第21話 人生蜃気楼

「風花。もしかしたら眼鏡さんの目的が分かったも」


 風花は呆気に取られた様子で目をパチクリさせていた。私の頭の片隅にはずっと謎のことかがあったけど、ミラージュに来てからは風化は完全に買い物モードだった。今の話も直前に目撃したカップルのあれやこれだし、風花からしたら唐突な流れだったかもしれない。


「真相は本人のみぞ知るところだから、あくまでも推測だけど」

「聞かせて聞かせて! めっちゃ気になるから」


 途端に風花が目を輝かせた。流石に自分が持ってきた謎のことは忘れていなかったようだ。これだけ期待を持たれると、緊張する一方で遣り甲斐も感じる。もしもこれで風花がすっかりこの事を忘れていたら、流石に虚しくなって一人でいじけていたかもしれない。


「結論から言うと眼鏡さんはたぶん、特定の人物や建物を監視していたんじゃなくて、もっとざっくばらんに、窓から見える光景を観察していたんじゃないかな」

「うーん。目的もなく窓の外を眺めていたってこと?」

「眼鏡さんは窓の外、より正確には大通りを行き交う人の流れや表情、そこから見える人間関係なんかを観察してたんだと思う。いわゆるってやつ」


 風花は小首をかしげている。まだいまいちピンときていない様子だ。確かにいきなり人間観察などと言われても反応に困ってしまうだろう。ある意味この答えには、何にでも当てはまる禁じ手のような部分がある。風花にも理解してもらうために、ここからは順を追って私の推理を伝えることにしよう。


「眼鏡さんの目的が人間観察だとすれば、全ての行動に説明がつく。眼鏡さんがファミレスの常連となったのは夏休みに入った頃から。この時期は駅に近い大通りも活気が溢れて人出が増えるから、眼鏡さんは人間観察を開始した。ノートを取っていたのも、その記録のようなものなのかも」


「確かに、夏休み期間に入ってから大通りの人出は、目に見えて増えてるね」


「たぶん、眼鏡さん的にはゆっくり大通りの人間観察が出来れば、場所はどこでも良かったんだと思う。だけど、ミラージュ内の飲食店は窓に面していない店舗も多いし、窓際の店舗からだと高さがあって、大通りを行き交う人々を同じ目線では観察することはできない。


 大通り沿いにある他の飲食店も、ゆっくり腰を据えて大通りを観察するには適していない。ピザ屋はテイクアウトとデリバリーメインだし、それ以外の飲食店はランチやディナータイムのみの営業で、込み合うかつ、長時間滞在することは難しい。その点、お店が空いている時間帯のファミレスなら、窓際の絶好の席を確保しつつ、ゆっくり人間観察に集中することが出来る」


「そっか! ファミレスから見える何かが大事だとばかり思っていたけど、ゆっくり観察が出来る環境の方が大切だったんだ」


 風花もだんだんと私の推理にノリノリになってきてくれたようだ。さっきよりも少し早口になって、興味を示してくれている。


「眼鏡さんは夏休み期間に人間観察を開始し、それに適した環境としてファミレスの窓際の席を頻繁に利用するようになった。これが風花の疑問に対する、私なりの結論だよ」

「だけど、そもそも眼鏡さんはどうして人間観察を?」


 無垢な少女のように風花が問い掛けてきた。確かここが最大の謎なのだけど、そこに関しては明確な答えを出しようがない。


「こればかりは眼鏡さん本人にでも聞かないと分からないけど、単なる趣味というよりは、何か必要があってそうしているような印象は受けるかな。例えば何か仕事に役立てるためとか。パッと思い浮かぶのは研究とかかな。曖昧で申し訳ないけど」


 時間帯は異なるけど、週に何度もそうするのだから、例えば何か仕事に役立つデータを取っているとか、そういう可能性が頭に思い浮かんだ。とはいえ、素人の推理で辿り着けるのはたぶんここが限界だろう。


