第9話 どうして図書室で借りる必要があったのか?

 図書室で話し込むのはマナー違反だし、他の生徒の迷惑になる。この時間は自分以外の生徒はまだ登校していないからという生井さんの提案で、私達は定時制二年の教室へと場所を移した。


 話の前提として先ずは、私と黎人が「ライラックの歌」について調べ、生井さんと接触するに至った経緯を包み隠さず打ち明けた。勝手に人様のことを調べていたことには負い目を感じていたし、苦言を呈される覚悟はしていたけど、生井さんは終始微笑みを浮かべながら、私たちの言葉に耳を傾けてくれた。


「すみません。勝手にこんなこと」

「少し驚いたけど、別に迷惑をかけられたわけではないし、私は気にしていない。確かに同じ本を借り続ける私の姿は目を引いただろうし、そこはむしろ反省ね」


 苦笑顔で生井さんは頬をかいた。理解を示してくれたことで私達も安心した。怒らせてしまう可能性も十分に考えられたから。


「今回の件について、私たちの推理を聞いて頂いてもよろしいですか?」

「是非とも聞かせてちょうだい」


 生井さんも私達とのやり取りを楽しんでくれているようだった。もしかしたら生井さん自身も、酒武道や「ライラックの歌」について語れることを楽しんでいるのかもしれない。ならば私も遠慮なく切り込んでいこう。


「酒武道こと坂健道さんと生井さんは、学生時代の知人なんですよね?」

「坂くんとは中学時代の同級生よ。二人で文芸部にも所属していたし、お互いに良い友人関係を築けていたと思う」


「現在通っている学校の図書室で見つけた旧友の著作。懐かしく思って本を借りることはむしろ自然な流れだと思います。だけど生井さんはそれを何度も繰り返していた。そこまで思い入れがあるのなら、行きつけの書店で文庫本を買うことが出来るし、本を借りるにしても、年中開館していて、より返却期限の長い市立図書館を利用した方が効率的です。もっと言うなら、学生時代の友人の本であることを考えれば、すでに所有している可能性だって考えられる。いずれにせよ、どうして陽炎橋高校の図書室で『ライラックの歌』を借り続けるのかが大きな疑問でした」


「その理由を、あなたたちはどう推理したの?」


 目配せして黎人に一度バトンタッチ。この質問には最初に秘密に気付いた黎人に応えてもらうことにした。


「僕はこの謎の鍵を握るのは『ライラックの歌』が、第五版よりも古いか否かだと考えています」

「詳しく聞かせてちょうだい」


「まず大前提として、図書室に置かれている二冊の『ライラックの歌』は三十二年前当時に、酒武道先生自らが母校に寄贈された初版本です。このことは図書委員の友人にも確認済みです。同時期に同じく母校である陽炎橋第一中学校にも寄贈されています。中学校に関しては僕と胡桃も少し前まで通っていた出身校なので、後輩に図書室を確認してもらったら、やはり『ライラックの歌』の初版本が置かれていました」


「あら、二人は私の後輩でもあったのね」


 生井さんと坂さんは私達の母校、第一陽炎橋中学校の卒業生だった。四十年以上前のことなので、私達の交友関係では、この数日間で当時の卒業生まで調べることは出来なかったけど、図書室に置かれていた「ライラックの歌」が中学の坂健道さんがOBであることを証明してくれた。坂さんと同級生だった生井さんも必然的にOGということになる。


「出身校の図書室に書籍を寄贈しているとすれば、本を扱う公共施設である図書館にも寄贈していると考えるのが自然です。だけど現在図書館で取り扱っている『ライラックの歌』は初版本ではなく、第五版のものでした。司書の方に事情を伺ったところ、やはり酒先生からの寄贈があり、本来は初版本を取り扱っていたそうですが、貸し出し中の汚損が原因で廃棄せざるを得なくなり、本を新調したという経緯があったそうです。結果、当時流通していた第五版が図書館に置かれるようになり、現在へと至ります」


 図書館に行った時点では、私は黎人の意図がまったく気づいていなかった。本がそこまで古くなかったから違和感を覚えたそうだけど、それだけの気づきでここまで核心に近づくのだから、黎人のセンスには驚かされる。推理を補強するために、中学校の後輩に協力を仰ぐなど抜け目ない。


「ここまでは寄贈された図書室や図書館の本について掘り下げてきましたが、では書店で販売されている書籍についてはどうでしょう? 現在流通しているのは文庫本で、単行本を入手することはそう簡単ではない。加えてその内容はどうやら、単行本の第五版以降の内容に準拠しているようです。即ち文庫にはそれ以前の版の内容は収録されていない」


 レビューサイト等で内容に関する言及が無ければ、私はこのことには絶対に気がつかなったと思う。どのタイミングで出版されたものであっても、その内容は全て同じだという先入観があったから。私の読書量はせいぜい人並みだけど、黎人はミステリー小説を中心に熱心な読書家だ。だからこそこの点に気付けたのだと思う。


「酒武道先生は第五版以降で、内容に何らかの変更を加えた。だけど出版から三十二年が経った今、陽炎橋市内で初期の単行本の内容を確認することが出来る場所は限られている。だからこそあなたは、その内容を確認するために、初版本を扱っている高校の図書室で何度も本を借りたのではありませんか? これが僕達の辿り着いた結論です。現物を拝見したことがないので、僕が読んだ文庫版と初版本の違いまでは分かりませんでしたが」


 この推理には私も黎人も自信を持っている。生井さんは初版本の内容を確認するために、それが置いてある高校の図書室で何度も本を借りた。だけど何が彼女をそこまで惹き付けたのか、一体初版本には何が書かれているのか? そこまでは私達には分からない。


「お見事。客観的に観測できる部分の推理は完璧と言ってもいいわ」


 生井さんは感嘆した様子で手を叩いた。客観的に観測出来る部分。すなわち、第三者である私達が知り得る事実に関しては正解を導き出せたようだ。ご本人公認なのだから自信を持ってもよいだろう。


「あなたたちの推理通り、私は坂くんの初版本の内容を確認するために頻繁に図書室を利用していた。『ライラックの歌』を持ってはいるけど、私が持っているのは単行本の第七版と文庫本でね」


 やはり生井さんも「ライラックの歌」を所有していた。それが初期の版でなかったから、今回の状況が生まれたようだ。


「事情を聞いてもいいですか?」

「ちょっと黎人。そんな直球に」


 こういう場面で黎人には遠慮がない。確かに事情は気になるけど、あくまでもこれは生井さんのプライベートな問題だ。他人である私たちがこれ以上踏み込んでいいものか、この後に及んでも私にはまだ迷いがあった。


「安心して。人に話す機会が無かっただけで、別に秘密にしておきたい話というわけではないから。ただし、交換条件というわけではないけど、話を聞かせる代わりに、あなた達にも一つ協力してもらおうかしら」


 思わぬ展開に、私と黎人はお互いの顔を見合わせた。


「私たちに出来ることなら協力しますが、具体的には?」

「坂くんがどうして内容を改稿したのか。あなた達の意見がほしいの。何度もこの初版本を借りているのは、私自身がその答えを出せないでいるからよ」


 確かに一冊の本を読み込むにしては、生井さんが本を借りる頻度は明らかにオーバーしている。だが答えを求めていたのなら、それ相応の時間がかかるのも当然だ。

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