第20話 紙片の下には学者が眠っている

「フェーニャンフェーニャン、イイ感じのお仕事ないかしら?」

「にゃんとも曖昧だにゃ。もう少し具体的に」

「短期、金は問わない、単独で出来る、暇つぶし」

「竜獄調査はどうかにゃ? 近場で1日潰せるはずだよ」

「ん~?」


 書かれているのは『定期依頼』の紙。

 『竜獄』というのはその名の通り竜の牢獄。

 かつて竜が蔓延っていた時代、龍が掘った穴から通ってきた竜の群れを封じ、そして新人狩竜人の命を懸けた訓練場として利用していた場。

 今では竜も龍もおらず、そしてモンスターすらいない地点。

 ただその理由すら不明ゆえ、モンスターの有無など定期的に確認しているのだ。


「これ、前提として『最低3回の調査依頼達成』があるじゃねーか」

「やったことにゃいのか?」

「ねーよ」

「そっか……じゃあこれだにゃ」

「今度は――経験不問。……家の清掃依頼?」

「そうだにゃ。あの人また掃除サボって研究してるにゃ……」

「研究者の癖に学習能力皆無かよ……」

「研究好きでお金がにゃくにゃると成果を売ってお金にする。その繰り返しにゃんだよね。それ以外に興味がにゃいからこうして依頼で尻拭いさせるって感じ。簡単だけど報酬は良いねよ、最低限の条件として散乱してる資料を読んでも口外しにゃいのが求められるけど」

「ま、久々に掃除でもしますか。……マユゲアイツ意外とキッチリしてて掃除する機会がほぼねーし」

「にゃら受注したことにして――これが住所ね、適当な人だから勝手に入って掃除して勝手に帰って、って」

「……」

「一応言っておくけど物とか盗んじゃダメだからね?」

「しねーよ、どんだけ信頼ないんだ……仮にも面談突破した一般開拓兵だぞ……」

「にゃら良いけど」




「お邪魔しまっせい~……埃クセェ……」


 入ってすぐ、感じたのは埃の渇きと黴の湿り。

 相反する二つが両立したその空間は一瞬で全身に不快感を与え、散らかして片づけるという行為が好きな俺に少し期待を抱かせた。


「どこだ?」


 玄関直ぐはまだ綺麗だった。

 綺麗というには汚いが、汚いというにはモノがない。

 その光景を端的に表すなら、最低限通路としてのみ活用された生活感のない廊下。

 だから隅には埃が大量に積もっていた。

 玄関の隅には明らかに古いが履き古されてはいないことが見て取れる外履き。

 一応買ったはいいが迎えることなく使用感のない古びた来客用内履き。


「……最低限社会性はあるけど社会と交流する気のない系統か?」


 内履きはない前提で――というか今あると知っても流石にこの汚いのを履く気はないから――持ち込んだ内履きに履き替えて中に進む。


「チラッ。っとな……」


 居間か。

 奥には扉……――扉? 距離的におかしくね?

 間取りと外観……ズレてる?

 空間干渉は一般的じゃない……どころか一般認知すらされてないハズ。

 マユゲ曰く一部の研究者が魔術種エルフから伝え聞いた程度。

 容易に利用できる術じゃない、と。


「にしても汚いな。これ最低限水回りはちゃんとしてんのが救いか?」


 魔道具に魔力を流す。

 流石に他人の家で備え付けの魔石を勝手に使うワケにもいかないからマユゲ直伝の魔力操作術で魔石に合わせて、魔力を変化させる。


「うん、この辺は生きてる。よしよし」


 最低限の確認。

 生活感がないのを見ると問題は上、か。

 捨てれない散らかった荷物を一度下に避難できるのはデカいな。


「……さて、どんなもんか――」


 二階に上がる。その半ばで脚が止まる。

 直線状の紙の散乱。

 内容はほとんど分からないが辛うじて理解できる範囲では魔道具の研究、もしくは魔道具関連の研究というのはわかる。


「この辺からもう床部分見えねーじゃんよぉ……」


 階段を上がりきる。

 そこは大量の紙が積まれて、倒れた場所。

 しかも紙は全てが纏められておらず、本のようになっていたなら多少の隙間があったであろうにバラだから隙間がほとんどない。

 倒れた時の衝撃と自重で押し潰れたその一面は量と最低限通路を確保することを考えると左右に高く積まれていたこともわかる。


「……踏みたくねぇ」


 色々自主的に勉強して、この紙の山が研鑽の過程なのはわかっている。

 見れば雑多な内容。

 複雑怪奇で専門的。

 並大抵の努力では辿り着けない、俺では一パーセントも理解できない知の結晶。


「こっちは植物の解析系統、こっちは鉱物の解析、モンスター素材の解析、これは魔道具の負荷実験、これは……リビュアの落角の解析? リビュアってなんだ?」


 紙多い……これ整理にかなり時間が掛かるな……わかってたことだけど。


「……にしてもホント生活感ねーな」


 というか人の気配ない?

