第15話 ドーナツ先輩

「鍵が閉まっているね」


 神様はご都合主義を許さないらしい。視聴覚準備室には人の気配が無い上、施錠されていて中には入れなかった。


「君達、映画研究会に何か用?」


 視聴覚準備室前の僕たちのやり取りが気になったのだろうか。向かいにある地歴教室から、一人の女子生徒が顔を覗かせた。陽炎橋高校はリボンやネクタイの色で学年が分かるようになっている。緑色のリボンは二年生なので先輩のようだ。切れ長の目と赤縁の眼鏡が印象的で、百七十センチ近い長身の持ち主だ。髪形は長い黒髪をポニーテールにしている。外見こそクールな雰囲気だが、声色と笑顔が優しくて親しみやすさを感じる。


「映研の同級生に聞きたいことがあったんですけど、今日は活動休みですか?」


 風雅が世慣れた様子で先輩に尋ねた。


「お休みというか、学校にも許可を取って、今日は学校外で撮影してると聞いているよ。現地解散らしいから、部室は今日は閉め切り」

「あちゃー。尾越に聞けば謎は全部解決すると思ったんだけどな」

「こうなれば、自力でもう少し調べる他ないね」


 風雅は大袈裟に肩を落としたけど、僕は心のどこかでホッとした部分もあった。当事者に事情を聞くのは早くて確実だけど、謎解きとしては物足りなくなってしまうのも事実。当事者不在ならば、、第三者の立場で情報を集めて推測していく他ない。


「はははははははははは。君達の会話はずいぶんと魅力的なワードに彩られているね!」


 赤縁眼鏡の先輩が突然、興奮気味に僕たちのやり取りに割り込んできた。突然のテンションの振れ幅に若干困惑する。一体なにが彼女の琴線に触れたのだろうか?


「えっと、突然どうしましたか?」

「驚かせてしまってすまない。部活柄、ついつい謎や解決という言葉に反応してしまってね」


 初対面の優し気な笑顔から一転、先輩の表情には別種の笑みが浮かんでいた。良い方向で例えるならそれは、レストランで大好物を前にテンションが上がった子供のような。悪い方向に例えるなら、好奇心に歯止めの利かなくなったマッドサイエンティストのような。とても豪快な笑い方だった。


「部活といいますと?」

「私はミステリー研究会の部長でね。こういう話題には目が無いんだ。二年生のあかがね一夏いちか。仲の良い子にはドーナツと呼ばれているよ。よろしく、一年生ズ」


 ネクタイの色で僕たちが一年生であることは見抜ていたようだ。礼儀として自己紹介には自己紹介で返さねば。


「帰宅部の猪口黎人です」

「手品部兼ボードゲーム同好会兼SF研究会兼クイズ研究会兼歴史研究会兼、今日は猪口黎人探偵の助手を務める司風雅です」


 おいおいおい、さっきよりも肩書が増えてるぞ風雅。何だよ「猪口黎人探偵の助手」って。僕は助手を雇った覚えはないぞ。


「なんて頭に入ってこない自己紹介だ。司くん。さてはおもしれえ男だな?」

「そういうドーナツ先輩も大概、面白い人だと思いますよ」


 お互いに散々な評価を下して同時に破顔一笑している。何で初対面でこんなに息ピッタリなんだよこの二人は。風雅には至っては早速、あだ名のドーナツ先輩と呼んでるし。コミュ力お化けかお前は!


「そして、もう一人の猪口くんは探偵ときた。まさかミステリー研究会の私が探偵の存在を知らないとは、まだまだ修行が足りないね」

「いえ、別に趣味で謎解きをしているだけで、公の称号ではないので。お気になさらず」


 風雅が余計な自己紹介を付け加えるから、僕にまで飛び火したじゃないか、まったくもう。まあ、小中学生の頃に探偵を自称していたのは事実だけども。


「それじゃあ、お近づきの印に探偵君に謎を一つ提供しよう。どうして私のあだ名はドーナツでしょうか?」


 有無を言わさず突然問題が始まってしまった。風雅と意気投合するだけあって、この人もなかなか距離感がバグッているような気がする。しかし、謎解きと言われて黙っていられないのもまた事実。ミステリー研究会部長の挑戦、受けて立とうじゃないか。


 出題にあたり先輩は、警察官のような持ち方で生徒手帳を提示してくれた。

 名前は「銅一夏」。例えばドーナツが好物だとか、実家がドーナツに関わる仕事をしているとか、そんな個人的なエピソードが由来なら、初対面の相手に出す問題としては不適切だから、この可能性は除外してもよいだろう。初対面でも回答出来る可能性があり、生徒手帳も提示してきた。シンプルに名前由来を想定するのが妥当だろう。


 ベタなのはやはり、名前の読み替えだろうか。銅はそのまま読めば「ドウ」、夏も「ナツ」と読める。この時点でドーナツと読むことも出来るが、ミステリー研究会の部長が出題するぐらいだし、もっと完成度が高いのでは深読みしてしまう。現時点では使いどころの分からない漢字の一の所在も含めて答えが成立するんじゃないか……まてよ、漢字の一?


 口頭で名前に使われている漢字を伝えても良かっただろうに、銅先輩は今も律儀に生徒手帳で名前を主張し続けている。響きだけでは分かりづらいと判断したからではないか? 銅と夏は確定だと思う。後はどうにか一をドーナツに組み込むだけだ。単なる読み替えとは限らない。もっと柔軟に形を捉えて――。


「分かった」


 閃く時は一瞬だ。これは確かに、名前を視覚情報として捉えなければ辿り着けなかったかもしれない。


「銅一夏はドーナツと読むことが出来る。ドウ、伸ばし棒、ナツ、この組み合わせでドーナツですね?」


 銅、一、夏――ドーナツ。完全回答はこれ以外には考えられない。僕は自身満々に回答を銅先輩にぶつけた。


「大正解! 銅と夏だけだならサンカクだったけど、漢数字の一を伸ばし棒と捉えた発想はお見事。流石は探偵君だね」


 出題者の銅先輩だけでなく、つられて風雅までもが拍手で僕を取り囲んでいる。突然の拍手に何事かと、同じ階で部活をしていた生徒たちが続々と廊下に顔を出し、その視線が一斉に僕に突き刺さる。お騒がせして申し訳ございません!


「正解のご褒美として、映画研究会について私が知っていることは何でも教えてあげよう。ご近所さんだから交流は盛んでね。だいたいのことは知っているよ。さあさあ、ミス研の部室にお上がり」

「突然上がり込んだら、他の部員さんに迷惑じゃないですか?」

「今日は私しか登校してないから平気平気。夏休み前だから今は自由参加なんだけど、暑さのせいか私しかいなくてね。退屈してたんだ」

「そういうことなら遠慮なく」


 懸念が解消されたところで、お招きに預かりミステリー研究会の部室にお邪魔することにした。机の上にはミステリー小説の文庫本が置かれており、僕らがやってくる直前まで銅先輩は読書に耽っていたようだ。一人でも部としての仕事もしっかりとこなしており、私物らしきノートパソコンの画面には、企画書の文字が表示されていた。


「おっと。これは部外秘だった」


 そう言って、銅先輩は慌ててノートパソコンを閉じた。恐らく文化祭用の規格なのだろうが、ここは知らない振りをした方が礼儀だろう。

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