第2話 怪異
うちの書店は、勤務先としては比較的ゆるい方だと思う。髪型自由。服装自由。ただ、最近になって、ある一つの厳守しなくてはいけないルールが追加された。
それは「午後十時以降は、絶対に店内に入らないこと」。
うちの書店は、午後八時には閉店になる。書店は、閉店してからもこまごまと忙しい。でも、九時半を過ぎると、店長が追い散らすように私たちを帰してしまう。もちろん店長自身も、十時までには帰っているらしい。特に逆らう理由もないので、私もそのルールをちゃんと守っていたし、破ろうとも思っていなかった。
そう。今日までは。
なんてついてない日なんだ、と、私は天を呪う。スマホが鞄にない。もうほとんど家に帰りつこうとしていたのに。おそらく、職場の休憩室に忘れてきてしまったんだろう。スマホがないから今の時間がわからないけれど、確か九時半にはお店を出ていたはず。今からお店に帰ってスマホを取ってくるならば、十時になんとか間に合うかもしれない。よし、行こう。
十時は、ショッピングモール内のレストラン街が閉まる、ぎりぎりの時間でもある。普通にモールの中を歩いて、書店にたどり着く。シャッターが閉まっているので、従業員用の戸口から鍵を開けて中に入った。
「……?」
最初に違和感を覚えたのは、電気がつかないことだった。入り口のすぐ側にあるスイッチを、パチ、パチ、と何度も押すのだけれど、全然明るくならない。
仕方がないので、闇の中を手探りで進む。いくら勤め先とはいえ、暗闇の中で歩けるほど慣れているわけじゃない。何度も本棚にぶつかったりしながら、ゆっくりと歩く。
遠くから、蛍の光が聞こえてきた。しまった。そろそろモール自体が閉まってしまう。警備員さんに「忘れ物を取りにきました」と言えばいいんだろうか、そんな事を考えていた。
蛍の光が止まった。アナウンスらしき声が遠くからかすかに聞こえてきて、やがて完全に静かになった。
無音。
じっとりと、闇が重く、濃くなったような気さえしてくる。暗闇を掻きわけるようにして進み、やっと休憩室の扉に手が触った。
扉を開け、テーブルらしきものの上を探る。あった。固い長方形のものに手が触れた。スイッチにも触ってしまったらしい。スマホは「10:02」を表示する。
その瞬間。
ひゅっ、と空気を裂く音がした。次の瞬間、私の喉に何かが絡みつく。それは、私の首をぎりぎりと締め上げる。そして私を吊り下げ―――
何、一体、なにが。
苦しい。くるしい。息が。無理。
ヤバい。死―――
「
大きな声がした。突然、また息ができるようになった。私は声のした方を向いた。
まぶしい。逆光の中に人影が見える。
すると、光めがけて、蔦のような、蔓のようなものが凄まじいスピードで伸びていく。人影から、再び声がした。
「鎌鼬!」
すぱり、すぱりと、蔦のようなものが鮮やかに切り落とされる。まるで、目に見えない刃がふるわれたようだった。次から次へと起こる非現実に、私の頭がついていっていない。
人影が私に駆け寄る。「よかった。御無事で」
さすがにこの距離ならわかる。
間違いなく、藤倉さんだ。足元にもなにかいる。フェレット?
藤倉さんは、さっき自分がいた位置、業務用のような大きなライトの側に、私を連れていってくれた。そして光源のひとつを持ち上げ、闇を照らす。
そこにいたのは、大きな樹のようなものだった。ひとかかえもありそうな太い幹に、赤黒い葉が生い茂っている。ぐねぐねと先ほどの蔓をしならせながら、こちらの出方をうかがっているようだった。なんでこんなところに。何か吊り下がっている。あれは―――人?
「切り裂け! 鎌鼬!」
樹が、見えない刃でめったやたらに切り刻まれていく。枝が落ちる。葉が舞う。鞭のようにしなり、こちらをめがけてつき延ばされた蔓も、見事にすぱりと切り落とされる。樹は苦悶の唸り声をあげる。やがて、完全に動かなくなっていた。
私の混乱した頭では、助かったのだ、ということが分からず、ましてや今起きた一連の事象なんてまるで夢の中の事のようで、現実味がなかった。ただただ、藤倉さんの精悍な横顔を眺めながら、この人、こんな表情もするんだなあ、とぼんやり考えていた。
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