 臭い……ダメだ、風呂に入ってない人間の臭いが充満してっからどこかわかんね。

 多少不躾だけど魔力で――いなくね?

 現状そこまで精度出せないとはいえこの距離だぞ、普通の相手なら流石に――やっぱ下で見た通りこの家って空間捻じれたりしてる?


「お、あの辺は踏み場が――」


 少し離れた位置に床が見えた。


「……」


 ついでに服も。


「洗濯後? こんな状況作り出す人間がマトモに風呂はいるワケもなし……ずっと同じ服だよな? 流石に全裸とかじゃねーよな!? 見るからに女物、てか依頼書の名前的に女。知らない女に興味ないとはいえ流石に全裸の女と遭遇ってのは動揺するんだが?」


 散らかった家。

 というよりもそもそも直接的に風呂に入っていない人間の臭いがする家。

 となると洗濯物は皆無のはずで。

 あるとするなら脱いだモノ。

 漂う臭いもアノ服から――濃くね?

 何日モンだよ、もしくは最近脱いだ?


「あ~、ダメダメ、感覚強化解除デース……」


 一時的に嗅覚強化したら嗅覚麻痺が早くなんないかって思ったけど流石にツレーわ。


「よっ――と」


 紙山を跨いでその先を爪先で確認してから軽く飛び越える。

 ちょうど服が脱ぎ捨てられている辺り。


「服、てか白衣を紙の上に脱ぎ散らかしてんのか――ぁっ!?」


 何かの上に乗って裾が少し垂れた白衣。

 一〇センチから二〇センチ。

 それくらいの高さで、そこから挟み込むように紙の山が積もっている。

 と思えばその山がほんの少し、動いた。


「ひ……と……? マジかマジかマジか?! 一応生きてはいるんだよな! 動いたし!?」


 反射的に魔力探知をしてしまい、それが人であると理解する。

 浅い呼吸、薄い気配。

 咄嗟に乗っていた紙束を収納して白衣の上の空間を空ける。


「おいっ!? 大丈夫か!!」

「ぅぅ……五月蠅い……」

「…………え?」


 突っ伏した状態のその人物を仰向けに反転させ、状態を確認しながら状態を起こして背中から腕を回す。

 けれど返ってきたのは五月蠅いという言葉。

 思わず固まり、腕からその上体が滑り落ちた。


「ぁだッ!?」

「……」

「何、この状況……。てかお腹空いた……」

「……は?」


 全身から悪臭を漂わせ、白いはずの白衣は主に襟が黄ばみ、裾は黒ずみ、髪は脂ぎって寝癖のように固まって、顔は不健康そうな色に染まりつつ皮脂でイヤに光沢を帯び、単にそうなのかそれとも食事を摂っていないからか口臭も酷い。

