第30話 交配

 3月上旬、冷蔵庫に保存して置いたバラの実を取り出した。慎重に中から種を取り出す。いよいよ種まきの時期が来た。

 

 父親はスーちゃんのところの「プーさん」だ。

 去年の春、プーさんのほころんだつぼみをスーちゃんに切り取って貰った。このつぼみの中からおしべの先端にある葯を取り出し乾燥させた。そうすると葯の中から花粉が出てくる。

 母親の「きらら」も咲き始める前のつぼみを選んで花びらを取り、中にあるおしべをピンセットで全部抜いてしまう。残っためしべの先端に、プーさんの花粉を筆でそおっと付けていく。受粉だ。

 受粉させたあとは、湿気が中にこもらないよう小さな穴を何個かあけたパラフィン袋を花にかけた。虫たちが入れないよう袋のすそをホッチキスで留める。そのまま一週間。あとは袋をはずし実がついたら熟すのを待ってから、その実を収穫し湿らせたティッシュペーパーと一緒にポリ袋に入れて冷蔵庫に保管していた。


 やっとここまできた。ガーデンパンに黒土と腐葉土を混ぜ種を蒔いていく。間隔は3センチぐらいずつ開けて。

 全部は発芽しないだろうが、もし元気に発芽してくれれば6月には最初の花が咲く。プーさんときららの子供。名前ももう決めてある。 

 1本でも良い、咲いてくれ。このバラが咲いたのを見た、スーちゃんの笑顔を思い浮かべながら真剣に祈った。


 4月からは三年生だ。あっと言う間だった。スーちゃんや秦野、あゆむちゃん、そして園芸部のお陰で毎日が楽しかった。三年生になれば部活も引退しなければならないが、何だかんだとこれまで通り花壇に行ってしまうだろう。あゆむちゃん一人では大変だ。新入部員が入ってくれれば良いんだけど。

 受験勉強も始まるが、学区内の県立高校に進学する予定なのでそうあくせく勉強しなくても大丈夫だと思う。高木も同じ高校を受けると言っていたが、高木は学区外なので結構大変だと思う。まあ頭の良い奴なので心配ないか。また一緒の学校に通えると思うとわくわくする。梅も居たらもっと楽しいのに。スーちゃんと梅はきっと気が合うと思う。スーちゃん、梅、俺と高木。四人で一緒に花を育てられたらきっと最高に楽しいだろう。そうなればいいのに……

 

 秦野は工業高校に行くとずっと言っていたのだが、最近になって高等専門学校(高専)を目指したいと言い出した。偏差値がかなり高いけど大丈夫か?と聞くと、

「やるだけやってみるわ」

と気楽な調子で言っていた。でもかなりがんばって勉強しているようだ。少しずつ将来のことを考えていかなければいけない年齢になってきたのかな、と何となく焦った。進学理由がスーちゃんや高木と同じ高校に行けたら良いな、というだけの自分がもの凄く幼く思えて少し情けなかった。

 

 将来かぁ……何がしたいとはっきりした目標があるわけではない。でも花を育てることを仕事にしてみたいという想いはあった。園芸というのは奥が深い。そして交配させたり新しい品種を作ったりするのは本当に楽しい。もっと知識が欲しい、そう思う。

 自分が園芸を好きになるなんて思ってもみなかった。じいちゃんの畑仕事も小さい頃以外は正直嫌々手伝っていた。面倒臭いし肥料の匂いも嫌いだった。でも今は、新しい芽が出るたびにわくわくしている。不思議だった。きっと花を育てることを通して出会えた、大切な人たちのお陰かも知れない。

 最後の中学の一年間、良い花をたくさん咲かせようと心に誓った。

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