eyes:25 朝比奈 拳武『愛?それは幾らで買える?』

「二人とも、ご苦労」


両脇に跪き頭を垂れる凌牙と流星に向かい、男は立ち止まったまま静かに告げた。

けれど、その静かなただの一言が、凌牙と流星にまるで重力のように重くのしかかる。


男は跪く二人の間をゆっくり通ると、立ち上がった翔の前に近付きジッと瞳を見据えた。

底がまるで見えない、漆黒の闇に彩られた瞳で。


「空見、翔くんだね」

「あぁ、そうだ」


翔は全神経を集中させ、目の前の男に向き合った。

その男の全てを闇で覆い尽くすような瞳と、全身から放たれる圧倒的オーラに屈しないように。

翔の全身に力が漲り熱くなる。


「爺さん、ハッキリ言っておく。ルミは渡さない。絶対にだ!」


翔は迫り来る圧倒的オーラをはねのけ強く言い放ち、目の前の男を睨み付ける。

けれど男は、その瞳に漆黒の闇を宿したまま微動だにしない。


「ほう?このワシに真正面から睨み付ける事が出来るとはな……思ったよりも、骨はあるらしい」


男は微かに驚きはしたもののニヤリと余裕の笑みを浮かべているが、その男の側にいる凌牙と流星は我が目を疑った。

あの瞳とオーラに当てられた者は誰であろうと今まで全て、その魔力とも言える力の前に自ら屈してきたからだ。


バ、バカな!

信じられん……!


途轍もない光景を目の当たりにし、額に冷や汗を伝わす事を禁じえない凌牙と流星。

その二人を脇に、男は翔の瞳を堂々と見据えた。


「翔くん。もう分かっていると思うが、私はルミの父親であり朝比奈財閥の会長、『朝比奈あさひな 拳武けんむ』だ」


拳武は翔に自らの名を告げると、唐突に問いかける。

まるで、サッサと商談をまとめに行くような物腰で。


「単刀直入に言おう。翔くん、幾ら欲しい?」

「幾ら?」

「ハハッ、とぼけなくていい。翔くん、キミが目的としてる金額だよ」

「なんだと?!」

「私の耳が確かであれば、この子はキミに惚れているようだが、正直な所、キミと娘ではまるでつり合いが取れん。それは翔くん、キミも分かっているだろう?」


無言のまま自分を睨みつけている翔に、拳武は話を続ける。


「だから手切れ金と、この件を口外しない為の金額は、幾ら必要かと聞いているのだ」


翔は、心の底から湧き上がってくる怒りに震えた。

人を金で何でも動かせるという、思い上がった態度。

何より、ルミの気持を全く理解しようとしない、いや、尋こうともしない拳武に。


「……らない」

「ん~~?よく聞こえんかった。いくらだ?」


翔は拳をギュッと握りしめたままグイッと身を乗り出し、拳武に怒鳴りつける。


「いらねぇ!そんなもん、1円たりとも受け取る気はねぇっ!」

「翔……!」


その言葉を聞いて涙を浮かべながら翔を見つめるルミをよそに、拳武は乾いた笑い声を上げる。

翔の言葉を、完全に嘲笑う笑みを浮かべながら。


「カカカッ……これはまた奇怪な事を。翔くん。キミは見た所、お世辞にも金があるとは思えん。我が娘を誑(たぶら)かしたのも、金の為だろう?」


拳武のあまりにも下卑た決めつけに、翔は激怒した。


「ふざけんなよ爺さん!俺はルミを愛してる!金なんかの問題じゃねぇんだ!」


けれど、拳武には翔のその想いは全く伝わらない。

むしろ呆れた雰囲気で翔に言う。


「いやいや……妙な意地を張るな。翔くん。これは私からの誠意でもあり、慈悲でもあるのだ」

「誠意…?慈悲……?」


翔は拳武を、心から哀れんだ目で睨みつける。

自らの瞳を闇に染め、下卑た考えでしか人を見る事が出来ないこの男に、誠意や慈悲など欠片すら無いと思っているからだ。


「……拳武さん。俺はな、ルミとつり合いが取れない事ぐらい、とっくに承知なんだよ。ルミの正体を知る前からな……だから、ルミが朝比奈財閥の娘だと知った時、より俺なんかといちゃダメだと思って突き放したさ」