 そんな女は呆気にとられた俺に復唱するかの如く――腹の音を轟かせた。


「な、ん日……食事をしてない?」

「……わかんない」

「体感は?」

「二日? 三日?」

「はぁ~……。飯作っから風呂入って着替えてこい……」

「ん。……ところでキミ、誰?」

「掃除の依頼で来た開拓兵。ヒイラギだ」

「エリナ」


 絶食後の人間に食べさせる飯とか作った事ねー。




「具がない……」

「我慢しろ」

「うぃ」


 ヒイラギが出したのは具のない味噌汁と適当に味付けしたおかゆ。

 本来は豆腐を入れるつもりだったのだが、豆腐がなかったのだ。

 一応ルートヴィヒ国内に豆腐はあるが流通量が少ないということとヒイラギが見つけていないことから買うことができなかった。

 ちなみにスープにしなかった理由としては絶食後の胃に優しい程度に野菜を柔らかくするほどの料理時間がないと考えたからだ。


「味薄い……」

「あれま。……そうか? こんなモンだと思うけど」


 味見はしたはずなのだがとおかわり分から軽く飲むヒイラギだが、ヒイラギの味覚では適正。

 単に味の好みの問題だろうと片づける。


「クセーしでとりあえず風呂に入らせたけどよ、大丈夫なのか? 長時間上に紙が乗ってたんだろ?」

「ヘーキ。……おいしい、ありがと」

「――おかわりあるから無理ない程度に食っとけ。俺は片づけ……紙ってどーゆー分類した方が良い?」

「?」

「多分普通に内容ごと――研究内容とそれに使った計算用紙を纏めるってので良いんだろうけどさ。もしかしたら研究と計算は別で分けるのが好みなのか、とか。……まあ、研究内容で纏めるにしても類似のヤツだと流石に知識不足で仕分け間違いやりかねないけど」

「別に……適当で良い。捨てても」

「――流石にイカンでしょ。とりあえずこっちで内容別に分けっから後で適当に見てくれ。ちなみに上から持ってきて欲しいモノとかあるか?」

「筆記具」

「……好きねぇ」


 一度上に向かい、扉が開いていたことからそこを出入りしているのだろうと判断した部屋に入り、エリナの望む筆と紙束を持ち出す。

 黴臭く、また不潔な人間の臭いの立ち込める空間に顔を顰めながら鍛えた身体能力と機動力で跳躍ののち壁面や縁に手や指を引っ掛けて脚の届かない空白地帯に着地。


「……流石に食い終わってからにしろよ?」

「…………仕方ない」

「ったく……」


 釘を刺さなければ実行していたのだろうと呆れながら上に戻る。

 散らばる紙は実に雑多。

 恐らくある程度の統一はされているのだろうが、ちゃんと積み上がった場所ですら軽く見ただけで内容が入り乱れている。

 それが単にエリナのいい加減さが理由なのか、はたまた彼女が思いついたら研究が途中でも別の研究を始めてしまう性格だからなのか。

 実際のところ、その両方がそれぞれ積み上がっている。


「魔道具研究してんのかと思ったら実際のところ錬金術が主体っぽいな……。錬金用中和剤の性能と量、混合する素材の量やら産地やら加える時機、加える時の素材の状態……大まかに実験で情報出してから結果から逆算、状態を考えて結果を予測、違ったら仮説の修正、合ってたらそれが本当に仮説通りの理由なのかを確かめるために仮説から外れた実験をして確かめる……ふ~ん、まだ理解できんね。意外と俺って賢――あ゙ぁ……ダメだ、何書いてんのかわっかんねー」


 内容を軽く見る。

 そしてその下の紙を捲り、一気に理解できない内容になる。

 例えるなら中学程度の内容から一気に研究者の次元まで跳ね上がったような。


「えっと? 上のが金毛狼の爪牙、下が低級竜の鱗……違うね、うん。てかスゲーな、低級とはいえ竜の素材入手できたんだ、今もういないから新規入手できなくて貴重って話なのに」


 内容を全て理解するのは不可能。

 そもそもそんなことをしていれば時間が足りない。

 そのためヒイラギは内容を見て、その中の鍵になる共通項から資料を纏めることにした。

 まずは用いている素材。次にどのような内容を研究しているのか。

 様々な要素で考える。


「これはさっき……ああ、これだ。……って、ところどころに普通にゴミ交ざってんなぁオイ」


 壊れ再利用できない魔道具。

 劣化して粉末利用すらできない端材。

 様々なゴミがあり、本当に雑過ぎると肩を落とす。


「どう?」

「……見てのトーリ」

「何日くらい掛かりそう?」

「昼からだしなぁ、明日にも突入すっかなぁ……スマン」

「ヘーキ。数日前提だからいい」

「ま、さっさと片づけてやんよやんよ」

「どーもどーも」




――――後書き――――

ヒイラギ エリナ

ヒ:これは?

エ:いる

ヒ:これ

エ:いる

ヒ:これ

エ:いる

ヒ:……これ

エ:いる

ヒ:これは流石に捨てろ!? ボロボロで汚い白衣は流石に捨てろ!!

エ:でも……愛着のある37代目……

ヒ:愛着あるならこんなところでゴミにまみれて――待て。その言い方だとあと36……

エ:見る?

ヒ:捨てろこのゴミ女ぁッ!

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