第20話 俯瞰する目

「一度冷房の利いた建物に入ると、もう出たくなくなるね」


 そう言って、風花の表情はアイスのようにとろけていた。

 一通りテナントのアパレルや雑貨屋で買い物を済ませると、私と風花はミラージュの四階にある休憩スペースのベンチで休憩していた。


 眼下には窓越しの大通りの景色が広がっているけど、流石に四階から見下ろすと髪色や服の色以外で個人を識別するのは難しい。十人十色はこの場合は比喩ではなく、個人を識別する記号としての意味を持っているように感じられた。大袈裟かもしれないけど、同じ高さからだと個体に見えていた人通りが、俯瞰するとまるで一つの群体のようだ。今の気分はニュース番組の高い位置から街並みを映し出す情報カメラといったところだろうか。


 こうして高い位置から俯瞰すると、地上とはまた違うものが見えてくる。


 風花が勤めるファミレスもよく見えるけど、普段はあまり目にする機会のない緑色の屋根を上から見るのは何だか新鮮だ。ファミレスの右隣にはクリニックの入ったビルが建っていて、左隣は駐車場を挟んで学習塾が居を構える。人通りと同様に、ファミレスも一つの建物ではなく、周囲の建物と合わせて一つの区画のように見えてくるから不思議だ。


「そういえばこの辺りって」


 冷房の利いた屋内で少し頭が冷えたのか、何だか思考が捗る。

 ミラージュに多くの外食チェーン店が入っている影響か、大通り沿いには意外と飲食店が少ない。ファミレス以外だと、全国チェーンのピザ屋と、ローカルチェーンの焼肉屋、個人経営のイタリアンや割烹があるぐらいかな。アパレルや携帯ショップ、各種クリニックに学習塾等々、飲食店以外の店舗や施設が多数派だ。


 ――あれ? もしかしてファミレスって。


 風花の勤めるファミレスは、午前六時から午前零時までの十八時間営業している。眼鏡さんは窓際の席をキープするために、あまり混雑していない時間帯に訪れる。だとすれば、タイミングはおおよそ、朝食時が終わり、お昼時が始まるまでの午前、お昼時が終了し、夕食時が始まるまでの午後。夜から深夜にかけての時間帯は分からないけど、基本的に風花が勤める日中に目撃されているのだから、夜は利用していない可能性が高そうだ。


 眼鏡さんが訪れる時間帯を想像した時、一つの気づきがあった。この時間帯に、大通り沿いでゆっくりと窓の外を眺めるのに最適な場所はファミレスなのである。


 アパレルや携帯ショップなど、飲食店以外の場所でゆっくりと腰を据えて窓の外を眺めることは難しい。


 だけど、多数の飲食店が入るこのミラージュは、飲食店が上の階に集中しているし、窓に面していない店舗が多い。大通り沿いも、ピザ屋はテイクアウトとデリバリーがメイン。焼き肉屋やイタリアン、割烹などの飲食店は、うちの比古さん食堂のように、ランチとディナーの営業で合間の時間は準備中。お店が空いている時間帯にノートを取りながらゆっくりと過ごす環境として、ファミレスは最も快適だ。


 だけど同時に一つの疑問が生まれる。ファミレスが眼鏡さんにとって快適だと仮定すると、それは裏を返せば立地ではなく、長時間の滞在にも適した環境面で場所を選択したこと。即ち、ファミレスの窓から見える景色に大きな意味があるわけではないということになってしまう。実際、カフェでも風花と論議したように、向いのミラージュや隣の携帯ショップを監視していたとは思えない。


 だけどだったらどうして、眼鏡さんは態々窓を見ながらノートを取るのだろう? 一度や二度なら気分ということもあり得るけど、頻繁にファミレスを利用し、習慣のようになっているのなら、絶対に何か意味があるはずだ。


「ねえ胡桃ってば」


 風花に肩を触られて、ふと我に返った。自分は探偵じゃないなんて言っておきながら、いざ謎と向き合うと推理に思考が支配されている。きっかけは黎人だけど、私自身もミステリーの沼にはまりつつあることを、いよいよ自覚しなければいけないかもしれない。


「ごめん。眼鏡さんのこと考えてた。何かあった?」

「あの二人。さっきのペアルックのカップルじゃない? 何かあったのかな」


 風花と同じ方向を見下ろすと、用事を済ませて駅の方へと帰っていくのだろうか? 雑踏の中に、見覚えのある赤いペアルックを見つけた。高い位置からでも直ぐに見つけられるあたりは、派手な色とはいえペアルックの破壊力恐るべしだ。


 ただし、地上で見た時とは何やら様子が変わっていて、あんなにラブラブだったのに、今は逸れない程度ながらも、何だかお互いの距離が離れている。私達が買い物をしている数十分の間に、一体何が起きたのだろうか? もちろん蓋を開けてみれば、恋の熱さも猛暑には勝てず、物理的にくっつきたくなくなった。みたいな単純な理由なのかもしれない。だけど、俯瞰して表情が見えないからこそ、勝手な想像が働いてしまう。この短時間にちょっとした人間ドラマを想像してしまうあたり、人通りというのはそれ自体が一つの絵本なのかもしれない。


「もしかしたらファミレスからなら」


 見知らぬ相手に下世話かもしれないけど、表情が分かればもっと詳しい状況や感情が読み取れたかもしれない。大通り沿いのファミレス、眼鏡さんがいつも座るという窓際の席からなら、通行人の表情もよく見えそうだ。もしかしてこれは、監視ではなく観察? だとすれば一つの推論を導き出せるかもしれない。


 そうか、答えは思った以上にシンプルなんだ。

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