということが問題になるのだが、そのためには、可能性というものを、自分の今まで生きてきた経験のパターンに当てはめる必要がある。
ただ、無限というもの、
「無限から増えるということが不可能なように、無限というものを分割することも無理である」
という発想だ。
「無限から何を割っても無限にしかならない」
というのが、数学における真理だとすれば、
「無限というものは、四則演算ができるものではないということであり、捉えることのできない抽象的なものなのだ」
ということになるであろう。
そう考えると、将棋の最初の布陣は、
「無限に限りなく近いものだ」
といえるだろう。
それは、
「ここが一番の絶頂であり、それ以上というものは、同等はありえても、上というものは存在しない」
という解釈になるのではないだろうか?
そんなことを考えていると、堂々巡りをまたしても繰り返してしまっているのだった。
結局、彼女にならアドバイスのようなものを送ることのできなかった佐伯は、彼女とはそれ以来、気まずくなってしまい、話ができなくなった。
お互いに連絡を取ることもなく、いわゆる、
「自然消滅してしまった」
というところであろう。
だが、彼女に話をしなくてよかったとも思う。なまじ中途半端なことを言ってしまって、人によっては、その言葉を全面的に信じ、その通りに行動してしまい、取り返しのつかないことになってしまい、立ち直れなくなることもあるだろう。その責任まで負わないといけないのだろうか?
いや、元々は信じる方がおかしいという考えもある。人の言葉を鵜呑みにしたからと言って、その責任を、よかれと思って助言をした相手に負わせてしまうというのは、実に酷なことではないだろうか?
それを思うと、
「最初から助言なんかしない方がいいんだ」
という考え方もある。
助言さえしなければ、後悔は残るかも知れないが、大きな事故をこちらが招くことはない。
進展にはならないが、より深く傷つけることはないだからだ。
それを思うことが、そもそもの自分の性格の原点だと思った。
「傷つかないために、一歩が踏み出せない」
この考えは、たぶん、100人の人がいれば、半数くらいはそう思っているのではないだろうか?
そんな佐伯は、研究室に戻ってくる頃には、女性に対して助言ができるくらいになっているような気がしてきた。
だが、前の会社での出来事を思い出すと、簡単に女性を好きになることはなかった。
「癒しがほしい」
と感じることはあり、癒しを求めて、女性と仲良くなることはあったが、それ以上の進展があるわけでもない。
相手も、佐伯の中に、今までになかったものを感じ、どうやら臆してしまうようだった。
佐伯は、大学に戻ってきた頃には、
「人当たりがいい人」
というイメージだ。
本人は意識していなかったが、まわりから見れば、
「これ以上の人当たりの良さは、感じたことがない」
と思われるほどだったのだが、それは、差しさわりのない関係が築けるという感覚が大きかったのかも知れない。
「深くなりすぎず、それでいて、いつもそばにいてくれるという、絶妙な距離感」
が相手に癒しを与えるのだった。
だから、佐伯の場合、自分が癒しを貰いたいと思っていても、相手から見れば、
「癒しを与えてもらえる相手」
として見てくれていることで、相手に求めるものは同じなのだが、それこそ、
「交わることのないのが平行線」
ということで、まったく同じ方向を見ていても、最初の位置が違っていれば、交わるということはありえないということを示しているといってもいいだろう。
お互いに広がっていく角度を持っていたとしても、下手をすると、
「地球を一周して、戻ってきたところで、交わることだってあるだろう。何しろ地球は丸いのだから」
ということになる。
それがどんなに果てしなく、時間が掛かろうともである。
それを考えると、令和の今になるまで、結婚することもなく、彼女と言える人はそれなりにいたことはあるが、自然消滅してきたのは、
「無理もないことだったんだな」
と、考えるようになった佐伯だった。
だが、最近気になる女の子が現れた。
「どこかで会ったような気がする」
と思うと同時に、
「何だ? この胸の高鳴りは?」
思春期に戻ったかのような感覚は、何十年と考えたことのなかったことであった。
好きな女の子への感情を明らかに超越している。本当に、忘れていた何かを思い出したのだが、その何かというのが曖昧で、ただ、懐かしさの中にあるというのだけは、本当のことのようだった。
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