「凄い、凄いよ胡桃。私のつたない説明と数少ない情報だけでここまで推理するなんて!」


 風花は興奮気味に目を輝かせて、私の手を握ってきた。


「推理といっても、合ってる保証なんてないし、まったく見当外れなこと言っているかもよ?」

「推理を組み上げるだけでも凄いよ。真相はどうであれ、私は胡桃の推理に説得力を感じてる。長年、猪口くんと謎を追いかけてきたことはあるね」


 風花の満足そうな表情を見れただけで、私も満足できそうな気がした。真相を確かめる術はないけど、私もこの推理には自信を持っている。友達と過ごす夏休みに、思わぬ形で転がり込んで来た謎解きだったけど、夏休みの宿題を片付けられたようで悪い気はしなかった。


「近くだし、この後は玲央の書店に寄っていこうよ」

「そうだね」


 謎解きを終え、スッキリとした気持ちでこの後の予定を過ごせそうだ。楠見くんにも面白いお土産話を聞かせられる。


 ※※※


「いらっしゃい。今日は二人一緒だったのか」

「うん。胡桃とお茶して買い物して、ついでに謎解きもして」


 書店に到着するなり、入って直ぐに制服のエプロン姿の楠見くんを発見。風花が早速声をかけた。


「謎解き? リアル脱出ゲーム的な?」

「ううん。日常の謎的な」


 風花のその一言だけで、楠見くんは納得した様子だった。どうやら私が日常の謎を解くポジションにいることは楠見くんにとっても共通認識だったようだ。


「それ、何のポスター?」


 仕事中の楠見くんは入口近くのポスターなどを張り出すスペースに、何やら新しいポスターを張り出す作業を行っていたようだ。まだ丸まっていて内容は分からない。


「劇団逃げ水が十一月に行う公演のポスターだよ。うちの書店でもチケットを取り扱う予定だから、その宣伝」


 そう言って楠見くんは、広げたポスターをテキパキと掲示スペースに張っていく。

 劇団逃げ水といえば陽炎橋市に拠点を構える劇団で、コミカルかつ現代人の共感を生むオリジナル脚本の数々に定評がある。比古さん食堂の常連さんにも劇団の関係者がいるので、応援の意味を込めて今後、比古さん食堂でも同じポスターを張り出すことがあるかもしれない。


「あっ、眼鏡さんだ」


 隣の風花の思わぬ反応に私は目を丸くし、まったく状況を説明されていない楠見くんは、一体何のことだと眉根を寄せて困惑している。


「この人が眼鏡さんなの?」

「間違いないよ」


 風花が指で示した先は書店のお客さん――ではなく、劇団逃げ水のポスターのセンターを飾る主演俳優の染田そめださとるさんだった。ポスター用にメイクやファッションが調整されているが、風花から聞かされた人相と確かに一致している。逃げ水は陽炎橋市の劇団だし、染田さんが大通りのファミレスを利用していてもおかしくはない。


「そうか。だから人間観察をしていたんだ」


 そのポスターを見て私は全てに納得した。

 逃げ水の十一月公演のタイトルは「人生蜃気楼じんせいしんきろう」。大通りを行き交う人々の人生を追体験することで、主人公の青年が自分自身を見つめ直していく様を、時にシリアス、時にユーモラスに描いた社会派コメディ――と、あらすじが書かれ、ポスターの中では主演の染田さんが、大勢の人々のシルエットに飲み込まれるように、頭を抱えて苦悩している。


 研究という私の読みはあながち間違っていなかったらしい。眼鏡さんこと染田さんは役者としての役作りのために、大通りを行き交う人々を観察していたようだ。夏休みの時期はそれに最適だった。


「眼鏡さん、役者さんだったんだ。これなら胡桃の言っていたことも納得」

「私も自分の推理に自信が持てたし、何だかスッキリした」

「えっと? 俺の知らないところで何が起きていたんだ?」


 謎が解けて私と風花がスッキリしている中、図らずもファインプレーを見せた楠見くんだけは、この波に乗り遅れていた。




 了

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