「ほぅ……」

「でも、今は後悔してるよ」

「後悔?何に対してだ?」


翔は凛とした瞳を拳武に向けた。


「決まってるだろ。俺がルミを突き放した事さ」

「はぁ……何を言うかと思えば。それはむしろ正しい。まあ、キミが娘を突き放すという表現は、いささか不愉快ではあるが」


翔は拳にグッと力を込めたまま、目を伏せた。

ルミとの日々が蘇ってきたから。

そして思った。

今思い返してみれば、ルミはずっと翔に助けを求めていたのだと。

ここから救い出してほしくて。


それを分からなかった俺は、本当にバカ野郎だ……ごめんな、ルミ。


翔は心でルミに懺悔すると、拳武の瞳を再び真正面から強く見つめる。

翔自身の瞳に、揺るがない決意を宿したまま。


「爺さん。俺、ルミはアンタの所にいた方が、幸せだと思って突き放した。でも今ハッキリ分かった。俺は確かに売れない貧乏作家だ。けどな……、アンタのとこにいるよりは、ルミを幸せに出来る自信がある!」

「ほう?翔くん、キミがか?」

「ああ!アンタより遥かにマシさ。だからさっさと立ち去れ!そして二度とルミの前に現れんじゃねぇ!アンタはどうせ、ルミの気持ちなんて見えねぇ……いや、見ようともしないんだからよ!!」


翔が拳武にありったけの想いをぶつけた瞬間、ルミは瞳に浮かべた涙をボロボロ溢しながら翔を見つめた。

ルミの心に翔の叫びが矢のように突き刺さり、ルミを苦しめていた哀しみを砕いてくれたから。


「か……翔……ありがとう……!」


涙に声を震わせながら翔を見つめているルミだが、凌牙と流星は違う。

激しい怒りを瞳に宿し、怒声と共に翔を睨みつける。


「キサマっ!拳武様に対して、なんだその態度は!無礼にも程があるぞ!」

「凌牙の言う通りだ。下賤の者よ、わきまえろ!」


翔に激しく怒りをぶつける二人だが、拳武はそんな二人をそっと手で制した。


「凌牙、流星。二人とも構わん……」

「ですが……!」


納得のいかない流星は、興奮して拳武に訴えるような顔を向けた。

けれど、拳武は一睨みで流星を黙らせると、再び翔に振り返る。


「しかし翔くん、それは無理というモノだ。キミが夢を追いながらアルバイトをして暮らす、貧乏作家なのは調べが付いている」

「それがどうした?」

「もしキミがお金も受け取らない。娘も返さないとなると……キミの将来を潰すしかなくなるのだ。ありとあらゆる手を使って。ヒーッヒッヒッヒッ」


拳武の悪魔じみた笑い声を聞いたルミはゾッとして、大きな声で叫ぶ。


「ひどいよパパ!そんなのあんまりだよ!」


その瞬間、拳武は表情を一変させ、ルミの事をギロッと睨みつけた。

自分の娘に向けるとは思えない、冷酷な怒りに満ちた眼差しを向けながら。


「お前は黙っていなさい。ルミ、お前はこの朝比奈財閥の跡取りとなる娘だ。そしてこの朝比奈財閥を、より発展させる事の出来る男と結婚する定め」

「パパ……私の話しも聞いてよ!」

「ならん。お前の事は全て私が決める。これまでも……そして、これからもだ」


自分の娘であるルミの言葉を一切聞かず、それどころか、ルミをまるで見えない牢獄の中へ閉じ込めるような仕打ちをする拳武。

その姿は最早人ではなく、本物の悪魔にすら思える。


「ううっ……パパ、なんで、なんで私の話を聞いてくれないの……」


全てを拒絶され、涙を溢しながらうつむくルミ。

けれど拳武はそんなルミにまるで興味が無いかのように一瞥すると、翔に再び向かい合い問いかける。


「そういう事だ翔くん。幾ら欲しいか決まったかな?」

「……円」

「ん?いくらだ?」

「ゼロ円だよ!これで聞こえたか?自分の娘の泣き声も聞こえない、お耳の遠い拳武さんよ!」


拳武は自分を怒鳴り付けた翔を、深い哀れみの目で見つめた。


「度(ど)し難(がた)い。あまりにも理解に苦しむ存在だ。娘から手を引けば、キミはこれから何不自由の無い金が手に入る。しかし、娘を手放さなければ、娘と共に最底辺の生活が待っておるのだぞ」

「それが……どうしたってんだ。例え俺が泥水をすすっても、ルミだけは絶対守ってみせる。ルミの気持ちを聞こうともしないアンタなんかに、絶対ルミは渡さない!」


翔の決意を聞いた拳武は小さくため息を溢すと、脇に控える凌牙と流星に目配せで指示を出した。

その直後、翔は二人に取り押さえられ、床にドンッと強く叩きつけられた。


「っ……!なにすんだよ?!」


倒されたまま訴える翔に、拳武はニタァっと悪魔的な笑みを向ける。

怒るのではなく、まるで、こうなった事を楽しんでいるかのように。

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